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【創作】ノスタルジーを感じるにはまだ若い。

「のあー、あちぃ」
 うしろの自動ドアが閉まって、店員のありがとうございましたーが吸い込まれてきこえる。4限を終えて、あとは帰るだけ。なのだけど、梅雨に入っているにも関わらず、季節を忘れた太陽が照っていて、アスファルトの暑さに負けた。コンビニでアイスを買おうと思ったら、すぐにでもほしくなって駆け込んだ。真夏のオアシスは、いまの時期には冷やされすぎてて居心地があまりよくなかった。店長らしき人が肉厚だったので、暑さに弱いため、エアコンガンガンだったのかもしれない。
 出入口付近のゴミ箱で100円以下のありがたいソーダアイスのパッケージを裂く。一度顔のまえに掲げてから、がぶっと四角を砕いた。商品名の通り、ガリガリっとした食感がして、たのしい。まだ口元だけであるが、ひんやりとしてくる。
「夏だわ」
 田舎の日中はとくに人が少ないことをいいことに、しみじみつぶやく。パッケージはっちゃんとゴミ箱に入れた。すべて食べ終わってしまったら動きたくなくなるだろうから、もうひとくちもらってから歩き出す。あむあむもごもごしながら公園を横切ると、3歳くらいの男の子とお母さんが葉桜のベンチの下で涼んでいた。ぐーんと覆うように伸びどっしりとしているから、安心できそう。さわさわと音を立てたら、顔に熱風。うん、帰ろ。
 じりじりと体を焼く鉄板(本格的な夏と比べると、まだましなほうだろうけど)の上で、のろのろと足を動かす。しゃくりと非情を伝えたアイスはなくなり、いまあるのはハズレ棒。手持ち無沙汰で、ぷらぷらと木の棒をふる。まじないみたく前後させても、すばやくしても、アタリ棒に変化はしない。暑さが舞い戻り、正気になって真顔にさせる。
 角を曲がると自分の住んでいる団地に入った。低学年の子とはちがいきゃあきゃあ高い声ではなく、こしょこしょ話をするラベンダー色とキャラメル色のランドセルを背負ったスカート丈の短い女の子ふたり組が先を歩いていた。うーむ噂できいていたけれど、赤はもはや珍しい時代なんだなぁ。わたしの学年はまだまだ赤が全盛期だったけれど。ぽろぽろピンクとか近い色の子はいたけどね。
 また角は曲がるので、高学年だろう小学生たちとは分かれた。

 

 

