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佐々山電鉄応援団 第1巻 

【プロローグ】


 アメリカの軍事企業ドシキモ社が、世界中の各分野における天才高校生達を集めてインスタント・ハッピー・カンパニー研究所というのを世界各国で展開している。

 日本にも東京渋谷に支社がある。

 自薦他薦はなく、インスタント・ハッピー・カンパニー研究所のスタッフが独断で高校生をスカウトに来る。

 研究に関する事なら全額資金を支給してくれるし、大学や企業にも共働研究や資料の提供も受けられる。

 噂だと、群馬県・榛名地域を走る佐々山電鉄沿線に、次世代交通システムを開発する天才高校生達が出入りしているらしい。


 8月2日 12時32分。

 群馬県は山の多い県で、主に赤城山・榛名山・妙義山を上毛三山(じょうもうさんざん)と呼び地域のシンボルとしている。

 都道府県の魅力度ランキングでは低空飛行なランクが定位置な群馬県。

 温泉王国と名乗るだけあって、草津温泉、四万温泉、水上温泉……など多くの有名温泉地がある。

 そして、榛名山の中腹にある渋沢温泉。

 渋沢温泉は、榛名山の斜面に沿って温泉街があるため、坂道や階段だけでなくホテルや旅館も斜面に沿って建造されている。

 二つの源泉を持ち茶褐色の黄金(こがね)湯、無色透明な白銀(しろがね)の湯がある。

 昼間は、日帰り観光客で賑やかな石段街。

日が暮れると宿泊客だけの世界に変わる。

浴衣を着て、キラキラと煌めく麓の夜景。

 宿泊客だけに許された大パノラマは、渋沢温泉の少し高い宿泊料を支払っても泊まりたくなる。

佐々山電鉄。

 榛名山の麓の沼川市と中腹にある渋沢温泉を結ぶ私鉄。

 支線の小湯線。渋沢町から佐々山町を結ぶ短い路線。

 ご多分に漏れず、佐々山電鉄は赤字ローカル線で経営が逼迫している。

 支線の小湯線は鉄道路線として存続が危ぶまれていて、代替バスにする提案を佐々山電鉄が関係各所に提案している。

     ♢

 榛名山の中腹にある渋沢温泉と佐々山町の境界付近にある小湯山というお椀型の低山。

 三人の女子高生達が、ビニール傘を腕に引っかけて眼下に見える渓谷沿いに平行する道路と線路を見下ろしている。

 揃いの紺のワンピース。

 携帯電話で通話していた一人が

「南場さん。渋沢町役場の佐々山電鉄沿線協議会。終わったそうです」

「それで?」

「一年間に限り、佐々山電鉄小湯線の存続を認める内容で国も群馬県、沿線自治体も合意したらしいですよ」

「巫山戯んなよ!あー。忌々しいな!佐々山電鉄応援団!鈴木優の所為だよな。あのガキ」

 赤い眼鏡の女子が物凄い形相で

「計画を実行するよ。一年も待てるかって言うのよ!」

「南場さん!でも、渋沢駅の真衣の話だと、鈴木と佐藤美佳の他に小学生が20人近く乗ってるって!」

「悪いけど!巻き添えだな。恨むなら佐々山電鉄応援団を恨みなってね」

 サーっと風が吹くと木々が大きく揺れ、遠くでゴロゴロと雷鳴が聞こえ雲の流れが速くなっている。

朝から炎天下で猛暑日だったが、昼前から入道雲が出始めて、また冷たい風が吹き抜けると空は暗雲が広がった。

 暗雲の空がピカピカと光り出す。

ポツポツと大粒の雨が道路を濡らす。

 熱せられた道路を濡らし生暖かくて埃っぽい匂いを立ち上げる。

 雨のカーテンが視界が悪くする。

バケツをひっくり返したような雨。

地響きのような雷音がズズンと響いた。

「きゃっ」

紺色のワンピースを着た女子高生が叫ぶ。

「傘なんか役にたたないよ!諦めて濡れな。むしろ傘なんかじゃ雷が直撃したら感電死するよ」

「わ、わ、わ」と傘を手放すと暴風雨に煽られ、航空機が滑走路を加速するように道路を滑り宙に舞いあがっていった。

 まるで台風のように、木々が揺れる。

「電車、天候不良とかで運休になりませんかね?」

「いや。もう渋沢駅を発車してるから駅間で止めたりはしないだろ。来るよ」

「アタシ的には運休の方が助かるんですけど」

「まぁな。これからアタシ達がする事を考えれば、運休の方が誰も傷つかずに済むからな」

 山深い渓谷、佐々山電鉄小湯線の線路、片側一車線の県道を見下ろせる林道。

 ピカッと雷光で一瞬周囲が明るくなる。

ゴロゴロゴロ……。

物凄い音を立てて地面を叩きつける雨。

プァーン。

ガタンゴトン……。

「いま、電車の音しなかったか?」

「えーっ。雨の音が五月蠅くて解らなかったですよぉ」

 ガードレールに足を掛けて麓を双眼鏡で俯瞰する。

 榛名山の中腹にある利根川水系の烏川の支流である佐々山川の佐々山渓谷。

 沿うように県道と単線の線路が併走している。晴れていれば景色は良い場所。

カンカンカンカン……。

 眼下の線路脇にある踏切が警報器の赤色灯を交互に点滅させる。

 黄色と黒の遮断機がゆっくりと降下していく。

 双眼鏡を片手に、赤い眼鏡フレームの女子が叫んだ。

「来た。小湯線、第112列車」

 豪雨の中、前照灯をハイビームで点灯させて山吹色の二両編成がカーブを曲がり終る。列車は、不自然にガタンと揺れた。

 床下から砂煙をあげキィーッと金属音が谷間に反響する。

 屋根上では架線とパンタグラフの間で激しいスパークを出しながら線路を外れていく。

 爆発でもしたかのように、激しい閃光が起きると架線が蛇の様に断線して垂れ下がった。

 電車の先頭車は、明らかに線路を外れて、5m下の道路、いや25mの断崖絶壁の渓谷に向かって斜めになって進む。

 まるで計算された様に、横転する事も無く先頭車が線路脇の架線柱の鉄骨のアングルに衝突して落下を免れた。

 ズドーン。

激しい衝撃音が山々に響き渡った。

衝撃音と激しい粉じん。

 山々にドーンと衝撃音が反響する。

 粉じんが収まると、電車の先頭車が脱線して道路側に傾いているのが見えた。

 5m下の道路も、線路からの敷石や、電車の破壊されたパーツ、踏切の遮断機とかが散乱して通行中の数台の自動車が避けるためにガードレールに衝突していたり、急ブレーキで追突したりしている様子が見て取れた。

「……」

その光景を高台から見ていた三人の女子高生は驚いて言葉を失っていた。

「ちょっと。待って……えっ。あれ?」

「南場さん。ちょっと話が違いますよ。ちょっとだけ脱線するだけって話じゃ」

「大惨事じゃないですか。ヤバイですよ」

 南場と呼ばれる赤い眼鏡の女子高生は、予想と現実の相違に困惑していた。

別の女子高生達は、「佐々山電鉄の不正工事を世間に知らしめるために、ちょっとだけ脱線させるだけって話でしたよね」

「……」

「だから、こんな事はダメって言ったのに」

 南場は、覚悟を決めたらしく「やっちまったモンは戻らないんだよな」と自分の頬を叩いた。

 ガタガタと身体を震わせて、一人の女子高生が泣き声で

「アタシは技術者としての才能を買われてインスタント・ハッピー・カンパニー研究所に入った筈です。コレって……」

「言うなよ」

「でも、何の罪も無い人達を巻き添えにしないとRRMSって実用化出来ないんですか?」

「仕方ねぇだろ!予想外にアイツらが奮闘して!佐々山電鉄応援団の佐藤美佳と鈴木優が邪魔しやがったんだから!」

「……」

「ったく。鈴木優の奴。小湯線が一年間も廃止延長なんてされたらアタシ達の計画が遅延しちまうだろうがっ!」

「アタシ、インスタントハッピーカンパニーを辞めたいです」

「辞めても良いけど、今より最悪な未来があるだけだよ。天才、神童と騒がれる裏にある、妬み、迫害、差別、イジメ。普通の学生と同じレベルで同じ学校生活、日常生活には戻れない。それを覚悟で辞めな」

インスタントハッピーカンパニーは、天才高校生集団だか、殆んどの研究員は海外で飛び級で大学レベルの学位を持つか、日本で、才能があり過ぎて集団から、他人と同調できない人間として迫害され高校中退や引きこもりで学校に行かないなどの理由で才能を充分に発揮できない人材が混じっている。

 ザー、ザーと、まるで台風のように滝のような雨が地面を叩きつけている。

 双眼鏡を外して、赤いフレームの眼鏡女子が「プロジェクトには犠牲がつきもの」と呟いた。

「誰も死んでいないですよね。南場さん」

「予定では、けが人はでるだけで此処まで酷い事にはならない筈だったのに。仕掛けた場所より手前で脱線したみたいだし」

「はい……あー。アタシ、これで…もう犯罪者だぁ。お母さんとお父さんに顔向けできないよぉ」と泣き出した。

 雨に打たれながら、傘もレインコートも無しに坂道を駆け下りていく。



ー 沼川市・佐々山電鉄本社 ー


8月2日。 同時刻

佐々山電鉄本社は、群馬県沼川市内にある。

群馬県沼川市は、榛名山の麓にある都市。

関越自動車道が縦断し、利根川、そして県内有数の温泉地である渋沢温泉への玄関口。

佐々山電鉄株式会社の本社は、JR上越線・吾妻線の沼川駅から一つ目の沼川本町駅構内にある。

沼川本町駅は、上り線と下り線の1面2線のホームと5本の留置線とピット検修車庫線を持つ車両基地を併設。

その奥の敷地に、鉄筋コンクリートの三階の本社と、車両区、電力区を兼ねた変電所、保線区、労働組合がある。

 一階は鉄道運輸部と自動車部(バス事業撤退につき空室)、二階が会議室と事業部、三階が総務部と経理部、役員室。

 鉄道運輸部。

 部長、課長以下四名の社員。

 昼食の時間だった。

 運輸課と技術課があり、事務机があり奥にパーテーションで区切られた応接スペースがある。

 特筆するなら、壁に大きなパネルが設置された機器があり、全線の列車の運行状態が把握できる監視装置がある。

 現在、このパネルには小湯線に1本、本線に4本の列車が走行している表示灯が点灯している。

 佐々山指令と呼ばれる運行管理者は、車内では運転指令と呼ばれ、全線の列車運行情報が表示されるモニターを見て監視や指示、異常時には列車の運転整理を行う。

 重要なのは、簡易電子閉塞方式と呼ばれる装置で、運転士が運転席のリモコンで出発信号機という信号の直下にあるセンサーに向けて信号を送信。本社のコンピューターが閉塞と呼ばれる一区間に一列車しか走行できない絶対条件を認証した後に、当該信号機に緑色の進行信号を現示する。

 追突や正面衝突が起きないで列車は次の区間に安全に進める。此処は、その状況を監視する司令設備がある。

「112列車。渋沢駅30秒延で発車ですね」

 課長の木暮が、日替わりの安い仕出し弁当の主菜である味が濃いだけのコロッケを一口食べてから

「なんで遅れたの?本線の接続?」

 木暮は、数年前に転職してきた元自衛官。

「小湯線の方は、凄い豪雨らしいですよ。たぶん。それですね」

「そうなん?こっちは晴れてるんだけどなぁ」

 書類やファイルが乱雑に置かれている窓の隙間から外の様子を確認する。

「落雷で停電とか勘弁して貰いたいですよね」との問いかけに木暮は、ハァと深い溜息を吐いて「不正の後始末か」と呟く。

 これから面倒事が始まる。

「112列車が無事に通過してくれると良いけどなぁ。不正工事かぁ。クソ会社に落ちぶれたもんだな」と再度言い直した。

 小湯線では、いま走行している112列車が終点の佐々山駅に到着したのを確認後に線路の緊急工事を行う。

 確実に、午後は遅延や運休列車が出る。

 既に、代行輸送用に抑えていた地元のタクシー会社からは、配車準備が完了している旨の返答は貰っていた。

 この緊急工事は、電車の運転士から線路異常の報告を受けた段階で緊急的、速やかに行うべきだった。

 それが、社長の指示で危険な状態の線路を最徐行という、人命を危機に晒した最悪の状態で運行を続けていたのだ。

 お客様の生命を預かる輸送事業者として、絶対に選択してはいけない判断だ。

 監督官庁である地方運輸局に知られれば、即座に特別監査が執行され、厳しい処分が下される案件。

 事の始まりは、午前6時過ぎの防護無線。

 始発列車を渋沢駅から佐々山駅に送り込みで回送列車が走った。

 この担当運転士が、現場で緊急停止をして、異音と激しい動揺を感知したと報告をしてきた。

 現場に点検に向かった保線区長から、直ぐに列車を運休にさせて緊急工事をしないと事故が起きると言われた。

 しかし、緊急工事は行われなかった。

「なぜ列車を止めて点検をしないのだ」

 現場の駅、運転士、保線区からクレームが続出した。

 問題は、佐々山電鉄社長にあった。

 その区間は、過去に不正工事をしていた。

 佐々山電鉄は、本線は国土交通省関東運輸局が監督官庁として管理している。

 支線の小湯線だけが防衛省管理になっている。

 世間体があるので便宜上は、小湯線も関東運輸局管内という事になっている。

 この事は、世間には知られていない守秘義務が絡んでいた。

 補助金も、本線と小湯線も国交省の近代化補助を受けている事になっているが、実際は小湯線だけが航空自衛隊基地相当交付金から賄っていた。

 世間の目を欺く為に、交付金も地方運輸局経由で受給され監査も関東運輸局の担当官が現地に来ていた。

 小湯線の交付金の件は、野党が一時期政権を交代した時に発覚した。

 小湯線は、JRならば確実に廃止論議が出て代行バスなどの話が出ているレベルの乗降人員しか利用がない赤字路線。

 そんな赤字路線の小湯線が、国の補助金で運行されている。指摘は仕方が無い。

 政権が戻った後に「自衛隊には鉄道部隊が無い為、大規模災害時の復旧訓練で確保していた」と苦しい弁明。

 丁度、南海トラフ地震の発生確率が深刻化していた時期なので国民もマスコミも騒がないで世論は感心を持たれなかった。

 佐々山電鉄も、乗客減で経営が逼迫して群馬版上下分離方式の議論が出ていた。

 いわゆる、経営と施設管理の会計を分割。独自採算の地方鉄道の経営を軽減。

地域のインフラを守る手法だ。

 財源は、群馬県、沿線自治体(人口により割合が異なる)となる。

 税金なので鉄道を使わないマイカー移動の人は不平不満を言う。

 それ以上に怒っている人達が居た。

 来月9月に、小湯線は鉄道事業法に基づき国交大臣に廃止届けを提出後、一年後にバス転換する。

 渋沢町と佐々山町は行政も沿線住民は「公共交通を守る補助金を貰うために小湯線廃止は本末転倒」と怒りを露わにした。

 法定会議という国や、群馬県、沿線自治体と関係者、そして沿線で鉄道を支援する市民団体が参加する。

 市民団体が存在しない佐々山電鉄は、高校生応援団である佐々山電鉄応援団が出席していた。

 この応援団に、鈴木優という見た目は女子みたいな男子が、大人顔負けの交通政策の手腕を振るい住民の合意形成を決めて、一年間だけ小湯線の廃止が伸ばされる方向に向かっていた。

 それが、8月2日の午前に小湯線一年間に限り群馬県と沿線自治体が助成して運行を継続という決定がなされる理由だ。

 丁度、渋沢町役場で佐々山電鉄の亜羅神社長と、高井戸常務が参加していた会議。

 ゆえに、会議が終わるまでは小湯線の不正工事で運転見合わせという不祥事は隠したかったのだろう。

 その会議は12時で終わっている筈だ。

 だからこそ、今頃になって小湯線の緊急線路工事を遅ればせながら始めるのだ。

 課長の木暮は「優くんも、交通政策の神童と呼ばれる雨宮京子ちゃんを泣かしちゃうくらいだから大したもんだよ」

「あー。京子ちゃんって有名な凄い美少女。交通経済学の日本屈指の雨宮教授の娘さんですか?泣かしちゃったんですかぁ」

 たぶん、佐々山電鉄応援団の高校生二人も112列車に乗っている。


     ♢

 突然、事務所の蛍光灯が消えた。

「おっ。停電か?」

「直ぐに予備電源に変わりますよ」

「おっ。点いた」

「まさか?小湯線の方で落雷でもあったか?」 

 鉄道会社の人間は、列車の動く時間帯は気が休まる時が無い、事故やトラブルは突然発生するからだ。

 暫くして、本社だけが別契約の東京電力の回線に切り替わり、電源は回復し点灯したが、佐々山電鉄全線で停電が発生。

「変電所かよぁ。参ったな」

「沼川本町変電所と渋沢変電所、佐々山簡易変電所の三カ所が重故障。現地でリセットですね。まぁ原因が解らんとですが」

 佐々山電鉄の三箇所ある変電所からの配電が全て休止している状態で、佐々山電鉄の列車も停止している事になる。

「電力区は?」

「はい。いま区長から連絡が来て。点検に行くそうです」

 プルプルプル……。

「はい。佐々山指令。はい?」

「どうした?」

 司令員が電話の受話器を抑えながら

「渋沢駅の助役からで、一般からの通報で渋沢ー地獄沢駅間。小湯線で電車が事故を起こしたらしいです」

「事故?踏切事故か?」

「なんでも先頭車両がグチャグチャになっていて県道の自動車も数台巻き添えとか」

 耳を疑いたくなる報告。

 誰もが、悪い夢であって欲しいと願った。

 誤報であって欲しいと願う。

「誰か現場に確認を出せない?112列車の運転士に連絡を取れないの!」

 木暮は、小湯山の基地を狙った陽動の可能性を疑った。小湯山には国民が知らない国家機密、いやアメリカをも揺るがす危機が眠っているのだ。

 一般人の指令員と違い、自衛隊出身の木暮は、別の最悪のシナリオを考えて居た。

 電車事故よりも、いま正に日本政府、アメリカ政府まで巻き込む、世界規模の大きな事案発生の最悪のシナリオ。

 木暮の考えとは余所に、鉄道会社の社員としては列車状態確認の方が急務。

 ピピピピピピ……

「おいおい。防護無線って……」 

 防護無線とは、運転士が危険を察知し周囲の列車にも危険が及ぶと判断した場合に運転席にあるボタンの押下で周囲の列車に緊急停止を知らせる装置だ。この断続音を聞いた運転士は即座に列車を安全な場所に停車させる義務がある。

