真っ白な世界

 足元の、踵の後ろにある大きな穴。
 踵の後ろ、もはや踵の端のすぐ下に。ちょっと後ろに重心が傾くと、そのままどこまでも落ちていきそうな気がする。どんな大きさの穴なのか、どんな深さの穴なのか、振り向いて確かめればよいのかもしれないが、確かめようとするそのちょっとした動きでもはや落ちてしまうのではないかと恐れてしまう。足元にあるものが何なのか、はっきりと確かめられないままに、とにかく落ちないようにと、気を抜くことが許されず、ギリギリに張りつめた中にずっととどめ置かれている。寝ても覚めても怯えるだけ。己が吐く息の数を数えながら、一分一秒が過ぎていく。



***

専門学校時代の友人が死んだ。彼女の絵は本人を表すように、優しい筆遣いで描かれる。それでいて、何かを訴えるような、vividな色合い。突然入り込む乱暴な色調に、遠くからでも思わず目が奪われる。学内のコンテスト、企業とのコラボ商品のデザイン。こういう人がこの業界に残っていくのだろうと思っていた。それが叶わなかったのは何故だろう。優しすぎたことが問題だったのか。
 訃報を知るきっかけとなったのは、三週間前に思いついて出した、忘年会企画のメールだった。


***

彼女はどうしているだろうか。彼女が絵を描けなくなって、久しい。老舗のお菓子会社のパッケージデザインを行う傍ら、ずっと絵を描いていた。描いてはコンテストへ、コンテストへ。彼女の創造力は止むことを知らなかった。学内でも優秀な成績で、学生時代からすでにいくつかの企画商品があるほどの彼女だったが、本当にやりたいのはデザインではなく絵を描くことだった。だが、やはり道は厳しい。画家になど、すぐさまなれるものではない。
 私はというと、そんな厳しい道はすぐにあきらめがついた。絵を描くのは趣味にしたら良いじゃない。ホームページつくって、絵を載せて。Pixivだって今はあるし、個展を開くことで発表だってできる。
 いや、嘘だ。あきらめるのに、少し時間がかかった。妄執とも呼べる固執を振り払えたのは、単に体調を崩して、もはやしがみ付いていられなくなっただけのことだった。
 気を抜けば、暗い暗い場所に堕ちていきそうな予感と隣り合わせの毎日に怯えてた時、先に体調を崩したはずの彼女が言った。
 「毎日、生きていくのは辛い。だから頑張ってとは言えないし、言いたくもない。でも、あなたに何かあったら、私がすごく悲しい。私のわがままだけど、どうか元気でいて。」
 絵からはすっかり離れて、働きだす。離れるのは意外に簡単だった。時折、電車のつり革広告や街に溢れるポスターを見ては、ふと泣きそうになることもある。でも、仕事はどんな仕事だって、やりがいを見つけられる。幼い頃、絵を描いてばかりで協調性の無い私だって、その気になれば笑顔で接客ができる。一生懸命働いて、充実した一日。クレーム対応に疲労した一日。いずれにせよ、会社帰りのビールは、旨い。
 彼女は元気にしているだろうか。ずっと不調なのは知っているが、少しは楽になれただろうか。前に会ったのは春のことだった。季節は巡って、もう師走。しばらく会ってなかったけれど、彼女はいつでも私の頭の片隅に住んでいた。ゆっくり話す暇もなかったけれど、ずっと気にかけていた。
 そうだ、忘年会をしよう。その思いつきを、思いついたままに、したためたメールを彼女に送る。

 そうして返信を待って、三週間。いつもの彼女なら、数日で連絡をくれたから、何かあったのではないかと気になり始めた矢先だった。彼女の不調はわかっているから、今は誰とも話したくない時期なのかもしれない。そうも思った。それでも。それでも彼女のやさしい性格を思い起こせば、友人への返答をいたずらに伸ばして、相手に心配させるようなことは無いはずだった。
 連絡できないぐらい、体調が悪いのか。病気が悪化したのではないか。
 そんな予感が頭をよぎり、一週間前、再度メールを送った。体調はどう?寒くなったから、温かくしてね。

 やっぱり返事は来なかった。来ない。どうして?何か起きてる? 
 しびれを切らして、他の人からも連絡をとってもらおうか、と思った矢先、返信が来た。彼女のメールアドレスから送られたものだったが、それは彼女のお兄様からの返信だった。受信箱の画面から、メールを開かなくても見れる冒頭の数行に、彼女が亡くなった旨が書かれていた。メールを開くべく、画面をタップする指が、自分のものではないような、心もとなさを感じた。


