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「医療の民主化」とは。

講演会「誰一人取り残されない医療を考える SDGs時代における医療のあり方」
という講演会を聞きに行った
毎年12月12日のUniversal Health Coverage;UHC Dayの記念イベント
テーマが壮大である一方、講演会の時間自体は1時間半で、
はじめは見過ごしていたけれど、
基調講演の高山先生の講演内容に「医療の民主化」という言葉があり、聞きに行くことにした

聞きに行くまでは、
「医療の民主化」とはなにか?
さっぱり想像できず、
想像できないものは、どうやるのか、そもそも必要とされているものなのか、わからなかった

講演の中で、
沖縄県立中部病院の歴史から、どのように沖縄の急性期医療が構築されてきたかが説明された
戦後、米軍のアメリカ人による診療所、病院しかなかったところから
「日本人に診てもらいたい」
という思いから、日本人による診療所ができた
そこには医師の腕や医師免許の有無よりも
「日本人が悩み、困ったことに向き合ってくれる」
ということが大事にされた
米軍もそのことをよく理解し、協力し、
病棟、医療機器、知識、技術などが育てられた

医療スタッフを限られた病院に集め、
北米型ERを応用して、
軽症から重症まではもちろん、レスパイト入院のような社会的なものも含めて、
すべての患者を受け入れる救急医療、急性期医療体制を整備し、
ひとまず全員に対応できる病院ができ、
一種「UHCの達成」といえる状況になった

しかし、一方で、
治すことのできる疾患だけでなく、
「高齢」という治すことのできない状態でずっと病院にいたり、
福祉の肩代わりとして社会的入院をしたり、
「看取り」「死」を生活の中から病院が奪ったり、
病院が水ぶくれのように拡大してしまった

それを、病院から再び生活の中に返していくことが必要である、
という文脈から
いくつかの患者さんの具体例が提示された

その中で…
ある高齢者介護施設では、午後の下校時間頃になると、駄菓子屋を開店する
店を仕切るのは施設利用者のおじいさん、おばあさん自身
駄菓子を買った子供が、そのまま施設のデイルームにはいって、おしゃべりをしたり、将棋を指したりする そういう工夫のある施設がある

そこで立ち上がった問題が
「インフルエンザ流行期に駄菓子屋、児童とのふれあいを継続するべきかどうか」

ともすれば、施設の責任問題として施設運営者やスタッフの決定で「中止」となったり、
嘱託医や地域保健行政の指導などで「~~の数値が基準以上になったら中止」
などとなる、かもしれない

その施設では実際には
施設利用者、スタッフ、医療者が話し合い、決定をした
ということだった

病院内であれば、医療者が決定すればよいかもしれないが、
介護施設という「生活の場」においては、
それは「みんなで話し合う」というプロセスを経る必要があり、
医師がなにかを決めるのではなく、当事者を含めてみんなで決定する
=「民主化」する、というお話だった

まだ十分に消化できてはいないし、
ましてや実践に移せるかというとイメージがつかないけれど、
「病院」や「急性期」「医学という面での医療」中心の構造から、生活への出口を作るために必要だということはわかった


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