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『こんなに好きなのに』は、愛じゃなかった(30代前半/Cさんのしりもち)

成功談より失敗談からの方がより多くを学べる。どんなに悲惨な話にも、笑える余地はある。ササエル・タスケはそう考えます。どこかのだれかが赤裸々に語るどうしようもない「しりもち体験」を心理学的にしつこく深掘りし、余すことなく学びを得たら、何度でも懲りずに生まれ変わろうというコンセプト。転んでもただでは起きなかった数々のエピソードから、明日を生きるための笑いと勇気を見出しましょう。

マガジン『しりもち百貨店』の説明より

Q1 あなたの「しりもちエピソード」を教えてください。

A1 大恋愛をしたつもりが、愛に飢えていただけでした。

 20代後半の頃、職場の既婚男性を好きになってしまいました。もともと恋愛をするつもりで仲良くなったわけではないのですが、相手と感性が似通っていて話をしていると離れがたく、どんどん惹かれていきました。はっきりとは言わないものの相手からの好意が伝わってくるし、奥さんよりも自分の方が彼の本質を深く理解しているという自負がありました。

 私は独身で、年齢的に生涯のパートナーを探さなくてはならない時期なのはわかっていました。妙な不倫関係になって時間を無駄にしたくはない。でもどうにも強烈な運命を感じる彼のことがあきらめきれない。惹かれ合うのを止められず、同僚以上恋人未満を続けて2年が経過。私は30歳になりました。

 人生のパートナーとして彼以外の人は考えられなくなった頃、彼が地方転勤になりました。私との関係を奥さんに疑われたことがきっかけで、奥さんの実家がある地方への転勤を希望させられたようでした。もはや簡単に連絡を取ることもできなくなりました。不倫を思いとどまって苦しい思いをしていたのに、結局彼を失うことになってバカみたいでした。こんなことになるなら存分に恋愛しておけばよかったとさえ思いました。

 彼がいない生活が耐えがたく、すべての歯車が狂ってしまってみるみるうちに痩せてしまいました。見かねた友人が恋愛相談で行列ができるママがいるというゲイバーに誘い出してくれました。私はカウンターで大泣きしながら、彼と会えない寂しさや虚しさ、奥さんより自分の方が彼を幸せにできると思っていること、とにかく会いたくて、そばにいたくて、声を聴きたいことをぶちまけました。

 ママは、「あなた、もともと飢えてるのよ。飢えを満たすために彼を利用しちゃダメよ。それって愛じゃないし」なんて怖ろしい台詞を言い放ったのです。私はカッとなって暴言を吐いてしまったのですが、ママは「あなた、いつから飢えているのか考えてごらん。そして、また話しに来なさいよ」と、にっこり笑うだけでした。

30代前半/Cさんの事例より

Q2 その後、あなたはどうしましたか。

A2 彼のことより自分のことを真剣に考えるようになりました。

 ゲイバーでは暴言を吐いて帰ってきたものの、酔いが醒めてもママの言葉が頭から離れません。いつから飢えていたのか。そんなこと、誰にも聞かれたことがありませんでした。彼と出会ってからは、頭の中はいつも彼のことで占められていたけれど、彼と会うよりずっと前から、私はたしかに飢えていたのです。

 それから何度か一人でお店に足を運び、お酒を飲まずにママと話をするようになりました。「レモンはいろいろ浄化すんのよ」と、炭酸にレモンを絞っただけのグラスを差し出すママは、いつもちょっと不思議な質問をする人でした。

「彼との関係であなたが得たもので、これからも持ち続けたいものを言語化してみて」
「この物語の台本を書いた脚本家があなただとして、あなたの人生にどんな役割で彼を登場させたのか考えてみて」
「彼との間で感じたような渇望を、ずっと昔に感じたことはない?」

 すぐに答えが出ないような考えさせられる質問ばかりでした。ママはそんな宿題を出して、ついつい愚痴ってどこまでも落ちていく私の上滑りの言葉を封じました。そして最後に、「また話しに来なさいよ」と言うのです。
 今思うと、彼へ激しい依存心をママが一時的に引き受けてくれていたのだと思います。彼のことばかり考えていた私は、徐々に自分のことを真剣に考えるようになりました。

30代前半/Cさんの事例より

Q3 現在のあなたについて教えてください

A3 恋愛偏差値が少しだけ上がりました。

 今も独身ですが結婚を焦ってはいません。ただ、苦しい渇望感のある恋愛は、もうしないだろうという確信があります。

 実は、ママとの対話のなかで、ずっと夫婦仲が悪いのに未だに離婚しない両親との暮らしで感じていたことを思い出しました。「奥さんより彼を理解しているのは私。奥さんより彼を幸せにできるのは私」という気もちは、両親を見ていて感じていた気もちに酷似していました。「ママよりパパをわかっているのは私。ママはパパをわかっていない。私ならパパを幸せにできるのに」と思っていた健気な小さい自分。両親の幸せには両親が責任をもつべきであって、小さい私が考えてあげることではなかった。笑顔が少ない両親のもとで心細かった小さな私。自分のせいじゃないのに両親の問題を解決しようといつも頑張っていた自分。私は、もっとのん気に安心しきって子ども時代を過ごしてもよかった。そのことを唐突に思い出したときは、涙と鼻水にまみれて大量のティッシュを消費しました。

 嵐みたいな心のプロセスが去ると、胸に吹いていた隙間風みたいなものがなくなり、ほっこり温かい感覚すら芽生えていることに気づきました。やたらと欲しがる自分はどこかにいって、「私は私を大切にするだけ。私は私を心地よくできるし、私は私の良いところを育てられる」という自負が出てきたのです。そうなると、「彼は、私が私自身に戻るためにきっかけをくれた人」「彼も彼で、自分で自分を幸せにしていくしかない。私にできることは自分のことをしっかりやることと、彼の幸せを願うことくらい」と思えてきたのです。こんなことって、あるんですね。

30代前半/Cさんの事例より

Q4 この体験から、あなたが学んだことを教えてください。

A4 耳に痛いことを言ってくれる人も必要です。

 都合の悪いところも見事に映ってしまう鏡。それが「耳に痛いことを言ってくれる人」なのだと思います。ただし、その人に深い愛情がない場合はひたすらキツイ。ただ傷つけるためにずけずけと正論を放つのではなくて、ポジティブなビジョンを共有しながら愛情をもってつきあってくれる人の話なら、人は聴けるのだと思います。

30代前半/Cさんの事例より

 渇愛の苦しさからCさんが得たものは、これからの人生を根底から支えていくことになりそうですね。


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