見出し画像

祖母の誕生日

今日は祖母の誕生日だ。大正14年生まれの祖母は、今年でなんと96歳。わたしの頭の中の祖母はずっと72歳くらいのイメージなので、96という数字にこちらも驚く。

わたしの祖母はとても働き者の女性で、畑仕事をしたり、繕い物をしたり、とにかく黙って座っているのが落ち着かないという人だった(その反動なのか孫娘は怠け者で、とにかく横になっていないと落ち着かない人間になってしまった)。いつも体を動かしている性質が影響してか、96にして背筋はいまだぴんと伸び、おしゃれにだって気を使っている。

だけど母によれば、最近の祖母は少しずつ少しずつ忘れっぽくなってきているという。

年末年始の帰省の際に祖母と話していると、確かについ数日前のことを、あまり思い出せなくなっているようだった。でもそれは記憶自体がすっぽり消えたわけではなく、そこに何かがあるのはわかっているのに正体が掴めず、そのこと自体に祖母自身も戸惑っているように見えた。それでも気丈に振舞うのが彼女の立派なところなのだが、そういう姿を目の当たりにしてわたしはようやく「祖母も歳を取るのか」ということを肌身に感じた。この歳まで気がつかなかった自分は、ずいぶん能天気で幸せ者だと思う。

痴呆とまではいかないけれど、そうやって祖母が覚えていられる時間の幅は、砂時計から落ちる砂のように、ちょっとずつ短くなってきている。だから以前、母からは「お礼を言う時は、何度も見返せる手紙の方がいいかもね」と言われた。確かに、物があるとそれによって気持ちを反芻できる。

でも今日の誕生日、わたしは祖母に電話をかけた。普段めったに電話をかけないので、ちょっと大げさかもな、と一瞬逡巡したが、それでもお正月の祖母の姿を見たらかけずにはいられなかった。
呼び出し音が6回鳴って、祖母が出た。

「おばあちゃん、突然ごめんね。寝てた?」

「いや、起きてたよ。テレビ見てた」

「今日2月5日だよね。おばあちゃんの誕生日だよなと思って。お誕生日おめでとう。おばあちゃん、今年も1年元気でいてね」

普段は電話なんかしない孫からの連絡に、祖母はとても驚いていた。その後、何度も「うん、うん、ありがとうね」と言った。そして「おばあちゃん、うれしいわあ」と言ってくれた。電話口に祖母が喜ぶ声を聞いていると、わたしまでうれしくなった。

もしかしたら、今日わたしが電話したことは数日後にはもうなかったことになっているかもしれない。でも祖母のうれしそうな声を聞いて、それでもいいや、と思った。わたしの電話で祖母が一瞬でもうれしい気持ちになってくれるんだったら、もう十分だ。何度も反芻してもらわなくてもいい。たとえきれいに忘れてしまったとしても、祖母が抱えられる時間が喜びで満たされるように、何度も電話をかければいいだけだ。

今日母からきたLINEには、「おばあちゃんが電話もらったって、何度も言ってたよ。すご〜く嬉しそう。」と書いてあった。あんなに短い電話でこんなに喜んでくれるなんて。電話かけてよかった。変な恥じらいを捨てて、正解だった。ものぐさな自分だけど、これからも機会を見つけてしつこいほどに電話をかけようと胸に誓った。そして心から念じた。

わたしの自慢のかわいいかわいい祖母が、今年も元気に暮らせますように。

いただいたサポートは、本の購入費に充てたいと思います。よろしくお願いいたします。