「はい、こちら佐々山指令です。防護無線叩いた列車は無線で連絡を願います」

『こちら……小湯線の112列車……脱線事故発生……』

「脱線?小湯線の112列車」

「……電車が脱線してます。けが人が大勢出てます。道路に落ちそうです……」

 この交信から通信が途絶してしまった。

「おいおい。マジで112列車かよ。脱線?まさか不正工事の区間だとしたら大事だぞ!」

「けが人が大勢?」小暮が怒鳴った。

「道路に落ちそうって。県道側に傾いているって事か?」

「おいおい、三階の役員呼んで来て!あー。マジかよぉ。何処から手を付けて良いか解らねぇ」と司令員が頭を抱えている。

 プルルルル……

 電話が鳴り響く。事務室の全ての外線だ。

 プルルルル……

「はい。佐々山電鉄です。はい、申し訳ございません」

「佐々山電鉄です。踏切が鳴りっぱなし。はい、直ぐに手配します」

 途中駅間で停車中の列車の乗務員も無線を聞いて動揺している筈だ。

 駅間の本線上で運転を見合わせているプロフェッショナルの電車運転士なら復旧に時間を要するのは理解している。

 まして、佐々山電鉄の本線は榛名山の麓と中腹までの40‰(パーミル。1km進むと40mの勾配差)が連続。

 電源が消失したということは、ブレーキを掛けている圧力空気を作るコンプレッサーが働かないという危険が伴う。

 列車は、圧力空気でブレーキを掛けたり、緩めたりするので電気が消失したという事は急勾配を逸走する危険が出てくる。

 運転司令所に重複して無線で問い合わせてきた。

「えっと落ち着いてください。とりあえず手歯止め!手ブレーキ。あと電磁吸着制動。兎に角、転動防止を最優先に!」

 それでも乗務員達は「乗客が不審に感じて騒いでいます」とか「駅まで歩かせて良いですか?」と問い合わせてくる。

「えーと、非番の乗務員を手配して誘導や安全確保をしてからですねぇ。えーと、少し時間をください」

 プルルルルル……

「はい、佐々山電鉄です。え?新聞社?取材?会見?すいません。いま取り込み中なので。はい、必ず……」

「おい。マスコミには詳細が解るまで回答するなよっ!」

 プルルルルル……。

 電話を切る度に、トラブルやクレームが増えるだけだった。

 渋沢駅の駅員に現場へ係員を手配をする間に、沼川警察署と沼川広域消防本部の指令から事故情報を得た。

「警察から写真が来た」

「見せて!」

 いつも見慣れている自分の会社の電車が、スクラップみたいになっていて、開いているドアからオレンジ色のツナギを着たレスキュー隊が、腕をだらんと垂れ下がっている小学生の女の子を救出している画像だった。

「大惨事じゃないか!あー。どうなっちまうんだよぉ」

 誰もが、トンデモナイ事が起きている事を実感した。

 今後、間違いなく訪れる加害企業としての地獄の日々が来る事を想像した。

「運輸局に一報するか?一番早く事故現場に入れるの誰?」

 運輸部長が「佐々山駅構内で保線区が待機している筈だ。あと近くに居るのは亜羅神社長と高井戸常務だろうな。さっき連絡が取れて現場に向かうそうだ」

 運輸部長は小声で「木暮くん。悪いが防衛省の方にコンタクトをとってくれ」と耳元で喋った。 

 運輸課長の木暮は、コクンと頷き「すいません席を外します」と本社の社屋を飛び出し、防衛省に電話をかけ始めた。

 外では消防署の方から、消防車や救急車のサイレンがけたたましく鳴り響いている。

「木暮だ。神林さん居るか?直ぐ連絡が欲しい。予備自衛官の警戒態勢が必要かも知れない」

「あぁ。予備自衛官。地獄沢の鈴木さん。優くんが当該列車に乗ってるらしい。まぁ任務に支障は無いと思うが……」

 電話を切ると、木暮は頭を掻きむしり「あぁ、長い一日になりそうだなぁ。畜生」とタバコに火を付けた。

 木暮は、ふと自衛官時代に群馬県の御巣鷹山での飛行機墜落事故で、航空会社の社員が遺族から罵声と非難を受けている光景を思い出していた。

「腹を括るか」とタバコを地面に落とし靴で火を消した。

 鉄道運輸部に戻ると三階から総務部長や経理部長、事業部長も駆けつけていた。

 プルルルル……。

人が増えていた。

 スーツ姿の幹部達は、上着を脱いで白いワイシャツ姿で、ハンカチで脂汗を拭いていた。

「悪夢だよ!まったく悪い夢であって貰いたいよっ」

「運転士は?」

「藤原くんだよ。運転席と架線柱の間に挟まれてレスキューが対応中。意識はあるそうだが…」

「乗客は?」

「佐々山小学校の生徒だ。夏休みだから沼川市内の温水プールの帰りに巻き込まれてる18名。あと優くんと美佳ちゃん。渋沢町役場の群馬版上下分離方式の最終審議の帰りに乗って居た。小湯線を守る会議。その小湯線で事故に遭うとは残酷な話だよ」

 プルルルル……。

「その亜羅神社長と高井戸常務は?」

「高井戸常務は取りあえず現場責任者で指揮を執ってもらっている。社長が何処か解らんが行方不明だ」

「行方不明だ?逃げやがったのか?」

「高井戸常務の話だと、運転士の藤原くんがドクターヘリで前橋日赤へ搬送。美佳ちゃんが右腕骨折の可能性。あとはガラス片や床に叩きつけられたらしくて軽傷」

「あの事故で死者が出ないのは不幸中の幸いだな」

「ただ問題なのは、事故調が入れば間違いなく明日の一面は、佐々山電鉄の記事で埋め尽くされる……」

「いや、明日どころじゃない。最悪、今晩にも事業改善命令が出て運行停止処分だ。覚悟しておいてくれ」

 反省をする間も与えられず、電話対応と事故の詳細についての情報収集が再開された。

 もともと小湯線は9月で国交大臣に廃止届け提出。

 一年の猶予期間後に鉄道線路の廃線。

 そんな線路に多額の近代化補助を盛り込んで、実際は全く関係無い本線に監査後、レールを横流しをして、本来整備されて一番安全な筈の小湯線が中古レールを代わりに組み込んで、その結果がコレだ。

 運輸部長は「今朝、始発の運転士が今回の事故現場で異音と動揺があるって連絡して、点検したところフランジがレール踏面に乗り上げた形跡があるって事で保線区長が運転見合わせの上申をしたのを社長の指示で無視しました。結局、社長を説得して最徐行をさせて、第112列車が通過後に緊急点検をするために曲線部の護輪軌条を事前準備で取り外したのも複合したのかも知れません」と報告する。

「俺達は鉄道の専門的な事は解らんが。社長が運転見合わせの上申を蹴ったのなら、運休や点検をすれば運輸局の監査で発覚するとか考えての事だろうな。ったく。不正工事の挙げ句、小学生20人近くを巻き込む大惨事ってマスコミが五月蠅いぞ」

「どちらにしても事故調が入れば確実に小湯線の不正工事が明るみにでるぞっ」と経理部長が怒鳴った。

 鉄道運輸部長は「そんな事より乗客の安否と救助でしょ!怪我をしたの子供ばかりだ。初期対応が最優先なんですよ!」

「すいませんが、手分けして全社員、明け番も休暇の社員も呼び出して病院と関係者、マスコミ対応をしましょう」

 ある程度、情報収集が完了し運輸部長は電話の受話器を上げた。

 「もしもし。群馬県の佐々山電鉄です。はい。小湯線で脱線事故発生です……」

ー 東京・首相官邸 ー


 首相官邸の地下にある会議室。

 国家安全保障会議が開催されていた。

 議題は、佐々山電鉄小湯線の脱線事故。

 当たり前だが、田舎の電車が脱線しただけで、日本政府が会議をするなんて話はあり得ない。

 しかし、日本だけでなくアメリカ合衆国にとっても緊急事態であり、世界情勢に発展しかねない緊急課題だった。

 太平洋戦争終戦後、マッカーサー率いる進駐軍が、旧・日本陸軍の軍用地を接収。

 佐々山電鉄小湯線は軍用線路であり、小湯山トンネルは天然の山を掘削した弾薬庫だった。進駐軍からすれば接収対象施設。

 返還された筈の小湯線と小湯山トンネルが、書類の不備が原因で、現在まで未返還領土である事は日本政府とアメリカ政府で情報管理されている。

 この件は、日米の両国民に隠されている。

 小湯線を、日本政府は航空自衛隊基地相当の交付金で渋沢町、佐々山町、佐々山電鉄に支給して維持していた。

軍事に詳しい人間なら納得する話として、アメリカ本土では軍事基地の多くは地上の滑走路を有する基地以外で機密性の高い重要基地程、山岳地の山の中に密かに建造される事は常識であり、小湯山の山中に何らかの米軍基地があるとしても常識の範囲内だという。

 それは、裏を返せばアメリカ本土を危機から救う重要基地が在る事を示している。

 実際に、それが稼働しているとしたら?

 国民に隠された小湯山の弾薬庫跡地に無人のアジア圏内各国からアメリカ本土に到達する長距離弾道ミサイルの監視する小規模な基地。

日本政府もアメリカ国防総省も、小湯山基地周辺で発生した大惨事を警戒するのは当然な話だ。鉄道事故を陽動にテロ。

 既に、航空自衛隊熊谷基地所属予備自衛官六名が、私服でトンネル付近の警戒を行っている。

 雨宮首相および関係閣僚が円卓に座り、壁に埋め込まれた複数の情報モニターを見ながら分析官達の情報を聞いていた。

 「アメリカ軍事企業のドシキモ社。小湯山基地の民間委託化を狙っている情報が公安から上がっています」

 ドシキモ社は、アメリカの軍事企業だ。

 防衛庁幹部が「しかしドシキモ社は、今回は動いておりません」と補足をした。

 雨宮総理大臣は「じゃぁ、単なる鉄道事故なんだね」と安堵した表情で席を立とうとした。

「総理。お待ちください」

 それを制止したのは官房長官だった。

「ドシキモ社は直接関与しておりませんが、その……世界中からスカウトされた各分野の天才高校生の組織があります」

「なんだ?天才高校生?胡散臭いな」

雨宮首相は興味が湧いたらしく着席した。

「えぇ。インスタント・ハッピー・カンパニー研究所という大人顔負けの頭脳と知識を持った高校生組織です」

 防衛省の資料に、天才高校生集団インスタント・ハッピー・カンパニー研究所という名称が記載されている。

「まさか?その高校生達が……事故を起こしたというのか?」

 ざわめく会議室の官僚と関係者達。

 「世も末だな……この平和国家の日本で、そんな馬鹿げた事ができるのか?何が目的なのか?」

 分析官は「RRMS計画」と説明した。

「ララムス計画だ?」

「はい、レールアンドライドモビリティ システム の略で頭文字をとってRRMSと称します」

「それは軍事目的か?」

「いえ。次世代交通の研究と開発、運用を目指しているようです」

 雨宮首相は「そのRRMSという奴と今回の事故の何の因果関係がある」

「世間では次世代交通研究という事になっていますが、敷設には佐々山電鉄小湯線の廃止が絶対条件です」

 官僚達は、耳を傾けた。

「RRMSを実用化するには、その小湯山基地がある小湯山トンネル。ドシキモ社の本当の目的が小湯基地の民間委託化。どんな手段を講じても佐々山電鉄から小湯線の経営権を奪わないと何もできません」

 雨宮首相は

「そもそも小湯線とやらは、国交大臣に聞いたところ、来月9月には鉄道事業法による廃止届けが提出される予定らしいな」

 国交大臣が挙手をして

「その予定でしたが……地元の高校生。えーと確か。佐々山電鉄応援団という組織に優秀な高校生が居て、群馬県や沿線自治体にが佐々山電鉄に補助金を出す方向で一年間の執行猶予を取りつけてます」

 雨宮首相は「あー姪の京子が、群馬に交通政策の凄い子が居るって言っていたな。たぶん、その子だろうな」と苦笑した。

「首相の弟さん。日本を代表する交通経済学の権威。その愛娘の京子ちゃんも中学生ながら天才的な交通政策の担い手。その京子ちゃんを悔しがらせる高校生ですか」

 雨宮首相は

「どうだね。高校生の喧嘩に日本政府が出るのはフェアじゃないよな。日本政府も高校生を出さないか?」

「まさか?」

「その群馬の高校生集団。えーと、なんだっけ?」

「佐々山電鉄応援団です」

「そう。日本の平和。いや世界平和を佐々山電鉄応援団に委ねないか?」

「いや……しかし」

 官僚達は困惑していた。

「子供の喧嘩に親がでるような物だよ。まして高校生の喧嘩に日本政府が出る。そっちの方が有り得ないよ」

「しかし……」

「公式に日本政府が出しゃばって、実は70年以上も前から国民を騙し隠された未返還領土に米軍基地がありましたって言う気か?それにアメリカも自国に到達する長距離弾道ミサイルの兆候を把握する基地だ。穏便に済ませたい筈だ」

 防衛大臣は「当然。小湯山基地の件は日本国民も騒ぎますが、隣国とも緊張状態になります。水面下で穏便に今回の事象を解決するには総理の仰る通り、高校生の喧嘩で収めるのが得策かと」

「うん。助かる」

 防衛大臣は「そうですね。防衛大と工科学校。そして監視役で神林という男を付けます。それで如何でしょう?」

「任せるよ」

 国交大臣は「佐々山電鉄の脱線事故の処遇は?事故調には口の堅いメンバーを群馬に派遣してます」

「事故だ。不正工事。それで発表して欲しい。平和国家の日本で無差別テロなんて話は最初から無い!」

 数時間後、現場に到着した航空鉄道事故調査委員会より、簡易的な脱線器らしい仕掛けが確認されたという報告が入った。

 フローと呼ばれるレールのササクレのような形状で、警察も本職の保線係員ですら見分けがつかない仕掛けだったらしい。事故原因は不正工事として処理された。


佐々山電鉄株式会社

 代表取締役社長  亜羅神 真一郎 殿                           関東運輸局長

     安全確保に関する事業改善命令


 20××年8月2日に発生した、貴社線渋沢~地獄沢駅間(渋沢起点2km260m)における列車脱線による鉄道運転事故を受け、関係者に聞き取りを行った際に、同日同区間において始発回送列車乗務員より異音、動揺があり点検が必要な旨の報告があったにも関わらず、必要な点検を行わず脱線事故の当該列車まで放置した事、小湯線の近代化補助において不正に受給し監査後に事故現場に敷設される筈の軌条及び枕木を許可無く別区間へ移設敷設し、当該区間に劣悪な発生品(軌条及び枕木)を敷設した事が今回の事故の一因であると疑われる事から、貴社は鉄道事業者として基本的な責務遂行に反するものであり、旅客の生命と財産を輸送する鉄道への信頼を大きく失墜させる行為と言わざるを得ない。

 なお 改善の措置及び貴社係員教育実施、再発防止処置が完了するまでの間、貴社線の全線にて鉄道運行の停止を命令する。


 事業改善命令。

 

 物凄く簡単にいうと、国土交通省の指揮下にある関東運輸局より「佐々山電鉄は法令違反をして、お客様を危険な目に遭わせたので、反省して同じ事故を起こさないように社員を教育指導して法令を遵守して施設も改善するまで電車を運行してはいけない」という命令が下された。


 普通は、滅多に即日運行停止という厳しい処分は来ない。

 指定されている期限内に、再発防止対応や施設改善をすれば運行は継続できるのが通常だ。

 不正工事をして隠蔽するために、危険な区間を点検すらしないで列車を走り続けさせた事は、お客様の生命を軽視している事として、滅多に無い厳しい命令が下された。

 マスコミは、運行停止の当日から駅でカメラを回し、代行バスの乗客積み残し、駅員に苦言を言う乗客を取材し始めた。

 ワイドショーでは、視聴者が撮影した動画を繰り返し放映する。

 救助に入った県道を走っていたトラックの運転士の話は現場の状況を鮮明に伝えた。

 「痛いよぉ。お母さん。助けて」と小学生が母親の名を泣き叫びながら救助される低学年の男子生徒。車内で延々と血なまぐさい淀んだ車内で、泣き声や苦痛に耐える声、噴き出す鮮血を抑え、ぐったりしている小学生の姿。失禁して恥ずかしそうにしている高学年の女子が泣きながら「お願い。見ないでください」と懇願していてレスキュー隊から毛布を借りて救助した話。