「ふぃー。エアコンさいこー」
 帰って早々、いの一番にすることは冷房をつけること。生き返る。家族のなかで最初の帰宅者であるが、干してある洗濯物を取り込みたくない。やけどという状態異常により、じりじりとHPを減らし、ひんしギリギリだったのだから、これくらいいいだろう。まだ陽が空で輝いているしね。セーフセーフ。
 ハズレ棒をきちんと処理して、寝転ぶ。薄いとはいえカーペットを敷いているからか、背中がぬくい。まぁ10分ほどしたらひんやりに変わってくれる。暇人の古典的な動作である、ごろごろをくり返す。手を広げて、左をむくときは頭・左腕・右腕の順に並んで、右をむくときは頭・右腕・左腕の順に並んで、とだらしないけれど規則正しい運動を行う。
 左には漫画や文庫本が本棚を埋めている。久々に20巻以上あるギャグ漫画をなにも考えずに、1巻から読むのもいいかもしれない。きっと忘れた話だってある。他の回に押されて、やたら覚えづらい話とかあるし……いや、なんかなぁ。乗り気しないな。カラーボックスの1段目のディスプレイを整えようか。出先でついつい回し、ガチャガチャの小物が増えてしまった。ぽん ぽん ぽん、と置かれているだけなので、飾ってますよ感がほしい。
「んふふー。膝立ちになってまでしたくねー」
 と、またゴロン。ベッドの足を支えに、ルーズリーフやらレジュメが入っているアイボリーのトートバッグが立っていた。明日の時間割に合わせて中身を変えなくてはならないが、まだ夕方だしと思うとする気が失せる。空の一部がオレンジなだけで、ほとんど水色だし。てことは、昼みたいなもんだし。
「ひる! ってことは、起きる!」
 がばっと勢いをつけて起き上がると、頭がくらりとした。それでも無意味にごろごろするのは、やめた。トートバッグの内ポケットからスマホを取り出す。アプリや SNSの通知で、お気に入りのロック画面が埋もれていた。ちょっと癒されないので、ホーム画面にしてロック画面に出る文字たちを消しておく。1回閉じて、また電源ボタンに触れるとすっきりしていた。よし。
 ベッドの上に座ってスマホをどうするか考える。各SNSを訪問する。動画を見る。メモを開いて文を紡ぐ。順番に回ってくる発表の資料探し。webclassを開く。……う、勉強。えーまだ昼みたいなのに勉強したくないね。それに資料は図書館にあたらないといけないし。行けばよかったか。いや、とんでもなく暑いし。明日1限ないから、朝から頑張るか。あーなおさら今は頭を休ませなければ。
 新しい情報が公式から発表されているかもしれないから、鳥マークのアプリをタップする。フォローもフォロワーも多くないから、TLは静かだ。というかみんな学校だったり、バイトだったり、仕事だったり、とリアルでしなきゃいけないことがあって、端末をいじれない場合がほとんど。ちょうど閑散としている時間だ。
 自分が確認していないところから、上に上にのぼる。全体的に利用者が少ない間だから、公式も大人しい。この分ではすぐにてっぺんにたどりつきそうだ。おしゃな写真よりも、インパクトのある絵や文の世界に目を通す。でも、あんまなー……トレンドの確認、いやもうちょっとTLを、あ、ああ。指がホームマークを押した。当たっちゃった。するすると最新の頂上に到達した。
 ユーザーネーム一羽鶴の3分前の投稿「新曲をききながら帰宅。脳内でMV再生するのよゆうだったわ」が目に入る。
「つーちゃんいるじゃんっっ」
 そのままリプするのではなく、グリーンのふきだしアプリを開く。つーちゃんのトークルームをタップして、『やっほー』『おひさ』と打ち込んだ。すぐに返信が来なくても平気なので、またもどってTLを見返す。ほんのちょっとの接触で、一番上にしやがったからね。

 

