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青い空に向かって尋ねてみたい

私は先日、ある話を書いた。
自分としては、意外とよく書けたと思った。

これって、
「ちょっと文章を書くの好きかな」っていう人あるあるだわ、
と思いつつ。

我が人生、やらないよりやった方が良い、
ということで、それらしいところに応募した。

あっけなく落ちた。

でも食い下がらず、ここに載せる。
というのは、話を書いた時から思っていたけれど、
つい最近、事故があった。

私はテレビでそのニュースを見て、
私が書いた話を載せてはいけないのではないか、
と思った。

だから躊躇した。

だって、どちらの人にとっても、
どちらの人の家族にとっても、
とても悲しくて、辛くて、しんどいことだと思ったから。

私は今、
彼女達の気持ちが、
そして彼女たちの想いに、
きちんと整理がつくことを願うしかない。
そう願いながら。



  
 
 何がどうとかという問題はなかったけれど、寒さがほころび始めたころ、ふと新しい場所に行きたくなり、今のマンションに引っ越した。思えば大学を卒業して東京に移り住んでから3度目の引越しだ。6年暮らした前の家に愛着があるわけではないけれど、それなりに慣れ親しんだはずの家を離れることに不思議と寂しさは起こらなかった。
 
 新しい家は8階建てのマンションの5階に位置した。たまたま通りがかった不動産屋の窓ガラスに貼られていた広告を見て、思いつきで選んだ家だったが、家賃の割に広かったベランダから外を見ると、蒼い空の遠くにスカイツリーが見えた。「なかなかいいじゃん」と心の声が思わず漏れた。と同時にふと下を見ると、ゾワッとした。「5階ってこんなに高いんだ」、と思うくらい地上までの距離を感じた。ありえないかもしれないけど、もしベランダから落っこちたら死んじゃう高さだと思った。なんだか急に死が近くに感じられた瞬間だった。
 
 引っ越し段ボールがまだ部屋の中を占拠していたけれど、それに手をつける気にはなれず、スマホ片手に街を散策することにした。同じ日本なのに、同じ東京なのに、私の体に触れる空気が以前とは異なることにすぐ気がついた。6年間住んだ前の町とは全く違う匂いだった。
 途中、八百屋や雑貨屋を覗いては無意識に以前の町のそれと比較していた。「前の方が野菜は安かったな」などと思いながらも、多くの店が点在するこの街は私の好奇心を駆り立てないはずもなく自然と足取りも軽くなった。
 しばらく歩いていてもう一つ気づいたことがあった。それは外国人の多さだった。旅行客ではなく、明らかにここに住んでいる人たちだった。大学まで英語をそれなりに学んだはずの私にとって、大人になってから学んだ中国語の方が自然と耳に馴染んでいた。子供の頃、「やればきっと出来るようになる」なんて大人に言われて頑張っていたこともあったけれど、人間には向き不向きってやっぱりあるんじゃないだろうかとふと思った。細切れに聞き取れるその会話がまた私の好奇心を駆り立て、新しい街への期待を膨らませた。
 
 私は田舎で育った。町には電車がなく、バスが1時間に1本しか走らないような田舎で育った。ランドセルを背負って片道1時間の通学を余儀なくされていた私は、それが当たり前だと思っていた。雨の日も、風の日も、凍えるような寒さの日も、片道1時間歩いて通っていた。それでも楽しかった。それでも学校は楽しかった。だって、それが当たり前だと思っていたから。
 でも、大人になって分かった。私が通学途中に花や草を摘みながら通ったり、帰宅後ランドセルを置いてそのまま野山を駆け回っていたのと同じころ、中学受験に備えて片道5分の小学校から帰ってきてすぐさま電車に乗って塾へ駆け込む子どもたちもいたということを。どちらが良い悪いではない。子どもが置かれた環境は子ども自身にはどうしようもないことだと思うから。ただ、大きくなれば自分の世界は自分で変えられるということをある時点で気づけることが大事だ思う。もし私に子供ができたなら、こういうことを教えてあげたいと思う。
 
