果てしなく遠い

「亡くなった人を忘れないで」という意味の言葉は、色々な場所で聞く。
友達の葬式の席で、その親が「たまには思い出してやってください」という。
この言葉は常套句だ。

「忘れてないよ」と示すために、
お盆になったらお供えをする。
命日になったらお供えをする。

でも、そんなことをしなくても、たいていは覚えている。
自分の人生に関わってきた人のことは、そうそう忘れるものでもない。

でも、亡くなっていった人たちを全部覚えていたら、そのうち頭のメモリーは死人ばかりになってしまわないのだろうか。
生きていくためには、目の前にあることのために、生きている人や日常のことにメモリーを費やすべきなのではなかろうか。

そう、時折思う。
一方で、そんなことを思う自分を不謹慎だと思う。
亡くなったけど、私にとって大事だった人たちを悪いもののようにいうようで、ものすごく嫌だと思う。

でも、そんな罪悪感に縛られる必要があるんだろうか。

漫画家のいくえみ綾さんの「清く柔く」の最後を思い出す。
死んだ幼馴染の恋心に答えられなかった主人公が、罪悪感でがんじがらめになっているとき、もう一人がこういう。
「あいつは、あんたをがんじがらめにして苦しめるようなやつだったのか、ちゃんと思い出してやれよ。そうじゃなきゃかわいそうだ」と。

その通りだと思った。
でも、自分が死んだ人間だったら、そんなきれいじゃないかもしれないと思った。
苦しみながら死んでいったとしたら、自分を助けてくれなかった人に対して、お前も苦しめと思ってしまうかもしれない。
そう思うと、この言葉も、亡くなった大事な人を美化して、過去のことをはすべてよかったものとして、今の状況を、今の自分を肯定しているだけに過ぎないのではないかと思った。

結局、生きている自分が亡くなった人を
覚えていても、
忘れていても、
美化しても、
貶しても、

どれも、すべて生きている自分の心を落ち着かせて、目の前の生活を滞りなく行わせるため。

そうして、私はたどり着く。

どんなに私が亡くなった人たちのことで思い煩おうとも、
もはや、その人たちにかかわることは微塵もなく、
一片の影響も与えられないほどに、

隔離されてしまったという現実に。

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