 すべてのつぶやきを確認することはできなかった。つーちゃんからの返信が通知されたからだ。
『おひさー。さな、バイト休みなん?』
『うん。で、ごろごろしてたところ。つーちゃんも休み?』
『そうよー。だから買い物してた。シレナちゃんのイメージぴったりのプリーツスカートをGETした!!』
 ホリゾンブルーのロング丈のプリーツスカートの写真がついてくる。たしかにシレナちゃんにも、つーちゃんにも似合いそう。コンサートに着て行くのかな。わたしたちが応援しているアイドルグループのメンバー、シレナちゃんの担当カラーはブルーだし。ほんとはもっと濃い黒に近い青って感じなんだけど。本人が癒し系で、淡い色も連想させてくる。
『いいなぁ都会は。推しのカラーが集め放題じゃん』
『なんかやたら高い気がするけどね』
『認められた者しか入れないんだよ、魔境(とかい)は。わたしみたいなやつは入れん』
『ふっ、私は選ばれし者だからなぁ。悔しかったら、ここまで来てみろ。さなよ』
『く、やはりただ者ではないな。スマホ越しでも伝わるっ』
『あ、夏のコンサートさぁ、来れるん?』
『急にやめないでよ! 恥ずいわ』
『いや、こんなんどっちも恥ずかしいでしょ。ぜったいTL上はできんわ』『他の趣味の繋がりの人もいるしね。当落しだいだわ、コンサートは。まぁ、頑張って貯めなきゃ』
 おいくら万円いるかしら。チケット、遠征費、グッズ、食費、その他つーちゃんと遊ぶお金。思わず窓の外を眺めた。遠くの空はオレンジ色が増えていた。太陽の光はやわらいであったかい印象を受ける。懐はこれから凍えるだろうけど。
 まだ家族は帰ってきてなくて、わたしの部屋以外静かだった。
『私も節約しなくちゃなぁ。これ最近ずっと言ってるわ』
『つーちゃん、ひとり暮らしだもんね』
『ならべく自炊したり、大学に入り浸ってるわ』
『そっかー。すごいな、つーちゃんは』
『そうかな』
『そうだよ。わたしはあんまり気にせず冷房のきいた部屋でぼんやりしてるもん』
『勉強しろ』
『う、ちょっと頭痛が』
『効果てきめんすぎる呪文だな』
『放課後や休日を謳歌している学生全員を絞め上げるよ』
『とんでもない規模』
『日本だけじゃないよ。全世界だから』
『そこまでとは思わなかった』
 スタンプが送られてきた。顔が白く瞳が消えた女性、背後に雷。衝撃が大きすぎる。小さくだけどわらっちゃって、鼻から息がぬける。こうやって、ぽこんぽこんと数分間になんども通知音が鳴る会話を、気軽につづけられる人はつーちゃんだけだ。大学がちがっても、住んでいる地域が離れていても。
『そういや、小学校の同級生で連絡とってるの、つーちゃんだけだわ』
『私もさな以外はあんまり。物理的に遠くなったしね』
『小学生のころは大きくなっても、仲良くしてるんだろうなって思ってたんだけどなぁ』
『なに、誰かに連絡とりたいん?』
『ううん。めんどくさいし、べつに話すことないし。なにより話合わんし』『たしかに。高校になるとみんなバラバラだったし、雰囲気変わっちゃった子多い気がする』
『ほかの子は今どうしてるのか、あんま気にならんけど』
『うん』
『つーちゃんとは、こうやって。ずっと、友達でいたいな』
『おー。うれしいこと言ってくれるね! 私もよ、さな』
 大きなハートを背景に、わたしたちの小学生時代からいたキャラクターが「ありがとう」とわらっている。わたしも、なつかしのキャラクターのスタンプを送り返す。既読がついて、またつーちゃんの言葉が届く。
『うれしいけど、しんみりするような……なんかあった?』
『大したことはなにも。家帰ってたら小学生の女の子ふたり組をみかけてさ。んで、今見たらTLにつーちゃんいて』
『いつ、つーちゃん見つけてもうれしいけど、今日はとくにうれしかった! それだけ』
『そっか』
『そういうことです』
『都会だとさ、人数多いから制服がないとこも多いみたい。私立はべつだけどね。私たちとはちがった小学校生活なんだなぁって思う』
『私服やだなー。オシャレな子とそうじゃない子でカーストできそう。わたしだったら、下位だな』
『でも、コンサートのときは気合いがすごい』
『あれは、別腹的なもんだから』
『別腹状態が日常でもつづいてる人ってすごいわ』
『大富豪になっても、服は変わらないだろーな』
『律儀に別腹を守ってそう』
『本腹にはならんのよ』
『本腹ってはじめてきいた』
『はじめて書いた』
『一発で変換はできんかったわ』
『わたしも』
『辞書に載るかな』
『TL上でめちゃめちゃ流行れば?』
『フォロワーが万いても、無理そう』
『たしかに。なに? ってなるだけ』
『かなしい……』
『残念ですね』
『急に他人行儀! かなしいで思い出したけどさ』
『はい』
『制服もかなしかったことあるんよ』
『ああ。身長伸びんかったやつ? 5年生なる前に買ったジャンパースカート』
『そうそれ! お母さんが張り切って、一番大きいのにしたら、スカートの丈がやたら長かったやつ。しかも、あんま身長伸びんかったしね』
『身体測定後、めっちゃ沈んでた』
『もっと伸ばすつもりだったからさぁ』
『そこは気合いじゃどうにもならんからな。目標は何センチだったん』『163!』
『ルサさまの身長かー。そこはシレナちゃんじゃない?』
『身長は、そんなに差がないじゃん。シレナちゃんとわたし』
『シレナちゃんに謝れ! かわいい身長だろっ』
『かわいい身長というのは、おバカにされてます?』
『おバカにしてはございませんことよ』
『許……すとは言えませんなぁ。つーちゃんの身長縮めっ』
『大人になったら縮むよ』
『え、大人』
『うん。70歳くらいから』
『大人っていうか、人生のベテランたちの年齢じゃん。今から縮むかと思っちゃった』
『まだまだ先だけど、私がおばあちゃんになったら、縮んだかたしかめてよ。さな』
『いいけど。わたしもさらに低くなってるでしょ。わかるかなー』
『わかるって。毎日会ってれば』
『毎日会ってれば、わかるかな』
『じゃあ毎日会わなきゃね』
『まずは、夏休みそっちに行かなきゃね』
『また、店探しするよ。コンサート当ててね』
『つーちゃんもね』
『まかせて』
『たのもしい』
「さなぁぁ、洗濯物入れてっていつも言っとるでしょ!」
「あっ、ごめーん」
『お母さん帰ってきた! またね』
『うん、また今度』