 程よい疲れを感じた私は家に戻った。ベッドの上に腰を下ろし、買ったばかりのペットボトルの蓋を開けて一気に飲んだ。とその時スマホが鳴った。母からのLINEだった。

『引越し終わりましたか?』

 引越しの手伝いをしに東京まで来ようとした母を私は止めた。年々年老いてくる母をわざわざ東京に呼んでまで手伝いをさせたいとは思わなかったからだ。ただ、親心というものを拒絶したような気もして少し心が痛んだ。

『無事終わりました。なかなか良いところですよ』
『それはよかった。疲れを出さないようにね』
『ありがとう。そっちこそ』
 
 スマホを置いてベランダに出た。遠くのスカイツリーが灯りはじめている。下を見るとそれぞれのお店の灯りも零れはじめている。バスや自動車はひっきりなしに通っている。歩道を歩く人々は駅へと流れていく。
 子供の頃見ていた空は青かった。まるで私の顔を映すがごとく青かった。夜は街灯がないので真っ暗だった。その代わり、空は見事なくらい星が燦燦と輝いていた。今でも覚えている。今でも懐かしくなる。
 
 しばらくボーっと外を眺めていたら遠くから救急車の音が聞こえてきた。昼間の散策中にこのマンションの近くに大きな病院がある事を知った。周辺の救急患者の多くがこの病院に運ばれているんだと思った。マンションの下をまたベランダから覗いた。もし私がこの階から落ちてしまったら・・・体がブルっと震えた。きっとすぐ救急車が来てくれるんだろうけれど、来たところで間に合うのかあぁ・・・と思うと、更にブルっと震えた。よくテレビを見ていると飛び降り自殺のニュースを耳にする。飛び降りただけでなく、下を歩いていた人まで巻き込まれることもあるみたいだ。そんなタイミングで下を歩いていた人のことを思うと、そういう運命だったと思うしか残されたものの悲しみや憤りのやり場がないのではないかと思う。
 
 結局その日、段ボール箱には手をつけず、私はそのままベッドで横になった。明日は近所の人へ挨拶しなきゃな・・・と思いつつ、私の瞼は閉じてしまった。
 
「ピンポーン」
 
 母が言っていた。新しくマンションに引っ越した時は、せめて両隣と上下の方には御挨拶しなさいよ、と。このご時世、どんな人が住んでいるのか分からないのだから、敢えて挨拶する方が危ないのではないかとも思ったけれど、どんな人が住んでいるのかも気になるので私は昨日買った洋菓子を片手に呼び鈴を押してみた。
 我が家の両隣は、女子大生と20代の男性だった。どちらも感じは悪くなかったので、とりあえずホッとした。下の階は留守だったからあきらめたが、気になったのは上の階の住人だった。50代、いやその雰囲気は60代と思われる女性だった。
 
「下の階に引っ越してきました音無(おとなし)です。宜しくお願いします」

「光島(みつしま)です」
 
 玄関先まで出てきた女性は、化粧っ気がなく、どこかねっとりとまとわりつくような空気感を持った人だった。この感覚はなんだろうーーー
 
 どこか遠くで何かが鳴っているような気持ち悪さを感じたものの、とりあえず部屋にもどって段ボール箱を開け始めた。せっかくの引越し、嫌な気分を払拭したく、アレクサにボサノバをかけてもらいながら部屋を片付けていった。明日からはまたいつも通り仕事が始まる。早く片付けを終わらせて日常に戻らなくては。
 
 次の日の朝、いつもより早めに家を出た。新しい通勤コースは予想以上にスムーズだった。昨日は少し不安を感じたけれど、やっぱり引越しをして正解だったと思えた。
 
 引越しから一週間、いつもより少し多めの残業を済ませ、私は家路についた。マンション下のメールボックスを確認すると、1通の手紙が入っていた。差出人は管理人だった。
 
『 503号室 音無様
 
 この度は当マンションへのご入居、ありがとうございました。
 入居後間もなくで大変申し訳ありませんが、上階開き室の603号室の改 
 装を予定しております。
 つきましては、暫くの間騒音等のご迷惑をおかけするかと思いますが、
 どうぞお許しくださいますよう、お願い申し上げます。
 
                          管理人 植田 』
 
 
 どういうこと?
 