***

幼なじみが死んだ。もうずっと、病に悩まされ、闘病してきた彼女が死んだ。小さい頃から、ともに遊び、いつしか同じ夢を持ち、同志ともいえる彼女と、生活が変わって会わなくなって久しい。
 訃報が届いたのは、日曜の朝だった。同じく仲のよかった友人が、一年の煩悩を払おうと忘年会を企画したが、彼女には連絡がつかなかった。全国的に寒波が襲い、朝から殴りつけるように霙が降っていた。夜に降り積もった雪で、ふだん降雪地帯ではないこの地域は、すでに交通網が麻痺し、慣れない雪に車も出せず、バスも電車も遅延した。
 今日が、日曜日でなければどうなっていたかと、ぼんやりと窓の外を眺めて、どれぐらいの時間が経ったろうか。彼女の不在を信じることができない。

***

実家はこの寒波でも雪は降らなかったらしい。ほんの少し霙のようなものが降っただけで、後はずっと雨だったと、母が言った。美野里のことは母も知っている。私たちは幼なじみで、よくお互いの家に行き来して、二人してずっとお絵描きをしていたのだから。
 上手く話せたかは分らない。泣かずには話せたけれども、自分が何をしゃべったのか、頭の中はまとまらず、必要なことをきちんと話せたのかは分らなかった。それでも美野里の訃報を伝えたら、母は電話口で押し黙った。昨日の朝、メールで訃報を受けた時に、周囲の時間が止まったような感覚になったことが想起される。あの時の私は、裕に一時間以上、窓から交通網の麻痺した雪の日曜日を眺めていたのだった。時間の感覚なんてない。束縛が解けた時、時計を見て時間の経過を知ったのだ。
 電話口から伝わる、そんなデジャブのような感覚。凍結が解けた時、母は言った。
「やっぱり、そうだったの…。何かあったんじゃないかって、思ってたの」

 美野里はうつを煩ってパッケージデザインの会社を退社した後は、ずっと実家に戻っていた。母はこの数年、時折彼女をスーパーなどで見かけたのだという。他人の目が怖いのか、いつもうつむくように、そして見つからないように息をひそめているようだった、と母は言っていた。それでも、昔から知っている母と出会った時には、昔ながらの人懐っこい笑みを浮かべて、挨拶を交わしていたと、母は言っていた。
 美野里にとって、それが、そんなに簡単なことだったとは思えない。人目に怯えながら、それでも人のいる場所に出向いていたのは、きっと、何かと闘っていた証なのだと思う。
 そんな美野里に、この数ヶ月、母は全く会ってなかったと言った。こんなに長い間見かけないのはこれまでに無かったらしく、美野里を心配する母は、病気が悪化して外出がままならなくなった可能性を危惧していた。さすがに、亡くなっていたとは、ついぞ思っていなかったが。
 ちょうどそう思い始めた矢先、美野里のお母さんとも、母は会わなくなってしまったらしい。なんとなく避けられているような気がして、母は自分の危惧があたっているのではないだろうかと思ったと行った。
美野里は大丈夫なのか、と年が明けたら私に聞くつもりだった、と母は言った。そこまで言って、母はもう電話では何も言えなくなってしまった。

 私は美野里に腹がたった。どうして、一人で逝ってしまったのか。どうして、これほど悲しい思いを私たち周りにさせるのか。もう少し、頑張れやしなかったのか。ちょっとだけでいいから、手を差し出してくれれば、という気持ちをどうしても抑えられなかった。

***

テレビのニュースで全国的な寒波が報道された。寒いのは嫌いだから、今日はゆっくり布団の中で過ごしたい。出張帰りの体を労りながら、お昼のサイレンで目が覚めた。窓の外は真っ白で、雪はやむということを知らない。
 昼まで寝るぞと思って、アラームを切っておいた携帯が、枕元で瞬いている。メールかな、と思ったら、留守電が一件入っていた。どこで電話番号を知ったのだろう?メッセージの主は在学中、一度も話したことの無い同級生だった。ながれるメッセージが信じられない。
 その日、その後をどんな風に過ごしたか、実はよく覚えていない。

 そんな白紙の一日を過ごしたのだと、後に集まった時に多くの友人が語った。

***

淋しくて、怖かった。頭の中は散らかった部屋みたいで、どこに何があるのか、自分が何を感じているのか把握することができず、思考は大雪の朝の交通網のように麻痺して止まった。