 スマホをベッドサイドに置いて部屋を出る。洗濯カゴを洗面所からとって、つっかけをはいて外へ。リビングで「もーあの子は」と、触れると熱いやかんの温度になっているお母さんがエアコンの電源を入れた。ハンガーごとひょいひょいとカゴに突っ込んだ。ちょっとはみ出しているけれど、どうせ畳むし、いいでしょ。陽の光がやわらかでも、もあっとしている。じんわりと体が暑い。内に入ろうとしたら、頭上から低い声が攻撃してきた。
「また怒られたの。ねーちゃん」
 やけに大きなリュックを背負った弟がへらへらしながら玄関を跨ぐ。あ、先に入りたかったのに。
「大事な用があったんですぅ」
「へぇ」
 とっくに背を越されてしまった弟に、関心のなさそうな返事をされる。おまえがきいたんだろ。だから答えたんだよ、わたしは。
 はーあ。幼稚園のころはかわいげがあったような。おぼろげながら記憶はある。そのかわいさは、小学生になるとじょじょに消失し、儚く失せたのだった。まぁたいがいの弟のいる姉たちは、かわいげの消滅を体感しているから、わたしも含まれて当然か。ここは、今玄関の扉を開けたままにしてくれている、少しのやさしさに免じて追求するのはやめてやろう。
 弟の翔太が帰って来たのをききつけた母が廊下で待っていた。
「おかえり」
「ただいまー。ねーちゃん、大事な用があったんだとよ」
 よけいなこと言った! かんたんに許してはいけなかったかっ。いやいや。わたしがやさしすぎただけのこと。だから翔太にはやさしーわたしに跪いてもらわなければ。姉の心弟知らず、であるし。でもいつになるんだろう、ってちょっと思った。
「さな、用ってなんだったの」
 ま、まぁ。なんとか答えなければ。怒られたらごめんなさいすればいいのだ。
「あーと、久々につーちゃんに連絡とってた」
「まっ、つーちゃんと! ええことね」
 お母さんの怒りゲージは0みたい。よかった。つっかけをぬいで、冷やしリビングに3人とも入る。
「ずっと仲いいよな」
「何年も変わらず仲がいいのは、ええことよ」
「シレナちゃんのこととかー、なつかしい話とかーしてたよ」
「なつかしいって、さな。生まれてちょっとじゃない」
「ええ。もう20歳も超えましたけど」
「いや、ほんのちょっとよ」
「母さん、強情」
「翔太なんて生まれたばっかよ」
「それはない!」
「出た、お母さんの暴論」
「なんと言われても、さなも翔太も若いペーペーなんだから。まだまだひよこちゃんよ。さな、それ畳んどいてよ」
「ひよこちゃんって」
「はーい。気にしたらお母さんに負けるよ、翔太」
「たしかにそうだ」
 初夏のアスファルトも、幼いころからの親友も、今は忘れて。ここからは家族の時間。