 603号室は先週挨拶に行ったはずだ。何かの間違いでは?慌てて管理人室に行こうとしたが、時計は既に9時をまわろうとしていたので、明日早めに仕事を切り上げて聞きに行こうと思った。いや、まて。603号室にもう一度行ってみようと思った。
 
「ピンポーン」
 
 呼び鈴を押しても何の返事もなかった。
 
「ピンポーン、ピンポーン」
 
 何度押しても返事はなかった。まだ帰ってきていないのかもしれないと言い聞かせつつ、私は部屋に戻ろうとしたとき、一瞬中から何か声が聞こえた気がした。私は慌ててもう一度呼び鈴を押した。
 
「ピンポーン」
 
 ドアが開いた。
 
「あ、先週御挨拶に伺った音無です。」

 しまった。何の用事で来たのか理由を考えていなかった。
 
「夜分にすみません。ちょっとお伺いしたいことがありまして・・・」
 
 出てきたのは男性だった。年恰好からして昨日会った女性の夫だろうか
 
「何でしょうか?」
 
「管理人さんから伺ったのですが、改装されるとか・・・」
 
「そんなことはしませんよ」
 
「で、ですよね。私の勘違いでした。申し訳ありません」
 
 バタンッ。
 なぜか心臓がバクバクしていた。勢いよく閉められたドアに驚いたのではない。男性がドアを閉めようとした時、男性の右手が見えたからだ。あの右手の汚れは・・・・・・
 背筋がゾクゾクし始め、階段を転げるように降りて自分の部屋に戻った。まさかそんなことが起きるはずはない。家に帰ってきてから大きな物音もなかったし、悲鳴も聞こえてこなかった。遅い夕食で、魚でも捌いていたのかもしれないし、もしかすると画家さんとかで赤い絵具を使っていたのかもしれない。次から次へと膨らんでくる悪い妄想をかき消そうと一生懸命別のことを考えようとして、私はその夜ほとんど眠ることができなかった。
 
 次の日、私は会社を休んだ。寝不足だったこともあるけれど、何より早く植田さんという管理人さんに話を聞きたかったからだ。しかし、
 
『本日体調不良のため、お休みします  管理人』
 
 管理人室のガラス扉の前に一枚の紙が貼られていた。電話番号が書かれていなかったのでどうすることもできず、また睡眠不足で体が異様に重かったため朝ご飯を作る気にもなれずマンション向かいの喫茶店で珈琲を飲むことにした。そして何より、誰かがいる場所へ行きたかったのかもしれない。
 
 カランカラン
 
 昔ながらの喫茶店という雰囲気のこの店は、年老いた夫婦二人で切り盛りしているようだった。
 
「いらっしゃい。ご注文は」
 
「珈琲をください。ブラックで」
 
「お待たせしました」
 
 窓側のテーブルに置かれた青いカップの珈琲の香りが心地よかった。悶々とした私の心を見透かしたかのような目で、奥さんの方が私に声を掛けてきた。
 
「初めてかしら?良かったらトーストをサービスしますけれど」
 
「あ、いえ大丈夫です。ありがとうございます」
 
 まだ頭がしっかり働かないせいか、声が上手くでなかった。失礼じゃなかったかな。窓越しにマンションを見上げた。5階だから・・・きっとあの部屋が私の部屋だ。だから603号室は・・・
カーテンが閉まったままのように見えた。やっぱり人が住んでるよね。
 
 カランカラン
 
「いらっしゃいませ。あら、おはよう」
 
「おはようございます。モーニング下さい」
 
「久しぶりね。トーストは厚めね」
 
 入ってきたのは、先週挨拶をした502号室の男性だった。これから会社なのだろうか。紺色のスーツ姿の男性は、カウンターに座りマスターと何やら話し始めた。
 
「その後どうだい」
 
「ま、ようやく日常に戻ったって感じですかね。でも、今でも信じられないですけどね」
 
「わたしらも長いことここで商売やってるけど、あんなことは初めてだったからね」
 
 私が越してくる前に、何かここであったのだろうか。自然と会話に耳を傾けてしまう自分がいた。
 
 カランカラン
 
 新しい客が入ってきて、マスターと男性の会話も途切れ、私はその話の続きを聴くことができなかった。手元の珈琲も底をつき、体もだるかったので支払いを済ませ部屋へ戻った。布団に入ってからも上の階が気になったけれど、特段音が聞こえるわけでもなく、そのまま深い眠りについた。
 