 床に散乱している真っ赤なテッシッュペーパー。本物の事故直後の様子を語る。

 そんな地獄絵図の中で、場違いにも陽気に鳴り響くアニメの呑気な主題歌の着信メロディ、戦隊モノの着信メロディ。

 その証言に被せてレスキュー隊が、怪我をした子供達を電車から救助する画像がエンドレスで放映されている。

 誰もが、今回の事故を起こした佐々山電鉄を憎み、バッシングをする。


 テレビ局各社は、鉄道に詳しいコメンテーターや学者を招き、好き勝手に事故の分析を語り出す。

 夕方に到着した航空鉄道事故調査委員会が、脱線した列車や線路を調査する画像。

 事故当日の夜に、群馬県警の佐々山電鉄本社への家宅捜索の為、段ボール箱を持って隊列を組んで歩く姿。

 安全の確保は輸送の生命であるという額の前で、常務と幹部達が深々と頭を下げて謝罪する場面。

 単なる事故ではなく、不正工事を隠蔽するために社長の指示で点検をさせないで無理に列車を運行させての事故。

 世間は、それを絶対に許さない。

 翌朝、テレビ局各社は事故に巻き込まれた小学生達の家を突き止め取材を始めた。

 保護者の母親は「ウチの子は、電車に乗るのが怖いって言ってるのよ。トラウマになったら佐々山電鉄は責任を取れるの」と加害企業としての責任を追求していた。

 ワイドショーでは、よく知りもしないコメンテーターが適当なコメントを喋り、有名な交通評論家が赤字ローカル線の一般論を語る。

 翌朝になって、死者は二名になった。

 確かに、脱線した列車では誰も死なかった。関連死として二名死亡。

 一人目は、佐々山電鉄の代表取締役の亜羅神社長。

 事故現場の近くの山中で、ズボンのベルトで首を吊っていたのが発見された。

 二人目は、事故の列車とは別の列車の乗客で、停電で動かなくなった列車から降りて駅へ誘導中に行方不明になっていた。

 行方不明だった乗客の老婆が、線路脇の農業用水で溺死体で発見された。

 溺死したのは渋沢温泉組合の組合長のホテル伊藤の大女将だった。

 渋沢温泉のホテルオーナー、旅館経営者、そして遺族による盛大な葬儀が開催された。

 「何しに来たんですか!帰ってください!」

 「お婆ちゃんを帰せ!人殺し!」と泣き叫んだのは、佐々山電鉄応援団リーダーの佐藤美佳の親友である伊藤早苗だった。

 佐々山電鉄の幹部が、葬儀に参加しようとして葬儀前前で、警備員や親族に追い返される。

 全国ネットで放送され、加害企業としての遺族からの厳しい対応を全国ネットで放送された。

 民法のワイドショートは違い、NHKでは駅前での代行バスの混乱を全国に流していた。

    ♢

 即日、運行停止。

 マイカー通勤者が多く、鉄道利用者が減少している佐々山電鉄でさえ、バス輸送は絶対的な輸送量不足に直面した。

 二両編成の列車を、定員50名弱のバスに乗せ替えるのは始発の佐々電沼川駅、渋沢駅の発車時で満席となり、途中駅では積み残し、駅前に入れない代行バスが道路で客扱いをするため道路も大渋滞を引き起こした。

 誰も予想していなかった、マイカー通勤、併走する路線バスまでもが影響を受けている。

 沿線の交通網のパニック。

 佐々山電鉄の運行停止は、生活、観光、通勤、通学、にも影響する事が判明した。

 まだ夏休みなのだが、問題は新学期だ。

 学校へ通う高校生の通学に影響が出る。誰もが、直ぐに佐々山電鉄が運行を再開すると思って居た。

 しかし、それは様々な要因から上手く行かなかった。




第一章 【佐々山電鉄応援団(事故前)】


  僕は 鈴木優。

 まず、物語を語る前に僕の自己紹介。

 鈴木優。

 身長160cm。男子。

 自覚は無いけど第三者が、初めて僕を見ると必ず女子だと勘違いされる。

 現在は、高校一年生で群馬県立渋沢実業高校観光科に在籍している。

 親元を離れ、従姉妹の家から通学をしている。

 まずは、僕と美佳ちゃんがインスタント・ハッピー・カンパニー研究所から恨みを買っているかを説明するには二年前の中学生時代に話を戻す必要がある。


    ♢

 当時は、群馬県の県庁所在地・前橋市に両親と一歳年下の妹の麻友と住んでいた。

 前橋市は、赤城山の麓にある人口33万人の地方都市。

 利根川が流れ、萩原朔太郎ゆかりの地。

あの事件が無ければ、僕は今でも前橋市に住んでいたかも知れない。

 僕には、身体的な大きな悩みがあった。

 女の子みたいな顔と容姿。

 小学校までは可愛いと言われていたけど、中学校になれば”可愛いから気持ち悪い”に僕の評価は変わった。

 普通に歩いているだけで僕を女子と間違えて、すれ違いざまに「何だ。男かよ」と捨て台詞を吐かれる事が多い。

 学校でも、男子は僕と居ると馬鹿にされるからと距離を置く、女子は生理的に無理と嫌う。 親から授かった顔と容姿なのだけど、世間は見た目だけで勝手に判断して差別をする。

 性同一性障害の人から、冷たい視線でズルいとか贅沢な悩みと言われた事もある。

 特に、水泳の授業や公共の風呂、海水浴など身体を他人に見せるのは精神的に苦痛で、僕は極力避けていた。

 妹の麻友は、小学校5年生で生理が来たけど、僕は中学二年生でも精通が無い。

 代わりに、最近では少しだけ胸が腫れてきたというか、女子みたいにツンと張った小振りな胸まで膨らみ始めてきた。

 六月から学校の体育で水泳の授業が始まる。

それまでには、医者か両親に相談しようとは思っているけど未だに出来ずにいた。

   ♢

 中学二年生の四月。

 父親から予想もしない話を聞かされる。

「来週、従姉妹の愛理ちゃんと一緒に温泉に行く」

最初は、麻友は大喜びしていたが、詳細を調べてからは猛反対を始めた。

家族風呂。貸切湯という特殊な条件。 

 麻友は、自分のスマホで検索して、そのホテルの公式ホームページを開いた。 

”温泉成分及び衛生上の理由より、入湯の際にタオルを浴槽に浸けないでください。また水着や湯浴み着の着用での入浴はご遠慮ください”の注意書き。

 麻友は僕の顔を見て露骨に嫌な顔をしてから「常識的に無理!麻友。中1だよ。お兄ちゃんと混浴は無理」と騒ぎ出した。

 僕も嫌だ。学校の水泳を待たずにピンチ。

 麻友がホテルに電話をした。

麻友は、電話をしながらホッとした顔になり「女性はホテルが用意した湯浴み着を貸し出すって。持ち込みだけは禁止らしいよ」

 電話を切ると麻友は僕に「男性もね。入る時と出るときだけ気を付ければ濁り湯で身体は見えないって」と言った。

 通常なら僕は入らないと拒絶する案件。

 今回は、従姉妹の愛理の願い事だからだ。

愛理の頼み事は、僕達家族は断れない。

僕が小学校6年生の時だ。

叔父夫婦から、愛理を紹介された。 

子供に恵まれない叔父夫婦。

施設から里子で預かっている子。

 愛理は、人見知りをするタイプで僕と麻友とは距離を置いていた。難しい子だった。

 その愛理が、自ら僕達と交流を図ろうとしている。

 それは嬉しい話だけど、なぜ愛理が自ら混浴という面倒な選択肢を選んだのかは理解に苦しんだ。

 麻友と愛理は、湯あみ着で身体を隠せるけど、男子の僕はスッポンポンで入浴。

タオルも使えない状態で上手に隠し通せるか不安になっていた。

なによりも、家族にすら相談が出来ない胸の件もあり、従姉妹の愛理に知られるは何としても避けたい。

バカバカしいけど、あえて風邪をひこうとか愚策を考えた程だ。


   ♢

温泉に行く当日。

 朝8時に、自宅脇のガレージから父親の運転する自動車で前橋市の自宅を出た。

 ゴールデンウィーク前の週末は地球温暖化の所為なのか少し汗ばむような初夏を思わす気温になった。

 僕は、山の方の温泉なので気温差があると思い長袖を着ていた。

 麻友は薄手のワンピースを着て居て、寒くなったらカーデガンを着るから大丈夫と言っていた。

 途中で愛理を乗せて、関越自動車道で北上するルート。

 榛名山の中腹にある佐々山町の叔父の家まで一時間弱で到着した。

 ホテル鈴木。

 叔父の家は、低温の源泉が湧く地獄沢鉱泉という場所で個人経営のホテルを夫婦で営んでいる。

 佐々山電鉄小湯線の地獄沢駅前にある個人経営の三階建てのホテル。

 自動車を降りると、前橋市より標高が高いので寒いと思っていたけど気温差は無かった。

 僅か、前橋市から自動車で一時間ほどの距離なのに、とんでもなく遠出したような錯覚をする場所。

 周囲を山々に囲まれ、佐々山川渓谷のザーッと心地よい清涼感ある渓流を流れる水の音。

 なんとなく、子供の頃から好きな場所。

 無人駅で、短いプラットホームとジュースの自動販売機、ベンチがあるだけの小さな駅に老婆が一人。

 一時間に一往復しかしない小湯線の二両編成の電車が、ちょうど小湯山トンネルを出てくる処だった。

 カンカンカンカンと赤色の踏切警報機が交互に点滅をして、黄色と黒の遮断機が降りていた。

 ゴーッ、ゴーッとトンネルの中から轟音がしてライトが見えると山吹色の電車がトンネルから飛び出してきた。

 地獄沢の名前の由来である砂防ダムのある小さな沢を跨ぐ緑色のガーダー鉄橋を轟音を立てて渡ると駅に停車した。

 駅員も車掌もいないので、運転士が路線バスみたいに、ドア扱いや精算をするため先頭車の一番前のドアだけが開く。

 老婆は、慣れた感じでオレンジ色の機械から整理券を抜き取ると運転士はドアを閉めて電車を発車させた。

 鉄道が好きな僕は、その様子を興味深く眺めていた。

 叔父達から、この小湯線が近いうちに廃止になるかも知れないという話は聞いていた。

 むしろ、いままで廃止の話が無かった方が不思議な路線だと感じていた。

 伯父夫婦が経営しているホテルも、小湯線が廃線になれば大打撃になる。

「なんとかならないか?」と叔父から相談を持ちかけられる。

 僕は鉄道も好きで、前橋市の中心商店街で活動をしている交通とまちつくりの市民団体にも参加していた。

顧問をしている高崎交通経済大学の中島先生から、前橋市に限らず群馬県の公共交通についてレクチャーは受けていた。

 愛理も、小湯線の存廃について僕に相談があるとしたら、今回の温泉ツアーは僕の我儘での不参加は良くないと感じていた。

 愛理がホテルの自動ドアを抜けて駆け寄って着た。

 まるで、朝のテレビのモーニングショーとかの清楚なワンピースを着た女子アナみたいな格好だった。

 愛理は、背も伸びて大人っぽい服を着ていたので別人みたいになっていた。

 そんな大人っぽくなった愛理と一緒に温泉に入る事になると思うと憂鬱な気持ちが余計に増幅した。

「おはようございます。今日は、よろしくお願いします」と愛理が挨拶をして乗ってきた。愛理は動揺も悪びれる様子も無い。

「じゃあ、出発するか」

 叔父夫婦が、ホテル前まで出てきて僕達を見送ってくれた。

 関越自動車道の沼川インターチェンジから高速道路に入った。

 一般道と違い、防音壁に囲まれた単調な道路。

 沼川インターを過ぎると山が迫り、勾配が続きトンネルが増える。

 一般道に降りて暫く走ると、そのホテルが見えてきた。

 到着したのは、山の上にある温泉ホテル。

テニスコートや夏季限定らしい屋外プールがある。予想していたよりも、少し大きくてグレードが高そうなホテルだった。

 日帰り入浴という気軽さが無ければ、僕達には縁のないホテルでもある。

 グレーの制服を着たホテルマン達も、場違いな家族に嫌な顔もせずに「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれた。

「日帰り入湯で家族風呂を予約した鈴木です」大理石のフロントカウンター。

「はい。鈴木様。鈴木愛理様でのご予約ですね」

「お一人様の通常入湯料の他に、貸切湯は追加料金が加算されますがよろしいですか」

 会計を済ませて、家族風呂のあるエリアに移動する。

 お母さんと麻友、愛理はレンタル用の湯浴み着をスタッフから受け取っていた。

 麻友が歩きながら、湯浴み着を広げた。

ワンピースみたいな着衣式。

愛理はようやく「優ちゃん、水着はダメよ」と言うと、何処で調べたのか僕を納得させて従わざる得ない説得力で説明を始めた。

「レジオネラ属菌という温泉施設では死活問題に成りかねない衛生上の管理は、確かに家族風呂や貸切湯など個室で監視が困難な風呂なら尚更、厳重にしないとダメ」

 それは交通政策とまちつくりをする僕には絶対服従の呪文。納得するだけの科学的根拠を備えた説明。仮説、調査、結果。相手への説明、理解を求め実行して貰う。

 愛理は「ちゃんと回避方法を考える時間は与えたわよ」とクスクスと笑う。

 僕は試されていたらしい。

伯父夫婦は、愛理は中学生というより大人的な思考をする賢い娘と自慢していた。

麻友は僕を見て「お兄ちゃん。悪いね」とニヤリと笑ったけど、愛理は顔色一つ変えずに廊下を歩いていた。

 家族風呂は、内湯と露天風呂があるそうで、同じ区画の貸切湯は3部屋並んでいる。

 その一つが指定された家族風呂で、既に2部屋が使用中の札になっていた。

 麻友は「どんなお風呂か見てくる」と掛けだした。

 お母さんが「コラっ麻友。走らない!」と怒鳴ると「あの子。ホントに中学生なのかしら」と嘆く。

 麻友が歓声を上げているのが聞こえた。

 脱衣場は一応はパーテーションで区切られ、たとえ家族であってもプライバシーは確保されているようだ。

 僕達は、服を着たままで裸足になり貸切湯という施設を見学する事にした。

高級そうな大理石の内風呂。

浴槽は5人ぐらい一緒に入れる大きさ。

洗い場は2つ。

露天風呂は、展望式の湯船で海外の有名ホテルにありそうな断崖絶壁な部分から湯が滝のように落ちるような仕組みで、湯船だけは隣接する三つの露天風呂とは繋がっているらしい。さすがに浴槽だけが繋がっているけど目隠しで近隣の様子は窺えない。

 山々に囲まれ、青い空には白い雲が流れ、鳥が鳴き、川のせせらぎ。

 確かに、入らないのは勿体ない。

 恥ずかしさよりも、今すぐにでも温泉に入りたいという気持ちになった。

 僕は背後から誰かに押されて、服を着たまま露天風呂に突き落とされた。

突き落としたのは、確認していないけど位置的に愛理だと思う。  

 硫黄臭い湯と、ヌルっとした浴槽の床でまた転倒した。

 ケガはしなかったけど、水着でもダメな浴槽に服を着たまま転落したので怒られると思った。

 ホテルの人に、あとで説明して許して貰えたけど服が濡れてしまった。

 着替えなんか持って居なかった。

 愛理が「優ちゃんが嫌じゃなければ愛理の着替でも着てれば」と進言してきた。

 鞄から出してきたのは ブルーの地味なワンピースだった。

 僕は脱衣場で着替えた。

 僕のお父さんも、お母さんも口には出さないけど何か言いたそうだ。

 でも麻友は「キモっ」とクスクスと笑う。

 愛理が「へぇ。優ちゃん。本当に男?マジで愛理より可愛いよぉ」とお祈りポーズをした。

 既に、僕は風呂に入るような気持ちは無かった。

愛理も「アタシもパスします」と言った。

 僕と愛理はロビーに戻りソファに座る。

「うふふっ。予定通り」と愛理は笑う。

愛理は、周囲をキョロキョロと見渡してから「奴らはいないな」と呟いた。

 僕を風呂に突き落として、事前に女の子用の着替えを用意していた理由。

 僕は「何が目的?押したでしょ」と一番気にしている事を聞いた。

「うん。押したよ。そうしないとマジで混浴しちゃう流れだったからねぇ。それとも愛理と一緒に入りたかった?」

 計画犯だった。

 愛理は、温泉とか家族風呂の件は目的ではなく手段だと言う。

「目的じゃ無く手段?」

「此処のホテルに来るには、電車の駅は遠いのと路線バスは廃止されて無い。自家用車かタクシーだけなのよ」

「あー。なるほど。温泉に行きたいって話は此処のホテルに家族で自動車で来るようにする為の手段なんだぁ」

 愛理はコクコクと頷いた。

「群馬県の公共施設とか観光地、楽しい場所は殆ど自家用車利用が主体で計画され建設されるのよ。マイカー依存の失策」

 愛理の言うとおりだ。

 列車の本数が少ない、駅から遠い、挙げ句に路線バスが廃止になっていたりする。 

 観光地だけでなく、地域で生活している人達も買い物ですら自動車が無いと自宅から移動が出来ない。

 愛理は「優ちゃんに最初のミッションです。雨宮京子ちゃんとお友達になって貰います。そのために女の子の恰好が必須なの」 

 どうやら、風呂に突き落とされたのも作戦の一つらしい。

「今日、このホテルで交通経済学者の雨宮教授が主宰する交通政策の勉強会があるの。メンバー制だけど」

 愛理の話だと、このホテルで午後から雨宮教授の勉強会が開催されるらしい。

「雨宮教授って。まさか交通経済学の権威の雨宮教授?著書は持ってるよ。うわぁ会いたいなぁ」

 僕が世話になっている、高崎交通経済大学の中島先生の師匠でもあり、交通政策界の神様とか言われている重鎮が雨宮教授。

「愛理が会わせてあげる」

 何故、愛理が雨宮教授の事とか詳しいのかは謎だった。

 それよりも、僕は神様みたに尊敬している人に会いたくてしかたがなかった。

 話をしたいし、質問なども沢山したい。

 でも、いまの自分の容姿が気になった。

「メンバー制でね。招かれない人は入れないの」

「じゃぁ僕はダメだね」

「でもね。去年の秋に猿山さんって福井県の中学生の女子だけが京子ちゃんの伝手で参加できたのよ」

「雨宮教授は娘さんかぁ」

「そう。父親に似ない超美少女。しかも中学生なのに交通政策とまちつくりの次世代の担い手。天才美少女」

「その雨宮先生の娘さんに気に入られればいいわけだね」

「雨宮京子は絶対に男子に自分から話掛けないのよ。だから優ちゃんは女子になりきって貰う必要があったのよ」

 愛理は、そういった。

 整理すると、愛理は何処からか雨宮教授の事や、教授の娘の事、僕が交通政策に関わって居る事を調べ尽くしていた。

 そして、このホテルで午後から開催される雨宮教授が参加を承諾したメンバーだけの会議に、娘の京子ちゃんの友達として紛れ込むのには、僕が女の子の服を着て雨宮京子から話掛けてくるのを待つという作戦らしい。

 愛理は「この資料。優ちゃんがホールの手前にある椅子に座って読んでいて。雨宮京子が話掛けてくる事を願いましょう」

 結構な厚さの資料を僕に手渡した。

 グリーンスローモビリティの資料。

 時速20キロ以下で公道を走行可能な少人数向けの小型電動モビリティ。

 いわゆる電車や路線バスなどの駅や停留所までのファースト・ラストワンマイル(自宅や目的地という連続移動をする為に最初と最後の移動手段)

