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掌編小説086(お題:タロット占い+うまい棒の葛藤)

ピッタリと閉まった教室の引き戸をわざとガラガラ大きな音をたてて開ける。思っていたとおり、窓際中央の席に浦内は一人ぽつんと所在なげに座っていた。踵を潰して履いている俺の上履きがカパカパ音を鳴らして近づいてもうわの空だ。

その一つ前の席に横向きに座り、浦内のほうへふりむく。頬杖をついた肘が『愚者』のカードの角を遠慮なく踏んだ。浦内はそれでもせいぜいまばたきをゆっくり二度するくらいだった。背にした窓の外から、運動部たちがぼちぼち帰り支度をはじめる声や音がする。

「加藤のこと、断ると思ってた」

手持ち無沙汰の左の指先で組んだ脚をトントンと叩きながら、俺は、昼休みの出来事を思いだしていた。クラスメイトと机をならべて弁当を食べていた浦内。そこにB組の加藤が友人数人を連れてやってくる。「浦内さんに占ってほしいことがあって」と加藤は言った。二人は一年生のとき同じクラスだった。浦内が趣味でやっているタロット占いがすこぶる当たるらしいというのを、加藤はあるときふと思いだしたのだろう。

「お菓子、もらったから」

言ったのは回想ではなく現実の浦内だった。視線を投げると、浦内は机の右側に提げていた学生鞄の中に手を突っこみ、ガサゴソやってから、俺の前にそれを差しだす。小さな手の中にはやおきんのうまい棒が握られていた。

「今わたせるものはこれくらいしかないけど、って加藤さんがこれくれたの。私の占いにきちんと対価を用意してくれたのはあの人がはじめてだった」

はっ、と意地悪に笑ってみせる。あきれてものも言えないとはまさにこのことだ。

まぁ、言うけど。

「加藤はタロットに正位置と逆位置があることなんて知らなかったんだぞ」

ここに来るほんの数分前。むこうからわたり廊下を走ってきた加藤を呼びとめて、俺は今から浦内に占ってもらう生徒のふりをしながら加藤に訊いた。『ところで、浦内は自分と加藤サンとどっちを正位置にして占ってた?』加藤は首をかしげる。『なにそれ?』そのあと一言二言会話を交わして、加藤は西棟へ、俺は東棟のこの教室にいる。

「これ、加藤を占ったきりそのままなんだろ? 『愚者』『剛毅』『運命の輪』……なるほどな。加藤が浦内の正面に座って、加藤側を正位置とすればたしかにいい結果だ。けど、俺が知るかぎり浦内は基本的に自分の位置を正位置にして占ってきたはずだ。浦内側が正位置ならこの結果は意味が変わってくる」

目があう。

「告白をやめさせることだってできた」

浦内は、うつむいた。

「詳しいね」

「うしろの席の誰かさんがときどき熱心に教えてくれるんだよ、頼んでもいないのに」

「へへっ」

湿っぽい声だが、本人は、笑ったつもりらしい。浦内は机のすみに置いたままだったうまい棒をこちらへ指で弾く。コーンポタージュ味。

「あげる」

「どうして本当の結果を伝えなかった」

「あたし、うまい棒は明太子派なんだよね。だから加藤さんを占ってあげるふりして、本当はこっそり自分のこと占ってたんだ。愚か、失敗、チャンスを逃す……どちらが正位置でもいいよ。どちらにしても当たってる」

あっけらかんとしたふりをして、浦内の声はかすかに震えていた。どうしたらいいのかわからなくて、席を立ち、無意味に窓の外をながめる。間の悪いことに、体育館から加藤と生井がならんで出てくるのが見えてしまった。手をつないでいる。『生井くん、まだ体育館にいる?』『いるよ』わたり廊下で加藤と最後に交わした会話がよみがえる。

『いや、たぶんもう帰ったと思う』

生井と同じ部活の俺がそう答えていたら、結果は、なにか変わっていただろうか。今ならそんなタラレバはいくらでも思いつく。だけどあのときそうはならなかった。嫌な予感がしていた。今すぐ浦内に会わないといけないと思った。だって浦内は、生井のことが好きだったから。

俺が熱心に窓の外を見ているのが気になったのか、浦内が、つづいて窓の外を見ようと首を伸ばす。とっさに浦内が弾いてよこしたうまい棒を手にとって、両手で思いきり握りつぶした。

パンッ!

存外に大きな音をたてて袋が破裂し、浦内が「ひゃっ!」と情けない声をあげる。

「なにしてんの」

「いや、……うまい棒って普通こう開けるだろ」

「開けないし! ちょ、見せて。あっはっは、中身粉々になってるじゃん、ウケる」

欠片のうちひときわ大きなものを浦内がつまみ、俺は、袋を逆さにして残りすべてをさらさらと口に流しこむ。「やっぱコンポタはないわ」窓の外を見損ねた浦内が、けれど、うさぎみたいな赤い目をして笑った。

机の上には、加藤を、浦内を占ったままのタロットカードが広げられている。伏せられた山札の一番上のカードをめくった。『恋人』のカードだった。前に数学が自習になったとき浦内から聞いた話によれば、『恋人』のカードは正位置なら「正しい選択」、逆位置なら「間違った選択」という意味もあったはずだ。

タロットカードが示すのは真実ではなくあくまで助言であり、いかなる場合も、最後に答えを出して行動するのは自分自身だ。――と、浦内はいつも占いの前に必ず相談者へ語りかける。

「正しい選択」だったのか、それとも「間違った選択」だったのか、最後に選択するのは浦内だ。答えが出るのにどれだけの時間を要するか俺にはわからない。

だけど浦内、せめて今だけは。

「スタバでも行くか」

「……うん」

どうか、おまえのそばにいさせてくれないか。

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