 何時間寝たのだろうか。気が付けば日が傾き始めたころ、ようやく目が覚めた。朝から珈琲しか飲んでいないせいか、立ち上がろうとするのだけれど体がものすごく重くて動けなかった。
 
「ご確認ください」
 
遠くからそんな声が聞こえた気がした。
 
「ありがとうございました」
 
 すすり泣くような、嗚咽のような音が聞こえた気がした。よく見ると、知らない男性と両親が立っていた。
 あれ?心配してわざわざ東京まで来てくれたのだろうか?よく見ると母は化粧もせず、着の身着のままのような姿で立っていた。いつもより10以上老けてしまったかのようにその顔は痩せて暗く沈んでいた。父は母の肩を抱き、同じように深く刻まれた皺が一層濃く見えた。
 
「まさかこんなことになるとは私共もなんとお声がけすればよいか」
 
 どういうことだろう。両親も、もう一人の男性も上の階の人のことを言っているのだろうか。それならば、早く植田とかいう管理人に話しを聞かなければ。でも、体が重くていう事を聞いてくれない。
 
「あの男が飛び降りさえしなければ・・・」
 
 もしかして・・・
 そうだ、光島家で何かが起こったのだ。起こったに違いない。昨日見たあれは、やっぱり血だったんだ。『男』ってことは・・・夫の方?
 
「さき、ごめんね。お母さんが一緒に引越しを手伝っていればこんなことにならずに済んだのに。ごめんね。ごめんね。」
 
 母がぽろぽろと涙をこぼしながら私に向かって謝っている。どういうこと?母の手が私の頬を触った時、私の両目から涙がこぼれ落ちた。いや、正確には心の涙がこぼれ落ちたのだ。私は、私はもう生きていないことに気づいてしまった。
 
 そう、あれは一週間前。私は新しいマンションに引っ越した。スカイツリーが見える素敵なマンションだった。東京に出てきて3度目の引越し。ようやく理想とするマンションに出会えることができた。
 嬉しくて荷物の片付けも後にし、近所の散策をはじめた。桜の蕾が色づき始め、私を歓迎してくれているようでとても嬉しかった。美味しそうなケーキ屋さんを見つけた。オシャレなカフェだって発見した。これからの楽しみがいっぱい詰まったこの街で、また新しい生活をするはずだった。するはずだった。
 
 でも、散策を終えてマンションに戻ってきた時、ものすごく、ものすごく重いものが上から降ってきた。一瞬すぎて何が起こったのか分からなかった。そして気が付いたら母の「ごめんね」が聞こえてきた。
 
「今日、午後5時30分ごろ、豊島区のマンション8階から、このマンションの管理人の男性が飛び降り自殺をはかった模様です。マンション8階踊り場付近に遺書とみられるものを発見。同時に、たまたまマンション入り口付近にいた同マンション住人の30代と思われる女性が下敷きとなり意識不明の重体のまま近くの病院へ救急搬送された模様です」
  
 両親は実家のテレビでこのニュースを聞き、慌てて私に電話をしたそうです。私に繋がるはずもなく、着の身着のまま東京までやってきたそうです。途中、警察から電話があり、意識不明の女性が娘であることを知りました。私はこの一週間ずっと意識がなく、両親は私の部屋603号室で一週間を過ごしたようです。母はすっかり落ち込んでしまい、みるみるやせ細っていきました。父もショックを受けていましたが、2人とも落ち込んでしまったら私の意識が戻った時に可哀そうだと思い、食事だけはかかさず準備をしていたようです。そして事故から一週間。私の意識は二度と戻ることはありませんでした。
 
 私は夢を見ていました。この一週間、夢をみていました。
 
  人生は自分の力でなんとでも出来る。でも、時々神様の悪戯なのか、私の人生という脚本の上に真黒なインクがこぼされたかのようにストーリーがかき消されてしまうこともある。そんな時、私達はどうすれば良いのだろうか。青い空に向かって私は尋ねてみたい。
 
 
 
 
 
 
 
 


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