 ゴルフ場の電動カートみたいなイメージで、冷房装置や窓が無かったり簡易的構造の車両が多い。

 この資料を雨宮京子って女の子が理解しているとなると、やはり雨宮教授のDNAは凄いと言わざる得ない。

 愛理は「優ちゃんも、雨宮京子に気に入られるように、この資料を読み解いて質疑応答をしないとダメなのよ」

「要するに、雨宮教授の娘さんと対等に会話が出来て、認められないと会場には招かれないって訳だね」

 愛理は、僕の髪型を鞄からブラシを出して整えだした。

 カチューシャを付けると、よしって顔をして僕を手鏡を見せる。

「麻友だ」

 よく麻友と姉妹に思われるけど、なるほどって初めて納得した。

「ところで愛理って何者なの?」

「国家機関の施設から派遣された女子中学生だよ。うふふっ」

「えー。嘘っぽい」

「あははっ。信じろって方が無理だねぇ。信じても信じなくても良いよ。そのうち嫌でも解るから」

「なんか。愛理って施設から来て、僕達と距離を置いて居て……って感じだったけど」

「そういう初期設定。アタシが施設から来たのは事実。違うのは国家機関の諜報の”施設”だけどね」

「それって本当なの?」

「ほんとうだよ。国民の生命と財産を守る為。指示命令があれば愛理は優ちゃんと混浴しちゃうよって話。まぁ入らないけどね」

僕は、意味が解らなかったけど想像したら急に恥ずかしくなった。

「あははっ。愛理で興奮してくれるんだ。嬉しいな。まぁ、今回は愛理じゃなくて雨宮京子を落としてきて。国家の為に闘うの」

「国家のため?闘う?」

「あー勘違いしないでね。別に銃火器を持って戦闘する訳じゃないのよ。頭脳戦で闘うのよ」

「頭脳戦?」

「インスタント・ハッピー・カンパニー研究所って知ってる?」

「うん。アメリカのドシキモ社が世界中の天才高校生達をスカウトして研究費や大学、企業に斡旋する奴?」

「そう。そのインスタント・ハッピー・カンパニー研究所が動き出しているの」

「どういう事?まさか僕を狙っているとか?」

「自惚れないでね。インスタント・ハッピー・カンパニー研究所は、悪いけど優ちゃんレベルだと眼中に無いのよ。狙っているのは雨宮京子。だから優ちゃんは雨宮京子を守る為にコンタクトを取る必要があるの」

「そうなんだぁ」

「雨宮京子はね。たぶんRRMS計画って奴の中核的な人材にスカウトされる筈なの。日本に取っては大打撃」

「ララムス?」

「レール・アンド・ライド・モビリティ・システムの略よ。簡単に言えば、無人運転の次世代交通システム」

「へぇ。なんか凄そうな計画だね」

「それが、小湯山で展開されるとすれば? 小湯線を廃線にして実証実験をするとか? 想像してみて」

 想像してみる。

 愛理が国家機密を握っている理由。

 雨宮京子という交通政策とまちつくりの天才的頭脳を持つ美少女を奪取する。

 僕は半信半疑だけど、なんとなく理解しつつある。

 叔父と叔母は、今は佐々山町のホテル鈴木という温泉ホテルのオーナーだけど、元は航空自衛隊の精鋭部隊に居た。叔母も自衛官。

 今は夫婦で予備自衛官という立ち位置に居る筈だ。

「叔父夫婦も知ってるの?」

「当然でしょ。小湯山の機密保持と監視目的なんだから。今日の温泉の話も政府からの指示で誘ってるのよ」

 どうやら僕は、既に巻き込まれてしまっているようだ。

交通経済学者・雨宮教授と娘の雨宮京子ちゃん

 両親と麻友がロビーに来た。

 お母さんが「いつからウチのお兄ちゃんは娘になったのかしら」と溜息を吐いた。

 麻友は、「お兄ちゃんが麻友に似てる段階でキモって言ったら自分に跳ね返る事に今になって気がついたよ」

 愛理が「このホテルの近所に町営温泉があるそうです。勿論ですが男女別。今度は愛理も一緒に入りますよ」

 このホテルは、日帰り入浴は一度入れば宿泊客のチェックインの15時30分まで大浴場は何度でも利用できる。

休憩スペースになっているのロビー。

 両親と麻友は15時30分まで近くの河原に湧く天然の露天風呂に入るらしい。

 時計を見ると12時30分になっていた。

 ホテルマン達が、会議室用の長テーブルとパイプ椅子を用意している。

 宴会用のボードに”第34回 雨宮教授と京子ちゃんと一緒にコンパクトシティと公共交通を考える勉強会”という会議名の紙を貼り付けている。

「本当に愛理の言うとおりだ」と僕は心が躍った。

 受付が始まる。

著者近影でしか見て事の無い雨宮先生。

 その後を美少女が歩いてくる。

 いろいろな人達が雨宮教授を取り囲み談笑しだした。

 美少女は、白のワンピースに頭に大きなリボンを付けていて軽くソバージュを掛けた髪。リボンが揺れている。

 つまらなそうな顔をしている美少女は、僕の方を見ている。

 そして、つかつかと歩み寄ってきた。

 美少女が覗き込んできた。

「もしかしてグリスロ?」グリスロとはグリーンスローモビリティの略称。

「うふっ。可愛いのね。アタシは雨宮京子。お名前は?」

「鈴木優だよ」

 雨宮京子は対面ではなく僕の隣に座る。

「グリーンスローモビリティって、鈴木さんはどう思う?」

「地方の電車やバスの無い地域で、駅やバス停までのファースト・ラストワンマイルに使うならモビリティハブを作って家の近所から短距離移動の手段ならアリかな」

 雨宮京子は、おっという顔をになって僕に質問をしてきた。

「例えば?」

「田舎の高齢者は、移動手段が無いから自動車で移動する訳だよね。事故や維持費のリスクやコストも考えると必要だよね」

 雨宮京子は、まるで久々に自分を満足させてくれる好敵手でも現れたかのように畳みかけてきた。

「でもさ。現実には日本では普及が難しくない?海外ならアリかもしれないけどさ」

 負けず嫌いなのか性格なのか解らないけど、相手の意見に対して相手が降参するまで禅問答を続けそうな感じだ。

 「京子ちゃんと対等に会話してる女の子がね。なかなか興味深いねぇ」

「中学生の女の子同士の会話にしては、可愛くない会話だねぇ。聞いている私達は大いに愉快で可愛い討論だけどねぇ」

 僕と雨宮京子の周囲には大勢の学者や有識者らしいスーツの人達が中学生らしくない会話を傍聴して笑っている。

「じゃあさ。その地域の人が自動車に乗るのを止めて公共交通に乗り換えるだけの仕掛けと魅力が無いと絵に描いた餅よね」

 ニコニコしながら美少女は質問してきた。

「行動変容って奴」

「うふふっ。知ってるねぇ」と微笑む。

「詳しく聞かせて」

「いまの田舎の電車やバスは、本数が少なかったり駅やバス停で待合の時間、乗り換えの時間が掛かるから時間的制約では絶対に時間制約が無い自動車を捨ててまで電車やバスに乗り換える事は無いよね」

「魅力と乗り換えを行おうとする動機付けが弱いのよ。アタシも手段が解らない」

 ようやく解らないという新しい台詞が雨宮京子の口から出てきた。

「グリーンスローモビリティも、実証実験モニターで乗る人も、仮に自動運転なら最初は興味本位で乗るかも知れないけど」

僕は「科学的根拠で必ず自動車の代替え交通に成り得ると証明されれば導入も進むと思うけど」と言った。

 雨宮京子は、ニコニコしながら

「うん。なんとなくで良いのよ。科学的根拠なんて専門家や学者が解れば良いの」

 取り囲んでいる学者達は大爆笑して手を叩いたり賑やかになっていく。

雨宮教授が「はいはい。そこまで!いやいや中々のプレゼンだね。可愛い研究者達に皆さん拍手」

 僕と雨宮京子は、日本で有数の学者や有識者に拍手をされ雨宮京子はスカートの裾を摘まんで一礼している。

 雨宮京子は、楽しい会話の時間を満喫したかのような顔になった。

「同年代でアタシと対等に会話が出来る子って二人目よ。友達になって。良かったら今日の勉強会にも来ない?」

 ポシェットから、名刺を取り出して僕に渡してきた。

クスっと笑い余裕顔で「興味があるなら13時からホールに来て。入れるように手配するから」

「僕は15時30分には帰らないとダメなんだ」

「また僕って言った。女の子なんだからぁ。それ直した方が良いよ」

「あっ……うん」

「大丈夫。勉強会は16時までだけど後半は質疑応答だけだから、基本は15時で終わるわよ」

「コンパクトシティ?」

「うふふ。来たら解るわよ。えーと名刺。受付で見せれば入れるよ」

スキップして会場に入って行った。

 ホールに向かうとスーツ姿の人ばかり。

 ネクタイが無ければ入れないような立派なシンポジウムだと解った。

 受付。

 スタッフが来場者確認や資料の入った封筒、首からさげる名刺ホルダーを渡している。

 僕が会釈して受付の前を素通りしようとしたら受付の人に止められた。

 場違いな中学生が紛れ込もうとしていれば呼び止められるのも仕方が無い。

名刺を見せたら「失礼しました」と深々と謝罪され、携帯電話で何処かに連絡をしてくれて通れた。

 最近のホテルは、昔みたいな畳敷きの大宴会場と違い、会議や披露宴、簡単なシンポジュームに使えるようなホールが用意されている事が多い。

 天井にはシャンデリア。綺麗な装飾の壁紙に一段程度高いだけのステージ。

 パワポのスライドを投影できるスクリーン。

 パイプ椅子よりは少しだけクッションの良い椅子。

 今回は来場者60名くらいの小規模な勉強会らしいのでテーブルもある。

 殆どの人はノートパソコンを持ち込んでいるので、急遽参加が決まった僕は手持ちぶさたになってしまうだろう。

 (何処でも座って良いのかな?指定席なのかな?)

 違和感のあったワンピースも慣れると気にならなくなってきた。

 むしろ、雨宮京子の来ているミニのワンピースの方が短すぎて気になってしまう。

 背後で、コソコソと「京子ちゃんのお友達かな」「さっきの女の子だ」とか会話が聞こえてきた。

「さっき京子ちゃんと討論していた子だよね。名刺持ってる?名刺交換しようか?」と声を掛けられた。

 20歳代半ばのモデルみたいな綺麗な女性。

「僕……私はぁ。鈴木優です。えーと名刺はありません」

「どういう感じで此処も勉強会を知ったの?」

「えーと。お父さん達と妹と温泉に来てぇ。あと従姉妹も来て……」

(さて愛理の事は国家機密だから言わない方が良いのかな?)

 むしろ、相手の方がクスクスと笑い出し「そうなんだぁ」と話を終えてくれた。 

「はい。名刺。この先、なんかの縁があればスカウトに行くかもね」

 名刺にはインスタント・ハッピー・カンパニー研究所日本支社長の肩書きが書いてあった。

 雨宮教授と京子ちゃんを見つけると「今日こそ。ウチにスカウトしてやるわよ」と意気込んで掛けだした。

 どうやら僕は、暇つぶしに話しかけられただけのようだ。

 愛理が言った通りで、僕は眼中には無いらしい。

 背後のスーツ姿の男性達は「またインスタント・ハッピー・カンパニーか。懲りないな」と失笑している。

「恒例行事だな。京子ちゃん狙いだけど雨宮教授は断り続けているらしいからな。無駄な事だよ」

「究極の青田買いか。お呼びじゃないよ。インスタント・ハッピー・カンパニー研究所め」

 ホテルマンが駆けつけてきた。

 インスタント・ハッピー・カンパニー研究所日本支社長という女性は、ホテルマンと一緒に外に出された。

 司会の女性が「えーと皆さんは所定の席にてお待ちください」

 僕は困っていると、京子ちゃんが「こっち。特別席。アタシも隣だよ」と手を引いてくれた。

 よりによって最前列。 

「パパ。さっき話た。鈴木さん。凄いんだよ」

 僕は挨拶をした。

 雨宮京子は興奮していた。

「13歳です。中学二年生」

「ウチの京子は12歳。中学一年生だよ」

「資料を貰って中を確認しましたか?」

「コンパクトシティの討論会なの?第34回って?」

「毎回テーマは変わりますよ。三ヶ月に一回のペースで気心の知れたメンバーだけの勉強会なの」

 雨宮京子は「アタシの事は京子で良いです。アタシは優さんってよびますね」

 僕は雨宮京子の事を京子ちゃんと呼ぶことにした。

 椅子に座り、渡された資料の入った袋を開けてみた。

 A4版のレジュメと、パワポの説明資料、そしてガチャ玉で止められた討議資料。

 ”第34回 雨宮教授と京子ちゃんと一緒にコンパクトシティと公共交通を考えるシンポジウム”

 資料を捲ると、さすがに第34回という開催の数字どおり僕の知っている内容を遙かに超越した領域。

 地域の人口減少を解決する他の地域の事例、空き家問題、地域移住などの討議用資料。

「凄いな。貴重講演のあとに4チームに分かれてワークショップかぁ」

 僕は、コンパクトシティという名前と概要程度しか理解していない。

 その後、基調講演が始まり、アシスタントでチョコンと座る美少女が雨宮教授のサポートをしている。

 京子ちゃんが、串に刺さった”みたらし団子”の大きな縫いぐるみを抱えて居る段階で想像はしていた。

 冒頭では、やはり富山県富山市の”オダンゴと串”という業界では有名な成功例を取り上げた。

 でも、雨宮教授も他の参加者も既に誰もが知っていて当たり前の事例。

 あえて、参加初心者の僕や、新たに人事異動で交通政策の部署に配属された行政担当者に向けた説明らしい。

 4月というタイミングなので、勉強会に参加する行政マンも転属先の新しい勉強が必要との話をしている。

 京子ちゃんは、退屈そうに基礎的な説明をする雨宮教授の隣で、オダンゴの縫いぐるみをクッション代わりにして暇そうにしている。

 この手の、会議やシンポジュームは本来なら、ある程度の基礎知識がある人が多いので、いきなり充て職で参加してしまうと物凄い専門的な会話や専門用語が飛び交い、置いてきぼりな状態になる事があって、雨宮教授は行政の絡み意外にも、新しく大学生になった学生にも丁寧に説明をして

 地域の人口減少や少子高齢化、中心市街地活性化などが過去のデータから報告され、一部では海外の取り組みや富山県富山市の事例などが報告された。 

「コンパクトシティやスマートシティでの成功事例は、あくまでも偶然の産物です。その地域や特性などを調査しないで成功事例を真似するだけでは間違いなく失敗します」

僕には、その言葉が一番胸に刺さった。

 休憩を挟んで第二部。

 僕は、男子トイレに入ろうとして京子ちゃんに叱られた。

 むしろ、女子トイレに入る方が僕に取って世間的には叱られる話なのだろうけど。

 トイレを済ませてパンツを上げる。

 男子ならズボンを穿くべき処を、ただスカートという薄い布で覆う。

 京子ちゃんが、化粧台の前で待っていて「行きましょう」と女子トイレを出た。

 スカートという布一枚で、人前を歩くという行為が意外と恥ずかしい事に気がついた。

 再び会場に戻ると、基調講演の時とレイアウトが変わっていてテーブルと椅子が4つの班に別れていた。

 ワークショップは4チーム。

 行政的な視野から、広がりすぎて薄っぺらい地方都市の”まちのたたみ方”を検討するチーム。

 郊外に展開した自動車を中心とした住宅形成、商業施設乱立と中心市街地商店街の衰退を検討するチーム。

 土地を有効活用する視点からの空対策対策、地域エリア外からの移住やまちの魅力を検討するチーム。

 そして僕が参加した交通を軸とした鉄道・バスを利用し、かしこくマイカーを使う事を検討するチーム。

 京子ちゃんも僕と同じ班だった。

 座長は、各参加者の自己紹介をさせた。

「京子ちゃんのお友達?」

「中学生なの?」

 僕は余計な事は言わずに必要最小限のプロフィールを喋った。

 テーマは、移動しやすい街。

 交通ジャーナリストが挙手をした。

「自動運転の無秩序な技術だけの開発は、単に無人バスがゴーストタウンを走るだけになる。取り組むのは街の回遊性だな」

 今度は大学の教授が反論した。

「無秩序なものか!人件費やバス運転士不足を考えれば、今から技術開発と法令整備をしないと間に合わない・技術ありきだ」

 喧々諤々の喧嘩みたいな口論になって、周囲が止めに入ったりと、白熱した討論を皮切りに。

 行政関係者が「富山県の事例をですね。参考にしてですね」とデータを出して説明を始めたり。

「LRTって簡単にいうけどさ。財源は?住民理解は?」と批判的な意見を言う人もいたりする。

 でも、それぞれの意見を尊重して、自分の意見も聞いて貰おうとする姿勢に僕はカッコ良いと感銘を受けた。

「京子ちゃんはどう?」座長が意見を催促してきた。

「市町村合併だけでなく、自動車主体のまちつくりを進めていた地域は簡単に移住や交通網沿線の集約化は無理ですよね。ならば良好な行政サービスが難しい、本来なら中心市街地の空洞化とかで財政上の問題。固定資産税とか?」

(おいおい。中学生が凄い事を言ってるけど……京子ちゃんって麻友と同じ12歳だよね)

「鈴木さんは?」

 僕は焦った。

 慌てて「えーと僕の住んでいる前橋市ですけどぉ。いま京子ちゃんが言っていた中心市街地の空洞化で面白い事例があります。マチスタントという名称で”まちなかの有休不動産を活用する”という内容で、まちなかで出店したい人と有休不動産所有者をマッチングさせる取り組みです」

 挙手が数人でた。

 さすがは、著名な有識者達。

「それ良いよね。前に前橋市の市長さんが資料を送ってきてくれてね。めぶくって表紙に書いてある奴」

「にぎわい商業課商業振興係だっけ。一度名刺もらって説明を受けたよ。うん。そうか。一度、前橋市に視察にいかんとなぁ」

 そう、僕程度の知識は既に先生方や他の行政の人は知っていたり、自らが調査対象にしていたり新しい情報ではないらしい。

「鈴木さん。中学生なんでしょ。凄いね。レポートみたいなのはある?」

 僕は知識として知っているだけで、大学の先生みたいに視察に行こうとか、資料を取り寄せて研究はしていない。

「ありません」

「鈴木さんは、何処でそういう知識とか情報を得てるのかな?」

「前橋市の市民団体でぇ」と行っただけで、全員が「おー。高崎交通経済大学の中島さんの!」と意味が通じてしまう。

 京子ちゃんですら「中島先生の秘蔵っ子なら納得だわ」と腕組みをして偉そうに頷いている。

 会議が白熱してしまい15時を過ぎても15時30分前での会議が終わる感じは無く、雨宮教授も雨宮さんも忙しそうで僕は勝手に帰ることも出来ずに困っていた。

 ジェスチャーで雨宮さんが、両手を合わせてゴメンナサイとポーズをして頭を下げると、バイバイと手を振った。

 このまま帰れと言う事らしい。

 濡れた服は、中途半端に温泉の硫黄臭が抜けなくて、家まで愛理の服で帰宅する事になった。


【予知夢を見るクラスメイト】


 学校という場所は、他人と違う行動が出来ない生徒、空気が読めない生徒はイジメを受ける。

 イジメをする生徒の言い分は、イジメを受ける生徒を「努力が足りないから皆が迷惑をしている」「協調性が無い」「集団行動が出来ない」というイジメを受ける側が悪であるから迫害されると正当化する。

「弱者に人権は無い」という安藤さんは、父親が高校の教師なので中学校の先生方も安藤さんに何も言わない。

 実際に、安藤さんんにイジメを受けているターゲットの女子がクラスメートに居た。

 本ばかり読んでいる少し変わった女子。

 眼鏡を掛けた、身長の低い、お下げ髪の地味な女子。

 この無口な女子生徒は二年生の4月だけ在籍をしていて、急に何処かへ転校した。

 その女子の情報は全く無く誰も理由すら聞かず自然と受け入れられていた。

 安藤グループのターゲットは僕に変わっていた。


 確か6月中旬だった。

金曜日だった筈。

昼休み。

 電車が好きな僕は、学校に持ってきてはイケない鉄道趣味の雑誌を持ち込み、教室も隅で読んでいた。

 教室で、普段は会話も無いクラスメートの飯田さんから声を掛けられた。

 「あー。いけないんだぁ。持ち込み禁止の雑誌。先生に言いつけようかなぁ?」

 僕は慌てた。

「鈴木。黙っていてあげるからさぁ。放課後に一人で校舎裏に来て!」

 呼び出し。

なんだろう?

