死にたいワナビ(その1)

小学生の頃から絵を描くのが好きだった。といっても、当時描いていたものはマリオとかカービィとかで、週刊少年ジャンプみたいな雑誌に載ってる漫画や、児童小説の表紙や挿し絵なんかになってるイラストとかからはかけ離れた所にいた。
中学を卒業してからであろう。コンビニで四コマ漫画誌を立ち読みして、可愛い女の子の絵を描ける様になることを夢見る様になった。
しかし、うちの両親は当時嫌オタだったので目に入る場所でイラストを練習する訳にはいかず、ひっそり隠れてネットから拾った画像をプリントアウトしてそれの模写をしてた。10代の頃は特にserial experiments lainで知った安倍吉俊に憧れを抱いていた。
自分は高校を中退している。辞めた後は高卒認定取得と大学受験合格を目指す予備校に通っていた。だが、その予備校は不登校になってしまった者の受け皿になる役割という側面が強かった。
推薦入試で受かった自称進学校の高校が、言葉に表すのは不可能な位酷い環境で、そこで俺は精神をヤってしまった。
鬱病になり、自殺念慮を抱く様になり、予備校も最初は行っていたが段々(勿論親には言わず)通えなくなった。自殺したいと思った。でも当時は知識が無く、首吊りと飛び降りしか手段を思い付けなかった。苦しみや恐怖を伴うそれ等の選択肢を実行する勇気は無く、只毎日涙を流すだけの日々だった。
自分は取り返しの着かない失敗をしてしまった。普通の大学にまともに通える筈が無い。でも、たった一つ閃いた。「イラストなら頑張れるかも知れない。イラストの専門学校に行きたい」。そう思い、それを予備校の俺の担当に伝えた。担当は俺の意志を尊重してくれた。そして俺は両親に無断でセンター試験を受けなかった。
当然両親はそのことを知る。イラストの専門学校に行きたいと頼む。拒否された。親に頼みごとをして聞いて貰えた経験は、殆ど無かった。そして予備校の担当と俺と両親での面談が執り行われた。親は呆れて担当に確かこんな様なことを言った。「ここに通ったのは無駄だった」。理解者でいてくれた担当が酷いことを言われ、夢見てたイラストの道へ進めず、大学に入って卒業し就職するというレールの上をまともに歩める自信が無く、面談中に涙を流した。辛かった。絶望した。あと俺も男なので、あまり親に泣いてる所を見られたくないというプライドもあった。だけどその時は無力で泣くことしか出来なかった。当時の俺は弱かった。
俺はAO入試で私立の大学に合格した。不満や不安等、色々思うことはあったが仕方無いのと、学ぶこと自体は好きなので大学で頑張ろうと思った。
しかし、寝坊による欠席や提出物を出せなかったことが原因で、単位を取得出来なかった。鬱病患者には荷が重過ぎた。そして大学4年生になり、ストレートで卒業することが不可能になったことが確定した。
俺は全てを諦めた。大学へ完全に行かなくなり、自殺を試みた。深夜の公園で首を吊ろうとした。初めての経験。しかし、軽くロープが首に当たった瞬間、今迄の人生の中で最大の恐怖心を感じ取った。自殺するのは無理だと思った。
その後、俺は発狂してしまった。

書くの疲れたので今日はここ迄にする。

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