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掌編小説041(お題:なくしたライターの行方)

かなた出版『実録! 怖い話・不思議な話』「特別コラム」より

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先月、大学時代の後輩・Aから連絡があり、彼の住む古い木造アパートの一室を訪ねた。

なんでもそこは代々物書きが住んできたという部屋で、過去には書評家や週刊誌の記者、ルポライター、小説家の卵などが日夜原稿に向かいながら暮らしていたという。“未来の芥川賞作家”を自称するAも例に漏れずそこに住んでいるというわけだ。その肩書きから「自称」が外れる日は来るのだろうか……という話はさておき、彼がよこしたメールによれば「相談したいことがある」とのこと。

世間話もそこそこに私が要件を問うと、彼は「小さいおじさんが住んでいるんです」と目を輝かせてこんな話を始めた。

この部屋の窓際には文机と原稿専用のゴミ箱があり、毎日そこで書いては捨てをくりかえしているのだが、あるとき紙くずの山から丸めたボツ原稿が二、三ほど消えているのに気づいた。なにしろ毎日ボツ原稿の残骸を見ては次こそと奮起して文机にかじりつくものだから、見間違いではない。と思いつつ、それでもしばらくのあいだは勘違いだろうと自身に言い聞かせていたのだが、さて、今度はタバコと一緒に置いておいたライターがなくなった。そして数日前、とうとう三度、今度は苦労して書きあげた短編小説の原稿がごっそりなくなり、さすがにこれは妙だと思い、卒業後はオカルト雑誌のライターになったという大学時代の先輩――すなわち私に連絡をよこしたのだという。

一連の消失事件を、Aは「小さいおじさん」の仕業であろうと結論づけた。小さいおじさんといえば本誌でもおなじみの、身長八〜二十センチメートルの中年男性風の姿をした小人である。小さいおじさんの目撃談は編集部にも多く寄せられるが、まさか自分の交友関係から目撃談が出るとは。この目で見たとなれば大スクープ、私は話を聞くなりAに部屋に泊まらせてもらえないかと頼みこんだ。もちろんAは快諾。こうして一晩の張り込み調査と相成った。

四畳の狭い部屋なので、この日、Aには私が自腹で手配したビジネスホテルに泊まってもらった。一方私は夜までに取材環境を整え、小さいおじさんが取っていきそうなものをなるべく自然に設置していく。まずは件のAのボツ原稿。思うままに筆を走らせて途中で頓挫したものをいつもどおりゴミ箱へ捨ててもらった。次にタバコとライター。念には念を入れ、Aがよく吸う銘柄と、同じくよく使う百円ライターを近所のコンビニで買ってきた。次に原稿。ここ最近まとまった話が書けていないというので、これは私のものを用意した。先に記したAの証言を原稿用紙に書き写したものだ。あとは独断で、ボールペンや駄菓子など、小さいおじさんが運べそうなサイズのものを数点置く。そして普段Aが布団をかぶる深夜一時、消灯し、布団の中で息を潜めた。

さて、結論から申し上げよう。Aの部屋に小さいおじさんはいた。確かにいたのだ。ただし証拠を掲示することはできない。その理由にはこんな顛末がある。

小さいおじさんがあらわれたのは早朝四時頃のことだ。昼のうちに充分な仮眠をとっていた私は布団の中で静かにそのときを待っていた。と、どこからかペタペタと裸足で床を歩くような音が聞こえる。私は手に握りしめていたLED照明のリモコンを押し、点灯させた。視界の左端に人影を捉える。人影は明かりがつくなりネズミのような速さで走りまわった。私は咄嗟に名乗った。人影の動きがとまった。ようやく、正真正銘、小さいおじさんとのご対面である。私はつづけざまにライターであることを告げ、彼に取材を申し込んだ。彼はしばしのあいだ逡巡したあと、いかなる場合においても取材内容を公表する場合は私の主観による発言および文章のみとし、明確な証拠を残さないことを条件に承諾した。そして、いよいよインタビューは始まった。

まずはこの小さいおじさんについて簡単に紹介しておこう。身長は十五センチメートルほど。見た目は五十代風で痩せ型、芸能人にたとえるなら俳優Nといったところか。彼は自らを「シミ」と名乗った(以下、シミ氏)。これは本や衣服などを主食とする虫「紙魚」に由来するもので、なにを隠そうシミ氏は大の読書好き、すなわち本の虫だそうである。この日は私の原稿に興味を示してあらわれたという。

シミ氏が読書の楽しさに目覚めたきっかけは、十数年前、ある学生がこの部屋に住みはじめたときだった。それまでは主に折ったりちぎったりして生活のあらゆる用途に利用するため紙を持ちだしていたそうだが、あるとき、仲間のひとりが(驚くべきことに氏の他に小さいおじさんが二人いたようである)暇つぶしに紙に書きこまれた文字を読んでみると、どうやらそれは家主が趣味で創作したある物語の一片らしかった。学生の繊細で叙情的な筆致はまたたくまに氏らを虜にした。それからというもの、彼らにとってこの部屋の紙はその用途をガラリと変えることになった。

最初に紙に価値を見出した仲間は学生がこの部屋を出ていく際にあとを追って出ていったという。部屋にはシミ氏ともう一人の仲間とが残った。ところが、部屋の家主が何人か変わった頃、文学的表現を使えば仲間は「星になった」。シミ氏は独りになった。 書に親しむことは氏にとって単なる娯楽だけでなく、遠いどこかへ旅立った、それぞれの仲間を想う時間にもなっていった。

さて、ここからがようやく家主がAになったあとの話である。この部屋に物書きが住むようになってからAが初めての喫煙者であった。人類が神から火を与えられたように、シミ氏はAから、小さいおじさんは人間から火を与えられたのである。氏がライターを持ちだそうとひらめいたのは最初にボツ原稿を持ちだした夜だった。

窓辺でAがタバコをくゆらせるのをシミ氏は物陰から見たことがあった。煙は夜のしじまに消えていった。あれなら、今なおどこかで書を求めつづける仲間にも、あるいは、星になった仲間にも物語を届けることができるかもしれない。氏は思った。そしてAの部屋からライターが消え、完成された短編小説の原稿が消える。

星がよく見える夜だった。Aが書き上げた原稿は煙となって夜空へのぼっていった。申し訳ないことをした、と、シミ氏は唇を噛んでうつむく。

以上が、私がシミ氏から聞いたすべてである。最後にささやかな後日談を載せてコラムを締めさせていただこう。

シミ氏へのインタビューを終え、私は翌朝までの短いねむりに落ちた。氏の希望もあり、私はビジネスホテルから帰ってきたAに事の顛末を伝え、原稿を持ちだしたことを氏は申し訳なく思っているようだと告げた。「物語が読者のためになるのは道理であり、作家の本望ですよ」彼は気持ちよく笑い、今もどこかに隠れている氏にむかって「気にしていませんよ!」と言った。私の元には今でも、アレがなくなったコレがなくなったとAから楽しげなメールが届く。氏とは仲よくやっているようだ。

さぁ、ここであなたも部屋の中をぐるりと見まわしてみてほしい。なにかなくなっているものはないだろうか? あるとしたらそれはもしかすると、小さいおじさんの仕業かもしれない。

(文・福来太一)

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