警戒はしていた。

同時に、少しだけ告白されるかもという淡い期待もあった。

 放課後、校舎裏に行く

「おー。逃げずに来たね」

 手招きする。

「まぁまぁ。座りなよ」と校舎裏のベンチに腰を下ろした。

「何か用?」

「あのさ。4月頃なんだけど鈴木さぁ。温泉のホテル。ロビーで綺麗な大人っぽい女子と温泉にいなかった?」と笑う。

 僕は嫌な想像をした。

 愛理が居るのを見たのなら家の近所では無い筈だ。

「何処で見たの」

「ひっかかった。やっぱり鈴木かぁ。正直さぁ。アタシも妹なのか本人なのか解らないからカマかけたのよ」

「騙した?」

「いひひひ。鈴木って女子っぽいけどガチで女の子みたいだった。それよかさぁ。相手の綺麗系女子は誰なのよぉ」

「従姉妹の愛理だよ。それより誰にも言わないでよ」

「あははっ。言わないよぉ。良かったね。アタシで!安藤さんに見つかったら一生奴隷だよ」

「飯田さんも温泉に行っていたんだ」

「お父さんとお兄ちゃんと一緒に入った」

「女子だけ湯あみ着があるからね」

 飯田さんは、「温泉に入るのに湯あみ着って嫌なのよ。アタシは付けなかったよ」。

 僕は、飯田さんを見て想像してしまった。

 「あー。いま、お兄ちゃんの事を羨ましいとか思った?」とニヤニヤしている。

 飯田さんの家は、今でもお父さんやお兄さんと一緒にお風呂に入っているという。

 飯田さんの家は、開業医で自宅の庭には露天風呂があって、子供の頃からお風呂は誰かと一緒に入ったり、隠さない事が飯田家のルールらしい。

 飯田さん曰く「アタシも将来は医者になりたいのよ。患者の裸を見てキャーキャー騒ぐ女医って方が非常識だと思わない?」

 他人様の家庭のルールに口出し無用。

僕は、自分が、愛理や麻友だけ湯あみ着でズルい悩んでいたのが、バカバカしくなってしまった。

 僕は、こないだの話を飯田さんに言った。

「別に家族同士だし、愛理って従姉妹も親戚なんでしょ。普通だよ。アタシは親戚のオッサンや同年代の男子も抵抗ないよ」

 飯田さんの家族も少し変わっているけど、なによりも飯田さんが家族と一緒に風呂に入るのには特殊な理由があるらしい。

 プールとかなら問題は無いらしいけど、温泉で一緒の湯に浸かると、一緒に入った人間の未来が見えると言うのだ。

 あのホテルの貸切湯は、隣接した三つの貸切湯部屋の露天風呂だけ仕切りの目隠しはあるけど湯船は繋がっていたらしい。

 偶然にも、僕が愛理に突き落とされた時間帯に隣の家族風呂に飯田さんも入浴していたそうだ。間接的に混浴していたのだ。

「鈴木。残念だけど高校一年の夏に電車事故で死んじゃうよ。予知夢を見たから」

 僕は、大きなショックを受けた。

 半信半疑な予知夢でも、自分の死が宣告された。

大きな未来の事案は絶対に変えられないが、死ぬ予想が大怪我で済んでしまうのかは微調整が効くらしい。

「死にたくなければ、今週末。アタシの家に着て一緒に風呂に入れば、より正確な未来が見えるかも」

     ♢

 週末。僕は飯田さんの家に呼ばれる事になった。

「えー。お兄ちゃん。こないだの女の子の服を着ていたの女子に見られたの?」

 麻友とは、同じ子供部屋なので互いのプライバシーは駄々洩れになる。

 予知夢で、死ぬ話をしたら麻友は笑い出した。

「飯田先輩って少し頭がヘンなのかな?。予知夢とか騒いでお兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたがる変態じゃん。心配なら水着を持っていけば?」と呆れ顔で言った。

 翌日。

 

 僕は私服で、飯田さんの家に行く。

飯田クリニック。開業医らしいけど、僕は掛かりつけ医が居るので知らなかった。

 同じ中学校の学区なので歩いて行ける距離。

 住宅街の中。比較的新しいクリニック。

 週末なので診察は無くクリニックは閉まっていた。

 クリニックの裏手に飯田さんの自宅。

塀をぐるりと回り込んだ裏手にあった。

 チャイムを鳴らすと飯田さんのお母さんが対応してくれて、門を潜ると小さな庭園があった。

「加奈子が、温泉でクラスメートの男子が居たって騒いでいたけど、女の子が三人いるだけで不思議に思っていたのよ」

 どうやら飯田さんの家族の中では、既に僕の話は説明をしなくても通っているようだ。

 よく有りがちなガレージに外車。

 手入れされた植木や庭木。綺麗な花が咲き乱れウッドデッキの先に露天風呂と思われる目隠しがある。。

「加奈子から聞いてますよ。大変な予知夢ね」と飯田さんのお母さんが僕の視線に気がつき尋ねてきた。

飯田さんのお母さんは「ウチの加奈子も年ごろの娘なのでね。あの子は嫌がるけど水着を付けさせます。鈴木君も持ってきたわよね?」

 飯田さんの母親は常識があるようだ。

「他所では言わないでね。予知夢とか中学生になっても家族と一緒に入っているとか。でもね。加奈子の予知夢のおかげで何回かは事故とか災難とかを回避できているから、パパもお兄ちゃんも生きていられるのよ」

 裏を変えせば僕は死ぬという事だ。

玄関で飯田さんは出迎えてくれた。

 学校での飯田さんとは別人みたいに可愛かった。家では眼鏡をしているらしい。

 ポニーテールの髪を下ろしていた。

 飯田さんは水色のワンピース。

「あがって」

調度品や、絵画がある玄関。

スリッパを出されて飯田さんの後を歩く。

 居間で、飯田さんの御両親に挨拶をした。

「いらっしゃい」

 飯田さんのお父さんは、優しそうな如何にも医者という感じの男性。

 お母さんは、元は看護師。

お兄さんは進学校に通う高校生だ。

 飯田さんは「今日は、パパもママもお兄ちゃんも入って来ないでね」と怒り口調で言う。

 たぶん、普通に来客が来ても入浴してしまう家族らしい。

 家の中を案内して貰い、家の方から直接診察室に行けるらしい。

 書斎のある部屋とか看護師さん達の休憩する部屋もあった。

 案内を終えて居間に戻る。

「加奈子。鈴木さんに後で露天風呂を案内してあげて。鈴木君と加奈子は水着着用」       

「ちっ」と軽く飯田さんは舌打ちをした。

「二階に来て!アタシの部屋で話そう」

 飯田さんは、階段を片手でワンピースの裾を片手で押さえながら登っていく。

 一緒にお風呂に入りたがる割に、パンチらは見せないという心理が解らなかった。

 「どうぞ」

 二階の飯田さんの部屋に案内された。

 研究室みたいな部屋。

 ただベッドとテレビがある以外は、書庫か図書館みたいな部屋だった。

 縫いぐるみとか女子らしい物は無く、難しい本やバインダーが部屋に設置された棚に並んでいる。

「凄いね」

「一応。アタシも医者の娘だからね。まぁ勉強はしてるのよ」

 僕は落ち着かなかった。

 飯田さんは、勉強机の椅子に腰掛けると床に置かれたクッションに座る僕を見下ろすようにして話掛けてきた。

「インスタントハッピーカンパニーの話」

 まるで、早くその話題に触れたかったようにワクワクした顔で僕に聞いてきた。

「一年生の時さぁ。薬師寺さんって女子がいたじゃん」

「薬師寺さん?」

「ほらっ。本ばかり読んでいた。誰とも打ち解けない女子。安藤さんとかに虐められていた女子」

「あぁ。薬師寺さんって言うんだ」

「酷いなぁ」

「それで?」

「薬師寺さんね。インスタント・ハッピー・カンパニー研究所にスカウトされて学校を転校したんだよ」

「なんの天才?」

「わかりませーん!だから調べてるの」

「そうなんだ」

 飯田さんは腰に手を充てて偉そうに立ち上がる。

「アタシもさぁ!インスタント・ハッピー・カンパニー研究所に入りたい訳よ!」天井を見上げて、ピッと人差し指を立てる。

 話の内容は、飯田さんは将来は医師になるそうだけど、普通の医師ではなく医学界を震撼させるような研究論文を書いたりする研究者になりたいそうだ。

 インスタント・ハッピー・カンパニー研究所に入れば、高額な研究費、大学や大学院の全ての学費、なによりも医療機関などの論文や研究資料も取り寄せて読み放題という天才高校生集団にしか許されない特権が与えられる。

「努力や実績ではダメなのよ。インスタント・ハッピー・カンパニー研究所がアタシを認めないとね」

 飯田さんは、僕に

「アタシの予知夢だと、鈴木君は必ずインスタント・ハッピー・カンパニー研究所にスカウトされる事になるのよ」

「鈴木君がインスタント・ハッピー・カンパニー研究所に入ったら、偉い人にアタシの事を伝えて欲しいのよ」

 意味が解らない。

「鈴木君へ期待してるわけ」

「なんで僕が?」

「解らないけど予知夢を見たのよ。鈴木君がメイド服を着て世界を守る夢」

「メイド服?」

「うん。なんかさぁ。洞窟みたいなゴツゴツした岩肌のトンネルみたいな場所で、鈴木君が美少女と一緒に秘密基地に乗り込んで世界を守るって夢を見たのよ」

「なにそれ?変な夢」

「夢って言うか。予知夢に出てくる美少女。実在するのよ。雨宮京子ちゃんっていう超天才中学生」

 胡散臭い予知夢。でも京子ちゃんの話。

紐つけが出揃ってしまった。

 しかも、僕はインスタントハッピーカンパニーから名刺を貰っている。

「インスタント・ハッピー・カンパニー研究所って各分野のユニットリーダーが所属員の制服を決めるのよ」

「僕が将来的にインスタント・ハッピー・カンパニー研究所に入ってメイド服を着るって話はマジなの?」

「たぶん。そうなると思う。アタシの予知夢は当たるから」

コンコンとドアがノックされる。

飯田さんの、お母さんが「お茶をどうぞ」と入って来た。

 そして、「加奈子。そろそろ鈴木さんを露天風呂、案内してあげて」と飯田さんに言った。交代で部屋で着替えてバスタオルを巻いた。

 階段を降りて、玄関から外に出た。

 いくら医者と言っても、所詮は個人宅の露天風呂。ホテルや旅館みたいな手の込んだ物では無かった。

本当に浴槽と目隠しだけ。 

 排水や清掃の手間を考えたレイアウトや施設はあるらしいけど商業用の物とは格差がある。

 周辺の家やマンションからは丸見えになると思ったけど、近隣からは目隠しがあって見えない仕掛けになっている。

 僕は、念のため学校のスクール水着を用意していた。

 飯田さんは、自前のスカート付きのビキニに大きめのブラをしていた。

飯田さんは「温泉で水着だから変なだけで、温水プールだと思えば普通でしょ。同じ隠す物なのにブラとパンツなのに下着なら違法で、水着なら合法って話と同じ」

 飯田さんは、僕に「日本の法律は言葉をかえるだけで違法にも合法にもなるのよ」

 僕の胸を見て飯田さんは

「鈴木。それ女性化乳房だね。医者行った?」

 僕は油断していた。

しかも、悩んでいた事を飯田さんは顔色一つ変えずに医者の娘らしい感じでサラリと言った。

「恥ずかしいから行ってないよ」

「おいおい。一番ダメな奴だよ」

「なんで?」

「恥ずかしいから医者に診せないってさ。もし鈴木の大事な場所に腫瘍があって、早期に診せれば完治したのに、恥ずかしいから診せないで末期癌で手遅れって話は洒落にならないよ。隠さないで誰かに相談したり、医者に行くことが長生きの秘訣だよ。ほら見せてよ」

