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2020.08.13 晴 27°/34° 盆シーソー

今日も会いましたね。おはようございます。

実際に話しかけているわけではないけれど、ここ数日出会うので毎回ココロの中で語りかけています。

よくカマキリさんに会うので、私はきっと好かれているんだろうなぁ。私も好きになっちゃうよって思ってホクホク顔で畑に出向いていたのですが、カマキリさんの移動範囲はとっても狭いって、最近知ってしまったので、完全な私の片思いだったことを知って、ちょっとさみしい気持ちになりました。それでもカマキリさんに出会うことができるとなんだか幸せな気持ちになります。毎日ここに来れば会えると信じている自分がいます。

今日のカバーは 私は上を目指している です。

そうそう、ここでもしつこい私は何回もiPhoneのカメラをむけてカシャカシャ撮りまくり。カマキリさんはきっとポーズを決めてくれているのだろうけど、なかなかピントが合わなくって。下手くそなのを知って知らずか、その場に留まってくれるので、最終的には満足な写真を撮って帰ることができます。

さて。今日はですね「紫蘇(シソ)」のお話です。

今季は青しそについては2本を苗を買ってきて定植しています。それに加えて、畑に半ば自生している赤しそを移植して育てています。


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こちらが青シーソー

青々した葉っぱを見るだけで、爽やかな薫りが画面越しから伝わってくるような気がします。夏の時期は食欲が減退しがちだけれども、そうめんや、冷やして食べる酢っぽい料理にピッタリ。また青しその天ぷらとか、いくらでも食べれちゃいます。


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赤ちりめんシーソー

私がまだ幼い頃、おばばちゃんがお家で梅干しを漬けていたのを思い出します。私のイメージだと、とにかく赤しそがたっぷり入ってた。私はその漬かった赤しそが大好きで。調子が悪いときや、風邪を引いたときに、梅干しの瓶から梅干し一粒と、赤しそたっぷり湯呑に移して、そこに熱湯を注いで、スプーンでかき回して「お〜酸っぱうまい!」っていいながら、食べる梅しそ湯にしてたっけ。なんかお盆だからか、おばばちゃんのことを思いがします。


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青シーソー?

一間離れたところから見るとですね、青シーソーなんだけれども。なんだかうっすら赤紫がかっている気がする。葉脈はもう赤い感じ。君は青シーソーなの?


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赤シーソー?

ん〜。葉を裏返してみると、裏面はほんのり赤シーソーなんです。なんとも不思議だなぁって、調べてみると。青しそと赤しそを同じ畑で混色していると、交配して、そのこぼれ種から成長したとか、そもそもそういう品種があるようです。きっとこの畑の経緯からすると、前者なのかな。まだ収穫していなので、今度食べ比べしてみようかな。見た目は違うけれど、味はどちらかに寄っているかも。確かめてみよう。


さて、今日は学生の頃からの知己と軽く食事をしてきたのですが、最近の近況とか他愛もない話をしてきたのです。その話の中でこういわれたのです。

「何をしたいのか、相変わらず、何をやっているかわからんや〜」

そうなんですよね。私もわかりません。何を目指してるの?って。ん〜。私はどこに向かっているのか、そこに留まろうとしているのか。そんなこと全然考えなくなってしまった気がします。とりあえずやりたいからやるし、興味や好きが向いているから続いている感じなんですよね。多分半分褒め言葉だろうって受け取ってる部分もあるのだけれど。

なんでしょうか。旗から見ると不思議な人に見えるのでしょうか。平日は一時間くらい畑で動き回ってから、仕事に向かうのが日課なんですけれど、その話をするとよく言われる言葉があったりして。

「大変ですね」って

ん〜。畑に行くことは大変なように見えるのでしょうか。その「大変」ってなんなんですかね。早起きしていること?畑で身体を動かしていること?それとも・・・。

収穫した野菜をもって会社に行って、涼しい場所に置かせてもらっているのだけれど。いつだって同じ部署や親しい同僚には「いやぁ、今日は○○がたくさん採れちゃったよ〜」「同じ野菜に見えて、全部品種違うんですよ!」「食べますか!?」って、きっと相手は聞いても居ないのに、しつこく自慢をしているくらい。多分またはたけバカがなんかよくわからないことを言っているって思われているかも(ごめんなさい)

私は畑のことについて、しつこくうるさく好き放題に聞いてもらいたい一心で、ひとり語りはしているけれど。一言も「大変です」って自分の口から言ったことはないんだけどなぁ。なんでしょうね「大変ですね」って。好きだからやっているし、目的も何もそれだけで十分なのではって。

そうそう。少し赤シーソーのところでおばばちゃんのことに触れましたが、ちょうど今はお盆休み。あんまりうちのおばばちゃんが入っているお寺さんのこととか知らなくって、形からだけでも思って、ある本を読んでいたのです。そのなかにちょうどヒントになりそうな言葉あったので最後に紹介しておきます。


何から勉強しようと思って調べていって、そうだ!お寺さんが曹洞宗なので、曹洞宗からひろっていけばいいんだ!って、とりあえず道元さんにたどり着きました。

利行は一法なり


人間は「自利」「利他」を分けて考えているけれど、大きな命の世界では自分も他人もなくって、みな仏の命を生きているそうです。

自利は利他につながっている。
自分のためにやっていることは、他の人のためになっている。

利他は自利につながっている。
他の人のためにやっていることは、自分のためになっている。

なんだか私はこの言葉にとっても救われちゃう。だって畑仕事って自己満足のためにやってるって公言しているけれど。それが人のためになっているかもしれないって思えるだけで、このまま進んでいってもいいんだって気持ちになる。というか私はそう解釈した。このまま進もう。

ということで、私は明日も最高の気持ちで畑に行けそう。

いやいや、その前におばばちゃんのところにいってこよう。

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