 彼女の不在を信じられない。普段会っていなかったから、尚更のことだった。
 もしかしたら自分が彼女だったかもしれない、私が代わりに死んでいたかもしれない。彼女のような状態に陥らなかったのはたまたまではなかったか。
 ひょっとしたら、何かできはしなかったか。うつで、他の人よりも敏感で繊細になっていた彼女を、私はうっかり傷つけはしなかったか。
 一緒に夢を目指していた私は、一人で苦しむのをやめたことは、近しい間柄だっただけに、最も手ひどい裏切り行為になりはしたのではなかったか。彼女がそれを理由に私を責めるような人でないことは、私が誰よりも知っていたけれど、淋しさや辛さを感じるというのは、彼女の人柄とは関係ない、ただ自然のものであって、それで彼女を疲弊させはしなかったか。

 思考は脈略無くつながり、暴走するようにあふれ、思いの洪水に全てが止まり、麻痺する。

 世の中は、温かいようで冷たく、冷たいようで温かい。期待をかけすぎれば裏切られるが、何も期待しなければ、社会に対しては無気力になる。適当に期待して、折り合いを付ける。そんなバランス感覚を、うつになった美野里は失ってしまった。全てに怯え、何もかもが辛くなり、一息一息を数えて、とにかく時間をやり過ごすような、そんな暮らしの中で疲弊してしまった。最初は画家への道を行く中でエネルギーをすり減らしてしまったことがきっかけだったのだろうけれど、その後は坂を転がるように、些細なことにも、気力を削られていったに違いない。

 誰も助けてはくれない、自分は独りだと、絶望する美野里の顔が、ふと自分の顔に変わる。私は今のところ、坂を転がらずに済んだけれど、何かのきっかけで足を踏み外していれば、同じ結末を迎えていた可能性は十分にあった。

 単純な淋しさ、恐怖、うしろめたさ。
 一人では過ごすことができなくて、彼を家に呼んだ。ずっと一緒にいてとしがみつき、彼に頭をなでてもらわなければ、夜を過ごすことはできなかった。彼にひきずられ、出社し、帰りも待ち合わせて一緒に帰った。美野里が落ちたのと同じ穴に落ちる恐怖が体の周りにねっとりとまとわりついて、とれなかった。
そして、そうやって怯えている自分が、ひどく自分勝手に思えた。
美野里の不在を悲しむことで頭をいっぱいにできない自分は、ひどい裏切り者だと思えた。

 美野里の不在は、美野里と三人で中のよかった雪絵を私から遠ざけた。雪絵は美野里と幼なじみで、実家ぐるみの付き合いだったと聞いている。雪絵も美野里も絵が好きで、私たちは美術系の専門学校で知り合った。私たちはお互いに似ていて、それでいて互いにないものを持ち合わせていたから、三人のかけあいは漫才のようだと周りからよく言われた。
 美野里の訃報を一番に伝えたのは雪絵だった。雪絵に会って話したい気持ちも、雪絵にあうと美野里のことを考えずにはいられなくなることが、つらくて、会いたくない気持ちもあった。
 逡巡しているうちに、いたずらに時間は過ぎて行く。
 雪絵に会いたい、でも会いたくない。これ以上、美野里への気持ちが頭を駆け巡るのは、辛い。

 気が付けば、訃報から三ヶ月が経っていた。結局、美野里と仲の良かった誰とも会わずにこの三ヶ月を過ごした。
 時折まだ、雪もふるけれど、春の兆しが見え始めた。なんだかずっと、暗いところで、戸惑っていた気がする。美野里への思いは色々ある。三ヶ月たって、訃報を信じられない気持ちは更に大きくなった。恐怖も後ろめたさも、思い起こせばいつでも生々しい。でも、いつの間にか,ほんのちょっと奥の方に埋めておくことができるようになった気がする。4月になったら、一度皆で集まろう、と美野里を知る友人達と約束をしたのはつい先週のことだ。お兄様にも連絡をして、美野里が好きだった春になったら、弔問に行くことも許してもらった。
 麻痺しすぎたのかもしれない。色んな思いを抱えていることに疲れて。溢れ返って、逆に何が何かわからなくなった時、頭の中は、あの大雪の朝のように真っ白になる。

 窓を開ける。日曜日の朝。春の気配が色濃い、ほんの少し暖かい今日。私を心配して、あれから週末は泊まりに来てくれるようになった彼が、まだベッドで丸くなっている。

 何も考えられなくなった、頭の中に、残った一言は、

 私は、絶対に、死なない。

 だった。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?