 同級生に自分の身体を診られるのは恥ずかしいけど死にたくはない。

「思春期や高齢期で一時的になる場合や、肥満体質の場合とかが一般的だよ。でも稀に治らない人もいるから検査した方が良いね。今日は、ウチのパパに相談しなよ」

 僕は飯田さんに相談した。

「アタシは医師じゃないからね。パパに聞いてよ。でも安藤に知れたら大変だよ」

 そんな会話をしながら湯船に入った。

「どう?気持ち良いでしょ」

「うん」

 飯田さんは「アタシが初めて鈴木を校舎裏に呼び出した時の事を覚えてる?」と聞いてきた。

「うん」

ゾクッとした。

 死亡フラグ。

「別件で鈴木。警察沙汰な事件を起こすよ」

ロクでもない未来が新たに増えた。

「なんとか救いたいけど予知は変わらないのよ。逃げても、何処かで帳尻が合って最後には実行されるわ。緩和は出来るけど」

「いつ?」

「たぶん来週の木曜日」

「予知夢?」

 飯田さんはコクンと頷いた。

「鈴木が安藤を殴る」

「なんで殴るの?僕が安藤さんを?」

「理由は解らないけど。確実に殴るね」

「それ。絶対に防げないの?」

「予知は変えられないのよ」 


予知夢・当日。

木曜日

 午後に体育の授業があった。

 絶対に、男子と女子が重ならない水泳のプールの授業。

 スケジュールがブッキングして同じ時間帯になってしまった。

 男子は紺色のスパッツ風の水着。

 女子は紺色のレスリングのユニフォームみたいなタイプ。

 消毒槽、シャワーを浴びてプールサイドに集合している。

「男子。スケベ面で見ないでよね」

「己惚れるなよ。誰も見ねえよ」

 男子と女子の罵声大会の中で僕と飯田さんは体育座りで並んで話をしていた。

 クラスメート達は「なんかさぁ。鈴木と飯田。デキてねぇか?」と騒ぎ出す。

 僕は、飯田さんのお父さんに診断書を書いてもらって両親や担任と相談して、体育の水泳の時は泳ぐとき以外は半袖の体操着を着て良い事になった。

 安藤さん達が、僕と飯田さんが急に仲良くなったのを面白く思って居ないらしい。

 安藤さん達が近づいてきた。

「鈴木。加奈ちゃん困ってるよ。勘違いして話掛けたりしてさ。身分を弁えなよ」

 飯田さんは「えー。迷惑してないよ。それに身分て何?安藤さん達は上流階級のつもりなの?何様のつもり?」と睨んだ。

「ちっ」と僕と飯田さんを一瞥すると、安藤さんは僕に「飯田。彼氏いるよ!遊ばれてるだけ!ばーか」と怒鳴った。

 僕は、飯田さんをみた。

 飯田さんは「居ないよ」とぶんぶんと顔を横にふった。 

「さてと、アタシもターゲットだな。ヤバいな」

安藤さん達は、こそこそと僕と飯田さんの動向を見ている。

 そう、飯田さんの予知夢どおり、クラスメート全員の前で僕が安藤さんを殴るという伏線はできてしまった。

 飯田さんは「殴る場所は教室だったよ」

 学級委員が、体育教師を呼びに職員室から戻ってきた時に雷鳴と大粒の雨が降り出してきた。

 学校の周囲が、雷雲があるだけで周囲は明るく晴れている。

 「直ぐに雨雲は通り過ぎるから!一旦教室に待避。直ぐに再会するから水着のままで良いから教室へ移動」

 男子も女子も、スクール水着のまま教室に避難した

 教室で、テルテル坊主みたいなラップタオルに包まれた女子と、半袖の体操着を羽織った男子。 

 そんな中でも飯田さんは水着を隠す事も無く堂々と移動して、教室の椅子に座って腕組みをして足を組んで居る。

 男子達が「飯田さん、スタイル良いよなぁ」とか「安藤達にイジメられたら俺達が守ろうぜ」的な話をしている。

 安藤さん達が一目置いているイケメンの学級委員長が「イジメ撲滅」と宣言した。

 男子達が「安藤達みたいなイジメ女子が居るから、薬師寺を追いだす羽目になったんだ」と騒ぎ出す。

 安藤バッシングに安藤さんは怒り顔だ。

 飯田さんがニヤリと笑った。

「五月蠅い。弱者に人権なんかないんだよ」

そう叫んだのは安藤さんだ。

安藤さんが僕の背後に居た。

「鈴木の癖に……なんでアタシがっ」

 安藤さんは狂気に満ちた顔をしていた。

「イジメの基本は、イジメられる側が無能で使えない奴だから集団の中から排除されるだけ。だからアタシは正当な執行者」

「親や先生に密告されないイジメは相手の恥ずかしい事をされる事で、相談も出来ないようにすればいいだけの話なのよ」

 クラスメート全員の前で、僕はスクール水着を膝まで下ろされた。

 下ろされることを事前に知っていたので競泳水着を固くヒモで縛って下に重ね履きしていた。

「チッ」

 安藤さんは、今度は飯田さんの座っている方へ歩いて行く。

 飯田さんは「孤立ね。なんの根拠もなくいじめを当然の権利?なにか勘違いして、いじめで女王様気取りの安藤さんの方がやばくない?」

「つまらない脅しね」と言って飯田さんにビンタをした。

「なにすんだよ」 と安藤さんは叫ぶと、飯田さんを押し倒した。

 僕は、安藤さんの顔面をグーで殴った。

 「僕は何をされても我慢するけど。飯田さんに何かしたら許さないぞ」

 安藤は、鼻血を流しながら泣き出した。

同じ安藤グループの女子はリーダーを助けもしないで笑いを堪えていた。

 安藤さんが睨むと急に横を向いた。

 飯田さんは制止しようとしないで腕組みをして見ていた。

 先生が掛けってきて僕は職員室に連れて行かれた。

 飯田さんの予知は必ず実行される。


 女子を殴ったことよりも、僕の担任の女性教師は「女子に水着を脱がされた?そんな破廉恥で気持ち悪い話はやめて」と両手で耳を塞いだ。

 そして、被害者の筈の僕を軽蔑するような目で見て「そういう破廉恥な話は絶対にありません。仮に本当だとしても安藤さんの将来に関わるので絶対に口外しない事」

「殴った僕は処罰されて、安藤さんは保護される。僕と飯田さんは泣き寝入りですか」

 喧嘩両成敗。

そう、聞こえの良い解決方法。

 クラスメートの衆人環視。誰もが、正当防衛を先生に言ってくれたけど、安藤さんの保護者が警察に相談してしまった。

 学校に警官が来て、個別に聴取された。

 担任教師からは、事前に今回の件は、女子生徒が男子水着を下ろしたことは単なるイタズラ、今までのイジメは全て遊びの延長というように言われていた。

 警察も、この手の事案は承知していた。

事件化はしない代わりに、僕が転校する事で解決を図ろうとする担任教師。

 僕が、親元を離れて佐々山町の親戚の家に行く話は、最終的には、これが原因だ。

 公立の中学校なので停学とか謹慎はないけど、学校に行けない日々は続いた。

 飯田さんのご家族は、時々僕に会いにきてくれた。

 僕が、飯田さんの事を喋る気はないけど、ある程度の口止めっぽい話はされた。

 能力が世間に知れれば、悪事に利用される事や、大事な娘が実験体にされる事もあり得るからだ。

 飯田さんは、学校に残る。

「安心だよ」

 安藤さんは、学校に来なくなった。

登校拒否ではなくて、安藤さん自身が存在なくなった為だ。

 安藤さんは、誰かをイジメる事で自分の存在感、居場所、仲間を得ていた。

 そんな人間から、弱者をいじめるという自分を表現する手段を奪った段階で自分の居場所を失う。

 近親者だけの葬儀が、人知れず安藤家で執り行われたらしい。

【佐藤美佳】


 中学二年生の夏休み。

 前橋市には、いじめ対策専門チームがある。

 どんな素晴らしい地方自治体であっても、多くの考え方の違う人間が集まる学校では何らかのトラブルはある。

 僕の担任は、あのあと職員会議で「鈴木と言う生徒はうつ病、飯田という生徒は虚言壁がある」と自分を守る為だけに虚偽報告を上申していた。

 逆に、安藤さんが自ら命を絶った事で、虚偽報告が公になって辞職したらしい。

 派遣されたソーシャルワーカーにより、「学校に通うのが辛ければ行かなくても良い。家の中に居るより社会貢献活動をして気分転換したら少しは自信と目的が生まれるかも知れない」と言われ、前橋市内の交通とまちつくりの市民団体をで暫くは地域の為に頑張ればどうかと言う。

 もともと、市民団体には入っていたけど今回は、もっと専門的で大きな組織。

 大人や大学の学生さんと一緒に前橋市の中心商店街活性化や交通網の整備などのアイデアを考えたり、行政に対する提言などの手伝いをした。

 「優くん凄いね」と褒められて嬉しくない筈が無い。

 大人達に混じって、僕は自分の居心地の良い居場所。

 でも、その居心地の良い場所は、相当な勉強と努力をしないと居させて貰えない場所でもあった。

 単なる、ボランティア的な市民団体ではなく、専門的で科学的根拠のある交通政策とまちつくりを実行する。

 やはり、ミクロ経済とか数学的な計算、データの調査や読み取り、パーソントリップ調査という人の亜寄らない亜寄らないの調査を基に適切な交通網を研究してマイカーに頼りすぎない地方都市の交通網の再考などを担当した。

 中学二年生で理解できる内容は少ない。計算の基礎である数学を学ばないと何も出来ない。

 登校拒否という手段は、僕には不利益しか無い。

 それは、イジメを理由に登校拒否、社会の所為、行政や大人の所為にして家に引き籠もる逃げ道を塞がれる事で

自主的に僕を復学させ、社会復帰させる上手な誘導でもあった。

 好きな事、得意な事を見つけて、それに見合う指導者を充てる事。

 僕は、自分の居場所に「居ても良いよ」と言われる場所を守る為に親元を離れる決心をした。

     ♢

 夏休み明けに愛理の家から榛名山の中腹にある佐々山町の中学校に通う事になる。

 時々、僕は佐々山町に拠点を移す前に佐々山町での生活に慣れるように愛理の家に泊まりに行っていた。 

 元は夫婦とも航空自衛隊の隊員で、現在は予備自衛官。

 叔父達は、個人経営のホテルのオーナー。

 ホテル鈴木。

 そのホテルは洋室12部屋と、鉱泉と呼ばれる温度の低い温泉をボイラーで温める内湯と露天風呂がある。

 佐々山電鉄・小湯線にある地獄沢駅という駅前にある個人経営の三階建ての温泉ホテル。

 B&B(ベッド&ブレックファスト)という宿泊と朝に軽食をだすスタイルのホテルだ。

 洋風のダブルが二階と三階に6部屋で、合計12部屋ある。

 そのホテルの裏手に、昔は温泉旅館として居た母屋があり、改装して自宅にしている。

 僕と愛理の部屋は隣同士だ。

旅館の改装なので間取りは同じ。

 縁側から自由に、僕の部屋と愛理の部屋は往来ができてしまう。

 愛理は「うふふっ。結局は優ちゃんと同棲かぁ。夜這いに来ても良いよ。根性があればね」とクスクス笑う。

 だけど、間違っても僕が愛理にチョッカイをだせるような状況では無かった。

 本当に、愛理は国家の諜報機関の施設から派遣されていた。

 しかも、中学生だけど国家公務員らしく、叔父夫婦も愛理には細心の注意と敬意を払っている。

「優。愛理には絶対に変な気を起こすなよ」と釘を刺されている。

 逆に愛理は「一緒にお風呂に入ろうよ」とか夜も「愛理が添い寝してあげる」と僕がチョッカイを出せないのを承知でからかいに来る。

 愛理が、ガーリーでフェミニンな服を着ていたり、ドールで遊ぶのは周囲を誤魔化す意味があるらしい。

 だから、時々4人で会議をするときは、愛理は可愛い服に身を包み、マジメな顔で作戦計画を立案するのが逆にギャップがあって面白いと思って居た。

 叔父夫婦も「愛理から、4月の温泉の時に概要は聞いていると思うが、優も今日から小湯山の警備に関わる人材になって貰う。覚悟は良いな。愛理とバディを組んでくれ」

 どうやら、4月の温泉の話は本当らしい。

 僕は、飯田さんの予知夢の話をした。

 意外にも、叔父夫婦は「インスタント・ハッピー・カンパニー研究所か。その予知夢が本当なら好都合だな」

「でも、その飯田って女子がインスタント・ハッピー・カンパニー研究所に入りた

がっているなら暫く様子をみよう」

 愛理は、予知夢を見る飯田さんが政府側ではなく、インスタント・ハッピー・カンパニー研究所にスカウトを希望している段階で用心した方が良いと心配している。

 僕は「予知夢だと僕はRRMSって次世代交通網の研究員として、雨宮京子ちゃんとメイド服を着て研究所に派遣されるらしいです」というと、叔父達は「雨宮教授の娘か。予知夢とやらも信憑性が高いな」と腕組みをする。

僕がメイド服を着る事はスルーされた。

 そのフロントの裏手にある事務室で、僕と愛理、叔父夫婦は作戦をねっているのだけど、今ひとつ予知夢という曖昧な物に国家の未来を託せないし、上に報告も出来ないという結果で話し合いは終わった。


     ♢

 翌日、愛理と僕が転校して通う中学校にいってみた。

 自転車を借りて、県道を佐々山駅の方に向かって漕いだ。

 愛理は、大人っぽいワンピースを上手にチェーンに裾を挟まれないように持ち上げ軽快に走る。

「優ちゃん。この先にケーキ屋がで来てね。美味しいって評判なのよ」

 駅前のシャッターが閉まる商店街に、一軒だけ行列が出来ている店舗があった。

 「煉瓦亭。東京から佐々山町に移住してきた神戸さんって家族が経営していて大人気のケーキ屋さん」

 いわゆる、Iターンという人口流出防止の田舎の自治体が募集する移住策。

 比較的新しい近郊住宅街を抜けると佐々山町役場。

 その隣に日帰り温泉施設が見える。

 役場も温泉施設も、立派な建物で特に役場は田舎の町役場というより下手行政の市役所より立派な風情。

 「佐々山町は自衛隊の街でもあるの。隊員さんのお陰で街も潤うし、防衛省からも交付金が出るのよ」 

 その時は興味も無い自衛隊の話。

 学校は、意外と綺麗だけどコンパクトな校舎と体育館、小学校と同じ敷地にあり奥に小学校があった。

 校庭も共用で、プールは無いけど冬場はスケートリンクになるという広めのスペースがあった。

 愛理の話だと、生徒数は少なくてクラスも各学年に一クラスしかない。

 通学は、制服でもジャージでも良い。

 「此処の生徒は幼稚園からの顔なじみばかりで、愛理も直ぐに馴染めたよ。イジメも無いし安心して良いよ」

 中学二年生の学級は、28人学級で男子が18名、女子が10名だそうだ。

 僕が転入すれば29名。

 通学時は自転車通学なのでヘルメットを購入する必要がある。

 校舎裏に回ると、遠くに赤城山、そして前橋市の街並み、やはり群馬県庁は目立つと改めて感じた。

 愛理は、佐々山町の案内を終えると友達の家に行くと言って別れた。

 僕は、一人で自転車を漕いで地獄沢のホテル鈴木に戻った。

 オジサンとオバサンはホテルのフロント裏の事務室で仕事をしていて、僕は昼食は電車に乗って隣の渋沢駅まで行って温泉街で何かを食べる事になった。

 観光客が使う観光用のレストランや食堂ではなく、地元使いの店のほうが安く食べられるらしい。

 地獄沢駅は、駅員の居ない無人駅。

 一本の50mホームにはバス停みたいな小さなベンチがあるだけの屋根付き待合室。駅名標と案内板だけ。

 ジュースの自販機はあるけど、乗車券を買う自動券売機は無い。

 佐々山方向は、遙か遠くに佐々山駅の場内信号機が見えて居て、渋沢方向は小湯山トンネルの煉瓦積みポータルがポッカリと暗黒の闇を開けている。

 わずか700mのトンネルだけど、入口と出口がカーブしているので反対側は見渡せない。

 一応は、ホテル鈴木のフロントで回数券タイプの金額式乗車券は購入できるけど、殆どの人は路線バスみたいな整理券を車内で受け取って終点の駅員がいる駅か、降車時に運転士脇の料金箱で精算をしている。 

 小湯線の電車は、一時間に一往復。

 二両編成の山吹色の電車は、元は西武鉄道101系という通勤型電車の改造車両。

 運転士だけで車掌さんも居ない。

 キンコンキンコンと運転士背後のドアが開き、降車客が居ないので僕は、運転士にホテル鈴木の回数券タイプの乗車券を見せて乗車した。

 電車はドアを閉めると、駅の脇の踏切を抜けて、小さな地獄沢の鉄橋を轟音を立てて渡ると、直ぐに小湯山のトンネルに突入した。

 ウォーン。

 ゴーッ。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 ウォーン。

 ゴー。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 馬蹄形のトンネルに電車の走行音が奇妙に反響している。

 通勤型のままのロングシート車両、3人しか乗客が居ない対面の窓ガラスに僕の顔が反射している。

 トンネルを出ると車窓は、コンクリートの無機質な擁壁。

 僕は、立ち上がり、自分が背にしていた側の窓の外を子供みたいに座席にチョコント座り見る。

 直ぐ5m下に県道・渋沢ー安中線の片側一車線の道路、その下に20mの断崖絶壁の佐々山渓谷がある。

 此処は、利根川水系の烏川に繋がる支流・佐々山川の絶景スポット。

 谷間の川の流れに沿うように、道路と単線の電車の線路が併走している。

 このときは、僕が高校一年生の夏に大惨事に巻き込まれるなんて、予知夢の飯田さんですら想像してなかった。

 電車は ホテルや旅館が山の斜面に張り付くように建造されている街並みに近づくと減速して、右側から別の線路が、近づいてきて小湯線の線路と併走し始め、ガタガタとポイントを渡ると渋沢駅の三番線に到着した。

 渋沢駅は、平面スイッチバックと呼ばれる櫛形の駅で、昔は麓の沼川市からスイッチバックと呼ばれる列車が急勾配の山を登坂しやすくするジグザグしながら走る方法をとっていたらしく、列車の高性能化と線路の整備で廃止され、現在は渋沢駅のみになっている。

 スイッチバックは、箱根登山鉄道とかで実際に体験できる。

 渋沢駅前は、賑やかで温泉街らしい風情の土産物店、飲食店が建ち並び、ホテルや旅館の看板、観光バスが行き交う。

 田舎の鉄道なので自動改札機や、ICカードの類いは利用出来ないので職員のいる改札を抜ける。

 僕は、同時に進入してきた別の佐々電沼川駅から渋沢駅まで来た本線用の200型電車と小湯線用の200型電車の並んだ写真が撮影したくて、駅の脇の小道を小走りで撮影に適したポイントを見つけるため向かった

 既に先客がいた。

それが佐藤美佳ちゃんとの出逢い。

「ほい?写真を撮るの?」

 今なら、当たり前に思ってるけど、初対面の時は「ほい」の意味が解らなかった。

 美佳ちゃんは、本人は「はい」と返事をしているらしいけど聞いている方は「ほい」と聞こえるらしい。

 言語障害とかではなく「はい」だけが呂律が回らないらしい。

 「なんだぁ。男子かぁ。お仲間かと思ったよ」

 美佳ちゃんは、初対面の時から鉄道の話で、まるで昔からの幼なじみのように話掛けてきた。

 ちょうど佐々電沼川駅方面の電車が入線してきて到着すると、別の電車が佐々電沼川駅方面に発車していった。

 美佳ちゃんが「205号かぁ。演技悪いなぁ」と呟いた。

 僕にとっては、全部が同じ形式の200型と呼ばれる山吹色の二両編成の電車に見える。

「演技が悪いってどういう事?」

「あの電車ね。人身事故とか踏切障害が多いんだよ。佐々電の事故は殆ど205号」

 そう地元の人は佐々電と呼ぶんだ。

美佳ちゃんは、鉄道ファンにありがちな持論を語りだす。先月、人身事故があったらしく「自殺なのにさぁ。マスコミって必ず“列車が人を轢いた”って加害者風に報道するけど、佐々電の方が被害者でさぁ。自殺した人の方が多くの人に迷惑を掛ける加害者だよね。マスコミの記者って日本語を学ぶべきだよ」と持論を展開する。

「ホンの一部の撮影マナーが悪い鉄道ファンの所為で肩身が狭くなったよ」とか、一般論を一時間くらい語りだすので聞き手に回る。

 美佳ちゃんは喋り尽くすと、ようやく僕の話を始めた。

 「へぇ、前橋の子?あぁ地獄沢の愛理の親戚なんだ。ほうほう佐々中に通うんだ。へぇ」

 僕が、美佳ちゃんを連れて地獄沢に戻ると、愛理も戻っていた。

 愛理は、あちゃぁと片手を額に充てて、困ったという顔をした。

 「うわっ。やっぱり美佳ちゃんと出くわしたかぁ。優ちゃんは電車好きだから遅かれ早かれとは思ったけど」

 美佳ちゃんは、愛理と違う渋沢中学校の女子で本来なら接点は無い。

 でも、電車好きの美佳ちゃんは、佐々山電鉄が大好きで暇があれば駅や線路脇に出没する有名人。

 当然、地獄沢駅も美佳ちゃんの行動エリアなので、愛理も美佳ちゃんも互いに友達では無いけど知人。

 あまり、愛理は美佳ちゃんを歓迎していない様子だ。むしろ、面倒な子を連れてきたなぁ感が露骨に出ている気がした。

美佳ちゃんは平気な顔。

 美佳ちゃんは僕の部屋に入ると、「何も無いな」とつぶやいた。

 まだ、正式に引っ越しをしてないので、布団と一泊分の止まり道具だけだからだ。

 でも、鉄道談義は楽しかった。

 愛理も、なにやら心配そうな顔で様子を見に来た。

      ♢

 お盆過ぎに、僕の引っ越しが終わり今度は僕が美佳ちゃんの家に遊びに行った。

 美佳ちゃんの家は、ホテル伊藤という渋沢温泉で一番大きなホテルの裏手にある従業員家族寮。

 母子家庭の美佳ちゃんは、母親と此処で暮らしていた。

 なんでも、美佳ちゃんには双子の妹が居て、父親がアメリカに連れて行ってしまい離婚後は逢っていないそうだ。

 従業員家族寮は、ホテルの従業員通路からでないと入れないらしい。

 事務所で入館受付をする。

 営業部長の名札を付けた男性が「美佳ちゃんのお友達?珍しいね。学校の子?」と質問してきた。

 美佳ちゃんは「地獄沢のホテル鈴木の愛理の従姉妹。鈴木優だって。9月から佐々山に転入するよ」

 着物を着た女将さんが「あらあら。可愛いわね。女の子みたい。ちょっと入って」と事務室に招かれた。

 渋沢温泉の温泉組合の頭はホテル伊藤の大女将。

 「そうね。渋沢温泉組合の一員になるわけだから、まずは大女将に挨拶して貰って、心構えをね」

 その温泉組合に加盟しているホテル、旅館は、緊急時や多客期にヘルプとして増員したり、小さなホテルや旅館でも大きなホテルからスタッフを派遣したりする互助会的な制度があるらしい。

 美佳ちゃんは「えぇー。優は遊びにきただけだよぉ」と困った顔をしてるけど、渋沢温泉のホテルや旅館のオーナー一族に関わる子供は大女将に面談するらしい。

 「ホテル鈴木の親族なら、もう渋沢温泉の大事な人材よぉ」

凄く豪華な部屋に入った。

 正面の偉そうな机、その椅子に怖そうな着物のお婆さんが座って居た。

 美佳ちゃんが「ほい!大女将。こんにちは」とペコリと頭を下げた。

 「はいはい。美佳ちゃん。ごきげんよう」と少しだけ優しい顔をして返答した。

 女将さんが説明をした。

 「お名前は?」と聞かれる。

 「鈴木優です」

 「話は聞いてますね。渋沢温泉協会の会員であるホテル鈴木。そこに住むには温泉街。観光、交通などの知識を学んで貰い来訪する宿泊客、インバウンド、日帰り客の、御案内やおもてなしをする術を常に勉強しなければ生きていけませんよ」

「はい」

「中学二年生なら理解できますよね?愛理ちゃんも研修を受けてます。解らない事は彼女に聞いてください。そうね9月の週末に二日間だけ都合を付けて貰えるかしら?」

 「すいません。9月は前橋市の方で交通政策とまちつくりの講演会の準備や参加があるので埋まってます。出来れば8月のウチに研修は受けられればと思います」

 大女将は驚いていた。

「えっ。交通政策とまちつくり?鈴木さん。それ本当?」

 僕は経緯を説明した。

「渡りに船だわ。そう佐々山電鉄の事でね。交通政策とか詳しい人とか組織をさがしていたのよ。あらまぁ」

 急に僕と美佳ちゃんは、ホテル伊藤のカフェテリアに場所を移動して、ロイヤルミルクティと煉瓦亭のケーキを出された。

 前面ガラス張りで、赤城山や付近の山々が展望しながらお茶が飲める。

 美佳ちゃんは「おいおい。いきなり待遇が良くなったよ」と美味しそうにケーキを食べていた

 むしろ、カフェテリアの従業員の方が大女将の突然の来訪に困惑して緊張している。

 大女将は、僕に「その高崎交通経済大学の中島先生?名刺とか貰ってこられる?」と言う。

 噂には聞いていたけど、佐々山電鉄は対規模な経営合理化をすることで、まずは路線バスと小湯線の廃止。

 そして、ゆくゆくは佐々山電鉄本体が鉄道事業から撤退という地域交通と観光の大打撃な計画があるらしい。

 美佳ちゃんが、佐々山電鉄応援団という組織を作る切っ掛けになる話だった。

 大女将は「それで9月に用事があるって講演会は誰がくるの。大御所の教授」

 「交通経済学の第一人者である雨宮教授と、娘の京子ちゃんです」

 僕が答えると、大女将は僕の手を握り「凄い。渋沢温泉郷の救世主様よ。鈴木君、是非とも連れてきて」  


【交通政策の神童・雨宮京子】


 9月。

 秋雨前線の影響で、朝から雨が降っていた。

 前橋市のテルサと呼ばれるコンベンションホール。

 日本屈指の交通経済学者である雨宮教授の講演会が行われた。

 前橋市には、元はデパートだった場所や建物を、コンベンションホールや新たな形の商業副業施設にするケースが多い。

 特に前橋テルサは、現在は閉館しているけど、当時は宿泊も出来たり会議や様々なイベントが開催されていた。

 雨宮教授は、いつも愛娘の京子ちゃんを連れてくる。

 同じ交通政策とまちつくりをする同年代の女子。

 中島先生を通して渋沢温泉の大女将の依頼をお願いしていた。

 雨宮教授も多忙。

 京子ちゃんも学業と平行して全国の鉄道存廃問題や路線バスの問題に相談を受けるなど多忙。

 結局、正式な返答も無く講演会当日を迎えた。

 雨宮教授と京子ちゃんは、もう会場入りしている。

 交通政策に関わる講師は、あえて主催者サイドからの、お迎えのタクシーを拒否する。

 理由は、基調講演の挨拶で必ず、講演依頼のあった街の様子、交通の様子を前泊したり、早めに現地到着して自分の目と足で調査したりしてコメントを語るためだ。

 「素晴らしい街ですね。ただ交通網は寂しい。街を歩く回遊性が乏しい。ところで此処に来場した皆さんでマイカーで来場した方いますか?」と意地悪い質問をする講師もいる。

 公共交通利用を促進する集いに不便な公共交通を使わずに、マイカー依存する参加者を叱咤する場面もある。

 主催者としては、基調講演の講師選択は慎重に決定したとしても、突然の発言は顔面蒼白、冷や汗物だ。

 雨宮教授は控え室にいる。

 「雨宮先生は、講演前は他の人と逢わないし、依頼も受けない。いまは逢わない方が良いよ」と中島先生が言う。

 「じゃあ京子ちゃんを探します。もう着手金を食べちゃったし」

「着手金を食べた?」

「美佳ちゃんと僕は大女将からケーキを貰いました。ソレ食べちゃったから」

「あははっ。可愛いなぁ」と中島先生は笑った。

 でも京子ちゃんは何処にも居ない。

 中島先生は「まぁ、迷子になっちゃったかな?」

「探してきます」

「まぁ。鈴木君も落ち着きましょう」

「トイレに行ってきます」と、僕は落ち着きが無い子供のように中島先生の隣の席からトイレに向かった。 

 ホール脇の男子トイレに行く。

 白のセーラー襟の濃紺のワンピースを着た美少女が洗面台の前に居た。 

 ソバージュが掛かった髪に、アイドルみたいな容姿端麗の美少女。

 居るのは構わないけど、そこは男子トイレの洗面台。

 別に、学校でも最近では、女子トイレが混み合っている場合で休み時間内に済ませられないと判断すれば、空いている男子トイレの個室や職員専用トイレも借りて良いという話は聞いた事あるので、あえて気にしないようにした。

 鏡の前で鼻歌を歌っている。

凄い美少女。

「えっ!」

京子ちゃんだ。

 特段、女子トイレは、混んでいて並んでいるとかいう気配は無いようだけど?

 僕は、少し嫌な感じがしたけど、我慢出来ないので小便器の前に立つ。

 京子ちゃんが近づいてきた。

覗き込んできた。

「うわっ。なに?」

「久しぶりね。詐欺師の鈴木さん」

「詐欺師?」

「なにが女子よ。付いてるじゃない」

「見ないでよ!出て行って」

「えっ、こんな可憐な美少女に出て行け!って酷くないですか?」

 僕が不思議そうな顔をすると

「中島先生の秘蔵っ子って、お父さんから聞いてた。たぶん鈴木さんだと思ったけど。男子だっていうから確かめに来たのよ」

「確かめに来たって。変態なの?」

「変態?失礼ね。詐欺師の分際でっ」

 でも、確かに女の子の服をきて騙していたのは事実だし、今日は頼みごとがある。

 僕が話しかけようとすると

「どっちにしても講演が終わったらお伺いします。うふふ。楽しみ、楽しみ」と笑いながらトイレを出て行ってしまった。

 僕がロビーに戻ると、中島先生は「京子ちゃん。戻ってきたよ。いまね控え室」と残念そうに言う。

 「いま本人に逢いましたよ。しかも男子トイレで」と言うと中島先生は「やっぱりね」と笑った。

 中島先生の話だと、京子ちゃんは普段から少しでも何かに興味を持つと解決しないと気が済まない正確らしい。

 だから、僕が男子か女子か解らなければ、平気で覗きに来る。

 そういう好奇心旺盛な正確が、天才の土壌らしい。

 

 開演。

 僕と中島先生は、ステージの一番前にある関係者席に座った。

「定刻になりましたので、前橋市交通市民フォーラム。市街地中心商店街と鉄道・路線バスの施策を開演します」

 登壇と言っても段差がある程度のステージなので、結構な至近距離。

 来賓挨拶。

 良くありがちな音響は五月蠅くて、慌ててスタッフが音響チェックを調整したり、パワーポイントのスライドが止まるなどのトラブルは珍しく起きなかった。

 「本日の基調講演は、国立何処乃大学経済学部交通経済学科教授の雨宮先生にお願い致します」と司会者の紹介。凄い拍手。

 開演したら、さっきの服装のまま壇上に雨宮教授と並んで登壇してきた。

 やはり雨宮京子ちゃんだった。

 基調講演は雨宮教授が行い、そのアシスタントに先ほどの美少女がチョコンと椅子に座って居る。

 交通政策界の神童”雨宮京子”。

 雨宮教授と雨宮京子ちゃんの講演会を拝聴して、同年代でありながら大学の先生や大人達が「天才美少女」と褒め称え、天才的かつ神々しい才能を存分に語り、噂に違わぬ本物であると認めざる得なかった。

 僕も、中島先生の指導を受けているので、何を語って居るのかは全て理解している。

 基調講演後の第二部。

 パネリストとして登壇した京子ちゃんが登壇した大人顔負けのトーク。

 誰もが感銘し、知識だけでなく実務的な事例まで語り出す手腕は、僕に身の程知らずという言葉を投げつけられた気持ちにさせた。

 可愛らしいイラストと、子供っぽい声で可愛らしく解説する姿は学校の自由研究発表会みたいで和んだ。

 でも、可愛いらしいのは語り口だけで、内容は交通問題の核心に迫る地域課題を的確に指摘していた。

 質疑応答では、天才美少女の鼻っ柱を折ってやる的な悪意を持った質問、または交通政策に関係無い質問などが集中して終了が15分遅れた。

    ♢ 

僕は、閉幕後に楽屋に招かれた。

 楽屋に入ると雨宮京子はノートパソコンを叩いていた。

 眼鏡を掛けていた。

 美少女の眼鏡は、なんか愛らしいと思った。

 「先ほどはどうも」と僕が声を掛ける。

 ハッとした顔になり「すいません。集中していたので」と立ち上がり眼鏡を外しテーブルに置いた。

 「まぁ、おかけください」と京子ちゃんと並んでソファに座った。

 そして渋沢温泉組合の依頼の件をお願いした。

「別に構いません。お受けします」

「良かった」

「でも。優さんは出ないの?地元でしょ?その美佳さんって人も出た方が良くないですか?佐々山電鉄応援団」

「うーん。美佳ちゃんは難しい話をすると寝ちゃうから。たぶん僕が出る事になるよ」

京子ちゃんは、腕組みをして目を瞑り、直ぐに目をぱっと見開くと

「アタシと勝負しませんか?」

「勝負って?」

「一年後に佐々山電鉄小湯線の存廃問題でアタシも登壇します。お父さんにも別に正式に講演依頼が来るはずです」

「佐々山電鉄小湯線と路線バスだけでなく、本体も廃止の危機って聞いたけど?」

「まだ水面下の話ですけど、佐々山電鉄が公的支援を狙うなら廃止を匂わせて行政や市民を煽る可能性はアリです」

「佐々山電鉄も群馬版上下分離方式を貰う為の危機感のあおり」

「さすが!その通りです。でも路線バスと小湯線は切りますよ。だから温泉組合が危機感を持ってる訳です」

「そうなんだ。僕の親戚の家が地獄沢駅前でホテルを経営してるけど、小湯線が廃止だと困るなぁ」

「うふふ。そこで勝負するんです。アタシのお父さんが基調講演をして、その後にパネルディスカッション。そこでアタシと鈴木さんがパネリストとして対決する。地元と天才美少女対決。ジャッジはウチのお父さん。観客の反応で採点って訳ですよ」

「勝負っていうからには、なにか掛けるの?」

「はい。アタシは絶対に勝つのは解ってますから、アタシが勝負に負けたら絶対にアタシが不利な条件を掛けます。エッチな事でも何でも優さんの言う事を聞きます。優さんが負ければアタシとお父さんの助手をして貰います」

「雨宮さんのお父さんがジャッジって不利だよね」

「アタシに勝つには死に物狂いで勉強をして貰わないと勝てませんよ。頑張って欲しいです。一年後アタシ。イイ女になってますよ」

 そしてニコッと笑い「どう受ける?」と僕に回答を求めてくる。

 いつの間にか、中島先生と雨宮教授は戻ってきていた。

 雨宮教授は、娘を叱るどころか笑っていた。

 「鈴木くんだったね。ウチの京子は一度決めたら引かないよ。迷惑だろうけど受けてあげてほしいね」と頼まれた。

 僕は「でも!京子さんは」と訴えた。

 「うん。だから安心してる。約束は守らせる。だから遠慮無く京子をギャフンと言わせて貰いたい。生意気な小娘をね」

 それは、京子ちゃんが負けることが無いという話らしい。

 「それより鈴木君。助手の件も本当に約束を守って貰うからね。私達も忙しいので手伝って貰うことが沢山あるんだ」

 京子ちゃんは「中島先生の秘蔵っ子なら大助かりだわ」と勝手に親子で盛り上がっていた。

 楽屋を出て中島先生は「うーん。優くん。一年間、スパルタ教育になるけど基礎から勉強しないと勝てないぞ」と言われた。

 その翌日から、沢山の教材や資料、論文を貰い、週末は経済学や土木、法令や過去の事例などを中島先生の大学のゼミにいったりして勉強をした。

数学的な計算や理論もあるので、佐々山

町に住む従姉妹である愛理の家から、佐々山町の中学校に転校した。

 遅れていた学校の勉強に併せて、どんどん中島先生の講習は難しくて専門的になっていった。


【小湯線廃止反対フォーラム】

 4月。

最近では、入学式前に葉桜になってしまう。

中学三年生になった。

京子ちゃんとの約束まで二ヶ月。

本来なら、高校受験の考えをするべき学年。

 佐々山電鉄は、既に三月のダイヤ改正に合わせて群馬県と沿線自治体、そしてマスコミに路線バスと小湯線廃止を公表した。

 鉄道営業法に基づく、国交大臣への廃止届け提出。

 佐々電バスは、9月に国交大臣に事業廃止届けを提出し、廃止該当路線の他社譲渡、コミュニティバス、または路線バスの完全撤退による交通空白地帯もやむなしという内容だった。

 小湯線は、9月に国交大臣に鉄道路線の廃止、代替交通機関(代替バス)を地元と協議して一年後に廃止。

 渋沢町と佐々山町は小湯線廃止反対の看板やスローガンを町内に張り出す。

 6月に、小湯線廃止反対フォーラム開催のアナウンスが公式に発表された。

 地元新聞社は、雨宮教授の娘・雨宮京子と地元・佐々山町の中学生の討論について告げた。

僕と京子ちゃんの単なる約束は、個人だけの約束ではなく公式な約束事としてのゴングが鳴らされた事になる。

 僕にも、取材申し込みが来た。

 あくまでも、天才的な交通政策の若き担い手である、京子ちゃんに挑む名の知らぬ地元中学生としての立ち位置。

 高崎交通経済大学の中島先生に聞くと、京子ちゃんは本気で僕を助手にできると豪語しているらしい。

 あくまでも、京子ちゃんは僕を見下している。

 本当に、京子ちゃんに勝ってエッチなお願いを要求する。

 その約束を愛理にだけ話してある。

「相手は有名な女の子なんだよね。勝てるわけないよぉ。それに愛理がいるじゃん」と興味も示さなかった。

 毎晩、学校から戻ると中島先生に言われた数学、ミクロ経済学、統計の勉強を勧めている。

 数学的な事は飯田さんのお兄さんに聞くために、飯田さんの家に行く。

 飯田さんは「雨宮京子と仲良くなるのは良い事よ。それは、ある意味ではアタシの野望でもあるから」と笑っていた。

 僕はネットで、事例やレポート、論文を読み出す。

「優ちゃん。本当に京子ちゃんに勝つ気なんだ。優ちゃんは愛理の事が好きだと思っていたんだけどなぁ。浮気者っ」

 愛理も複雑な顔をするようになった。

「美佳ちゃんにチクっちゃうかなぁ。絶対に妨害にくるわよ」

 美佳ちゃんは、絶対に邪魔してくるから教えていない。 

 経済学、交通政策とかの法令や事例、海外のレポートは中島先生にレクチャーを受ける。

 愛理が口を利かなくなってから、暫くして僕は体調を崩した。


渋沢町 小湯線廃止反対フォーラム

 当日。

 僕は、佐々山中学校の白のワイシャツに紺のスラックス。

 美佳ちゃんは、丸襟のブラウスに紺のフレアスカート。

 しかも、少し丈が短い。

 いつもは絶対にスカートを履かない美佳ちゃんだけど、今日は初めてスカート姿の美佳ちゃんを見た。

 愛理ですら「うわっ、美佳ちゃん足細ぃ。しかもスタイル良いじゃん。隠してやがったな」と悔しがる。

 「ほい。ちょっとスカートも短くしてやるかな。あのクソガキ京子の奴、絶対に優を誘惑してくるからな」

 愛理が「優ちゃん。まさか美佳ちゃんに約束の話をしたの?」と耳元で囁く。

 「言ってないよ。美佳ちゃんは変な処でカンが良いんだよ」

 美佳ちゃんは僕に恋愛対象としての好意はない。

 ただ、僕に女が出来ると自分が遊べなくなるから妨害するという友達的な嫉妬心らしい。

 雨宮教授と京子ちゃんは、今回は前泊している。

 しかも、ホテル伊藤のロイヤルスイートで二泊。

 確か、カフェテリアで煉瓦亭のケーキを食べたら美味しかったので佐々山町の本店に行くとかで出かけ中。

 

 こういうフォーラム系の行事は主に午後から行われる。

 まして、温泉組合が主催者なので、遠方からの参加者を渋沢温泉に宿泊して貰う意図もある。

 地元である僕達は、登壇者であり、今日に限っては渋沢温泉組合に招かれた来賓扱い。

 一応は客室を用意して貰っている。

 いつもは裏手の従業員社員寮で暮らす美佳ちゃんも、今日はお客様扱いになる。

 僕と美佳ちゃんは、控え室を用意され、制服の胸元にリボンが付けられた。

 ホテル伊藤の建物はエントランスから入ると一階がフロントになるけど、裏手の駐車場から入ると二階がフロントになってしまう。

 理由は、傾斜地に建物があるため約一階相当の段差が坂道にできてしまう。

 そんなわけで、会場であるホテル伊藤の鳳凰の間というホールもエスカレーターで地下一階まで降りる事になる。

 ホテルの駐車場は、農家の軽トラックや軽自動車で埋まった。

 小湯線の廃止反対運動なのに、ホテルの駐車場がマイカーで埋め尽くされる。

 沼川市は参加していない。

 関与していないのは、今回廃止予定の小湯線存廃問題には関わっていないからだ。

 渋沢町は、反対運動に平行して代行バスに対しての計画を立案している。

 佐々山町は鉄道廃止のみに絞って反対表明をしていた。

 本当に心配なのは、鉄道は時代遅れでありマイカーがあれば生活に不自由しないと言う人達も、小湯線存続に署名をしている事と、アンケートで存続が決定したら小湯線に乗るかという意見に(NO)と回答した人達が58%。


 いわゆる乗らないけど存続を希望。

 出来れば税金は投入しない方向で解決して欲しいというコメントが目立つ。

 行政は、鉄道廃止問題に詳しい役場の職員も居ないし、住民説明の不十分。

 フォーラムが始まった。

 雨宮教授は、前日から渋沢温泉に入り、小湯線を一往復していたらしい。

 外部講師のお手本みたいに地域課題を語り出す。

「小湯線に娘と乗車しました。感じた処は……」

 外部講師は、”必ず冒頭で余所者だが住民と同じ目線で地域課題を体験してきた”という事を発言し親近感を与える。

 海外の事例。

 鉄道営業法による廃止届けの話。

 そして住民の今後の活動を如何に進めるか。

 そういう話をしている最中に多くの町民は雑談をしたり居眠りをしている。


 第二部では、僕と京子ちゃんが登壇した。

美佳ちゃんは、ステージの袖にいる。

殆どの人達は聞いても居ない。

 京子ちゃんのお父さんは、課題を出して僕と京子ちゃんを交互に指名して回答を得る方式にした。

 僕は、一般論しか返答できない。

 京子ちゃんは、仮想的市場評価法を活用して支払意思額とか、ソーシャルキャピタルとかの専門的な手法を語る。

 明らかに僕より優位な立ち位置を確保していく。


 会場では、意味不明な討論に飽き始め帰宅する人達や、雑談、居眠りが増えていく。


 思わず僕は、マイクを持ち「もう小湯線は見捨てましょう」と叫んでしまった。


 帰宅する人達は戻ってきた。

 居眠りをしていたり雑談をする人達は、怒り出して怒鳴り声が聞こえ出す。

 僕は、簡単に噛み砕いて現在の状況、廃止を防げても直ぐに廃止問題は裁提案される事を説明した。

日本の鉄道や路線バスは、独自採算性という自らが稼いだ運賃から、職員の給与や施設改善などを行う。

 大手私鉄や都市部の路線以外では、沿線人口の減少などで実際は大赤字になる傾向にある。

 簡単に言えば、100円を稼ぐのに500円投資しないと電車やバスが走らせられない。

 企業という経済活動を行うには、赤字なら廃止や合理化などで損益をカットしないと倒産してしまう。

 しかし、鉄道や路線バスは、生活交通や地域の重要なインフラとしての価値があるので簡単にはできない。

 そこで税金を財源とする補助金や、上下分離という道路みたいに県、沿線自治体が設備を補助する方法がある。

大事な税金だから赤字の部分は無くさないと、税金の無駄使いになってしまう。

 赤字ローカル線を守る仕組みが、赤字ローカル線や路線バスを廃止しないと貰えない矛盾が生じてしまう場合も出てくる。

 小湯線も実はソレなのだ。

 廃止の理由は、群馬版上下分離方式という公的支援を貰う為に赤字体質の部署や路線を廃止する為。

 上下分離方式とは、主に下部会計と呼ばれる部分を行政が鉄道事業者に補助する。線路・基盤、電路関係の維持管理、車両の修繕などの経費。また列車の運行は上部会計として佐々山電鉄が経営を行うというもので、もっと細かい事をいうと固定資産とかの免除や優遇処置も加わる。

 財源が税金なので、鉄道事業者の自助努力、経営合理化、今回のような赤字分野の垂れ流しをさせない為に、赤字の路線バス事業の撤退、小湯線の廃止が条件とされた。

 

 群馬県では上毛電気鉄道、上信電鉄、わたらせ渓谷鐡道が既に受給しているが、何故か佐々山電鉄だけは受けていなかった。


 理由は、最初から佐々山電電鉄は自助努力をすれば補助金がカットされるので頑張らないで補助金に頼るという最低な経営計画を立てていたらしく、常に書類選考で弾かれていた。公的支援というのは、こういう話も実際にあるのも事実だ。

 行政側も住民側も勉強不足。


これも賛否両論があって、普段はマイカーで通勤していたり、小湯線を利用しない住民が廃止騒ぎの時だけ、サクラ乗車や廃止反対を訴えるのは無責任だという声もあったり、マイカー主流の時代に無理して税金投入をしてまで鉄道を守る理由が理解できないという声もある。


 なによりも、泣いても騒いでも佐々山電鉄は、今年の9月に鉄道営業法に基づき国土交通大臣に小湯線廃止届けを提出する流れになっていた。これが受理されると、沿線行政はバス代行や代替え交通の手配を速やかに進めて、一年後の鉄道廃止に備えなければならなくなる。


 僕は、こういう話を解りやすく説明をした。


 騒動は収まり、質疑応答も白熱した。


専門家の悪いところは素人に専門用語で説明してしまう事で、せっかく来てくれた市民や傍聴者が逃げ出してしまう事だ。

 この会場には部外者はいなくなった。

 

誰もが当事者。


 閉会時間を過ぎても質疑応答が収まらなかった。


 40分超過して、主催者側がストップを掛けた。


 場を乱した事を雨宮教授に叱られた。

 京子ちゃんは、僕を軽蔑したような目で一瞥した。

「悪いですけど、助手の約束は無かった事にします。ルール無視の発言。時間超過。最低な勝負ですよね」

 京子ちゃんの厳しい言葉。

 「悪いけど。少し失望したよ。登壇者が廃止するという発言は良い解決方法では無いね」


 レフリーが父親だからではなく、娘の無謀な約束を実行させない為の贔屓でもなく、僕も敗北を認めざる得ない結果だ。

「京子の勝ちだ。しかし……」と言いかけた時だ。

 その脇を、数人の地元のJAのキャップを被った作業着の農家の人達が口々に

「あの姉ちゃんの話は全く解らんかった。優ちゃんの方が話がスーッと入って来て小湯線をワシらで守らんと残せんというのが理解できた」

 喋りながらホールを出ていく。


京子ちゃんは泣き出した。


 雨宮教授は、ニコッと笑い。

「京子。この勝負の本当の課題はなんだい?覚えているかな?」

 京子ちゃんは泣き声で「多くの人に交通政策とまちつくりに興味を持って貰う」と答えた。

 雨宮教授は「そうだよ。京子は勝負には勝ったけど、一番重要な課題は落第だ」

 でも、負けず嫌いな京子ちゃんは「優さん。約束は守ります。なんでもアタシに命令を」と怒り口調で言う。

 雨宮教授は呆れ顔で「優くん。ウチの京子は一度決めたことは絶対に折れないよ」と両手を広げた。

 僕は困った。


 でも京子ちゃんは「ダメです。アタシの気が済まない。そうだホテル行きましょう。覚悟は出来ました」

 どうも、何かしら京子ちゃんとしては僕が命令をしないと場を収める気はない。

 そんなタイミングで会場から愛理が駆け寄って着た。

「どうしたの?トラブル?」

 愛理は驚いた顔をしていたけど、愛理は僕と京子ちゃんの勝負を知っている。

 空気を読んでくれた愛理は

「優ちゃん。京子ちゃんの事一目惚れだったんでしょ。良かったじゃん」

「嘘っ」

京子ちゃんは疑う。

「京子ちゃんもさぁ。軽々しくホテル誘うとか。優ちゃんの理想像を壊さないであげて」

 愛理は両手を腰に充てて京子ちゃんを睨んだ。

京子ちゃんは、顔を真っ赤にして僕に謝罪してきた。

「今度は、アタシが優さんに相応しい女の子になるから!それまで約束は延長しますっ」

 愛理はクスクスと笑い、京子ちゃんに

「引っ込みがつかなくて、誰かに止めて貰いたかった訳でしょ。負けず嫌いも度を過ぎると身を滅ぼすわよ」

 京子ちゃんはチッと舌打ちをした。

 そして京子ちゃんは僕に駆け寄り、ホッペにキスをした。

「今日はコレで勘弁してあげます。アタシに憧れるなら、もっと精進してください」

 プンプンと怒りながら雨宮先生の車の後部座席に乗るとウィンドウを開けて

「いいですか!アタシと優さんはライバルであり相思相愛。美佳さんとか愛理さんは弁えてくださいね」

 雨宮教授も「困った子でね。今回ので少しは懲りて人間的にも成長できれば良いんだけど。悪いね」

 美佳ちゃんが駆け寄って来た。

「おいおい!今、あのクソガキ京子の奴。優にキスしてなかったか?」

 愛理は「言っている側から面倒な子が増えた」と呆れ顔になった。

 京子ちゃん親子が立ち去り、駐車場で愛理に理由を説明した。



 【佐々山電鉄小湯線脱線事故】


 僕は群馬県立渋沢実業高校・観光科に入学した。

 佐々山町立佐々山中学校の僕と、渋沢町立渋沢中学校の美佳ちゃん。

 今日から、同じ教室で勉強して、同じ制服を着る事になる。

 僕は、水色のブレザーにスラックス。

「いひひ。アタシも女子高生だぁ」

 美佳ちゃんは、水色のジャンパースカートにボレロ。

「優。アタシに惚れるなよ」

 ボーイッシュだった美佳ちゃんは、髪を伸ばしてセミロングにして入学式を向かえた。

「ホント。鈴木と美佳はいつでも一緒だな。とうとうクラスメートになっちまったな」

 黒髪に清楚な顔立ちの女子は、呆れ顔で僕と美佳ちゃんを見ている。

 美佳ちゃんの住んでるホテル伊藤のオーナーの娘である伊藤早苗。 

 群馬県立渋沢実業高校観光科一年は定員40名に対して30名。

 実業高校と言っても、田舎の学校なので普通科もあれば商業科もある。

 観光科は、観光ビジネス、インバウンド、着地型観光とかを学ぶ学科で、主に渋沢温泉という温泉街ならではの実習がある。

 僕の場合は、交通政策とまちつくりをするのに、普通課よりは観光の基礎が学べるという部分で進路を決めた。

 高校一年生で、交通政策とまちつくりに関わる人は実際にあまり居ないと思う。

 ちなみに、美佳ちゃんは入学して三日で、クラスの男子から「ホイホイさん」と呼ばれ始めた。

夏休み前には、朝礼で美佳ちゃんは全校生徒の前で表彰された。

 美佳ちゃんは、小学生しか応募できない規定の”佐々山電鉄小学生ぬりえコンテスト”に年齢詐称で応募していた。

 景品の佐々電200型の限定グッズが欲しかったらしい。

 美佳ちゃんは応募規定を読んでいなかった。参加賞は学校単位で送付される。

 校長先生は、壇上にあがった自称6歳のさとうみかちゃん様に賞状と景品を手渡した。

 全校生徒が大爆笑して、小馬鹿にしたような大絶賛の拍手の中、美佳ちゃんは悔しそうな顔をしていた。

 超本気モードの塗り絵は、夏休みに佐々山電鉄の車内に掲出される。

 そんな美佳ちゃんは「佐々山電鉄応援団として佐々電の増収対策に協力しただけ」と正当化している。

 9月には、佐々山電鉄は国交大臣に小湯線の廃止届けを提出する。

 署名運動や、廃止反対集会が行われていた。

 もう、廃止が決定的になる最後の沿線協議会で奇跡が起きた。

 佐々山電鉄応援団の活動が全国放送のテレビで報道され、全国の鉄道廃止問題に関わっている組織から、沢山の応援や支援が来た。

 群馬県と沿線自治体は、暫定的に補助を出すことで小湯線の可能性を見守る事になった。

 そもそも、高校生応援団が法定協議会に参加できる理由。

 鉄道会社を支援する専門的な知識と経験を持つ地域市民団体の参加という枠。

 それに該当する組織は、佐々山電鉄応援団しかなかった為だった

 8月2日 あの事故の起きた日に最終的な決定をする会議があった。

 僕は美佳ちゃんと一緒に渋沢町役場で行われていた佐々山電鉄沿線協議会に参加していた。

 参加者は、群馬県県土整備部交通政策課、沼川市市長(代理出席・道路維持課課長)、渋沢町町長、佐々山町町長、佐々山電鉄株式会社社長、同常務、そして佐々山電鉄応援団のリーダー佐藤美佳、そして僕が出席していた。

 今年の4月に、佐々山電鉄が群馬版上下分離方式を受ける条件として赤字分野の切り離しを行わざる得ないという理由から、路線バス事業の撤退、小湯線の鉄道廃止及び代替バスへの検討が議題となった。

 規制緩和で住民合意に至らなくても佐々山電鉄が国交大臣に廃止届けを提出し受理されると、一年後に廃止が出来るという。

この状態を小湯線の危機を住民が自分達の問題として受け止め策を練るという条件で一年間先延ばしをして再度検討という話に持ち込んだ。


       ♢

 美佳ちゃんは渋沢町の住人で、本当なら小湯線に乗る必要は無いのだけど、小湯線で一駅目の地獄沢駅前にある僕の家に来る為に乗車する。

 町役場から外にでると、朝は天気が良かったのに真っ黒な雲が空を覆い冷たい風が吹いていた。

 ゴロゴロと雷鳴がして、木々が揺れる。

 「やばいな。駅まで走るか?」

 僕と美佳ちゃんは、渋沢駅まで走った。

 丁度、渋沢駅の屋根がある場所まで掻けってから、ポツポツと大粒の雨が乾いたアスファルトを濡らした。

 その後、直ぐにバケツをひっくり返したような雨風が吹き荒れ、雷鳴が響き渡る。

 「あぶねぇー。ギリセーフ」

 美佳ちゃんは、そう言っていたけど。

 今になって考えれば、乗り遅れた方が良かったと思う。

 そう、この数分後に僕と美佳ちゃんは地獄絵図を見る事になるからだ。

 渋沢駅の入口で、二人のメイド服姿の女子高生を見かけた。

 美佳ちゃんは「おー優。秋葉原に居るみたいな格好した奴が居る。スゲーな。いらっしゃいませご主人様だ」

 明らかに、彼女達は僕と美佳ちゃんを監視していた。

 インスタント・ハッピー・カンパニー研究所の南場チームの制服だ。

 スカウト?

 僕は、自分に都合の良い方向で勘違いしていた。

 渋沢駅の改札口を通って、3番線の小湯線の電車に乗り込む。

 20人ぐらいの小学生達が乗って居た。

 電車が動き出してから、飯田さんからスマホに着信が入って居た事に気がついた。

 会議中なので電源を切っていた。

 メッセージが入って居た。


 「鈴木君。今日ね。絶対に佐々山電鉄小湯線の電車にのっちゃダメ!死んじゃうよ。あの予知夢の日付は今日だったのっ」


 それは、結構大声で本気で留守電に入って居た。

 僕は飯田さんに電話をした。


「鈴木君。今どこ?まさか電車に乗ってないよね?」

「乗ってる。もう間に合わないかも」


「もうすぐ事故が起きて脱線して大勢の人が怪我する。もう時間になる。二両目に逃げるか、何かに掴まって」


 美佳ちゃんは、運転席の背後で前方を見ている。


「美佳ちゃん!戻って!直ぐに」と僕は怒鳴った。



 そして、小学生達に「何かに掴まって」と叫んだけど、小学生達は僕を頭のおかしい人みたいに見ていた。

 美佳ちゃんも「なんだよ。優……」と言いかけて床に叩きつけられた。

小学生達も、一斉に椅子から投げ出されて、ガラスが割れる音や電車の激しい警笛が鳴り響いた。

 大きな振動と衝撃。

 美佳ちゃんは、右手を押さえて失禁していた。

 小学生達は、「お母さん痛いよぉ」とか泣き叫んだり、呻き声を上げたりしていた。

 ガラス片で血しぶきを上げて呆然としていり女子は、高学年の女子がタオルで止血していたり、地獄絵図を目の当たりにした。

 直ぐに、道路の方からクルマのドライバー達が救助に来てくれたり、佐々山電鉄の保線区の人達が応援に駆けつけたりしたけど、救助されてブルーシートで寝かされ

て脱線した電車みて怖くなった。

 美佳ちゃんも「命を持って行かれないだけ御の字の事故だな」と呟いた。

 後日、飯田さんの話だと美佳ちゃんは、あのまま運転席の背後にいたら即死だったらしい。

 

(二巻につづく)











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