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【立ち会い出産体験記】51時間、祈ることしかできなかった。

51時間に渡って痛みと戦った妻と、それに立ち合い、祈ることしかできなかった夫のお話。

6月24日 5:00 目覚め

「う゛う゛……」

苦しそうな声で目が覚める。
朦朧とした意識で目を向けると、妻が四つん這いで小さく呻いている。

一気に目が覚めた。

聞けば、3時から強い腹部の痛みが続いていると言う。
……これは、間違いない。

妻の陣痛が来た。

今日は6月24日。まさに第一子の出産予定日だ。
気持ちの準備はできていないが、こういう時こそ冷静さが必要だ。

間隔が10分を切ったら助産院へ連絡する約束になっている。
10分まで縮まるのにも随分と時間がかかるらしい。

冷静に「痛みの感覚は?」と尋ねると「5分くらい」と返事。

5分?……ご、5分!?

一瞬で動揺ゲージが天を衝く。

妻は「耐えれるレベルの痛みだ」と言うが、そんな大事なことを自己判断するなよ、と思いつつすぐに電話をかける。

念の為に来たほうがいいとのことだったのでわたわたと準備を開始。

とはいえ、正直このときは余裕だった。

日下が入院準備で駆けずり回るのを横目に、妻はしばらく家に帰れないからと高級ライチ(ふるさと納税)を頬張っていた。

動画を撮りながら「陣痛なう」などと言って二人でヘラヘラ笑っていた。

これから、どんな困難が待ち受けているかも知らずに。

6:00 助産院へ到着

我々夫婦は、今回病院ではなく助産院での出産を選択した。

当初は無痛分娩を検討していたが、第一条件が立ち会い出産ができることだった。コロナ禍で無痛分娩と立ち会いを兼ねる病院は無く、調べる中で候補に上がったのが助産院だった。

助産院は自然分娩が前提だが、そのほとんどが
・確実に立ち合いができる(出産には夫も必要という考え方)
・陣痛開始から出産、産後入院まで夫婦で泊まれるため、産まれた瞬間から一緒に育児ができる
という特徴を持つ。特に二つ目の考え方が我々には魅力で、「父親」になる自信がない日下にとっても願ったり叶ったりだった。

というわけで「出産の痛みという人体のバグを体験してみよう」と気持ちを切り替え、我々夫婦は助産院を予約した。

到着後、早速妻が分娩台に寝かされる。薄暗くした部屋の中で助産師さんが内診(子宮口の開きをチェック)する。

膣内へ指が入り、妻の顔が苦痛に歪む。

内診直後の陣痛はかなり痛いらしい

今のところ陣痛感覚は4分に一回程度で、子宮口の開きは4cm。

目安としては、陣痛感覚が1分に一回まで縮まり、子宮口が10cmまで開くと、赤子が一気に出てくるとのこと。

「数日前の診察より開いてるから、このままお産まで入院しましょう」

OSAN  NO HAJIMARI。

7:00 陣痛開始から4時間


荷物の整理も終わり、あとは基本的にお産が進むのを待つしかない。

陣痛の間の数分間は二人で喋る余裕がある。
妻がお腹をそっと撫で「ちょっと寂しい」とこぼす。

わかる。
この膨らんだお腹から我が子が出てきて、こちらの世界にやってくる。
とても嬉しいはずだ。けど、なぜか寂しい。

お腹が張ってしまうから移動時間が倍近くかかる。
晩御飯を作るとき、妊婦が食べられないものを避けてメニューを考える。
なかなか子宮口が開いてこないから、毎日1時間二人で歩く。
寅年生まれという理由でつけた胎児ネーム「とらきち」も今日で終わり。

不便なこともたくさんあったけど、幸せだった妊娠期間の終わりが寂しかった。

まだ余裕がある頃の妻

しんみりしていると、陣痛がきて妻がフリーズした。

8:00 陣痛開始から5時間 

陣痛感覚は縮まらないか、やや遠のいている気もする。
一方で痛みはどんどん強くなり、妻は声を抑えられなくなってくる。

妻はほとんど寝れていないこともあり仮眠に入るが、陣痛が来るたびに叩き起こされる。
助産師さんと一緒に妻の背中をさすりながら、改めて実感する。

男は無力だ。

12:00 陣痛開始から9時間

痛みで食欲のない妻の口に昼食を放り込む。
エネルギー不足で衰弱すると、お産の進みも遅くなってしまう。

が、直後に頑張って食べた昼ごはんは盛大に吐いてしまった。
助産師さんが「吐くとお産が進むよ」と明るく言ってくれるのが救い。

と、ここで予言通りお産が進む。

内診で「この様子なら18時には産まれるんじゃないかな」と神のお告げがあった。天を見上げる妻。

神様〜


この苦しみから解放されるまで、あと6時間だ。

ここで助産師さんから提案があった。

「早く産みたきゃ歩きなさい」

地獄の陣痛ウォークが始まった。

手を取られ約3mの産院の廊下をひたすら往復する。
運動による刺激で陣痛を縮めるのだ。
廊下を数往復すると、早速陣痛がやってくる。
痛みは横になっている時とは比にならないようで、壁に手をついてなんとか痛みを逃す。

そこからは先導役が日下にバトンタッチ。

一往復足らずで動けなくなる妻。
横になっている時よりも明らかに陣痛感覚も縮まり痛みも強くなる。けれど、歩かねばお産は長引く。

妻が苦しむとわかっていながら自ら手を引いて歩かせる矛盾。
けれど、そのほうが早く楽になれるはずなのだ。

地獄の陣痛ウォーク。その記念すべき第一歩

途中、ヘルプにきていた別の助産師さんが現れたので挨拶をしたら
「笑ってるからまだ生まれないわね。笑えなくなった頃に生まれるわよ。ホホホ・・・」
と言い残し帰っていった。魔女かと思った。

14:00 陣痛開始から11時間

陣痛ウォーク終了後から陣痛が強くなる。
その度に妻が悲鳴をあげる。喋る余裕もなくなってきた。

痛みに合わせて「痛いね」だとか「頑張れ」だとか声を掛ける。
一緒に深呼吸して、呼吸のペースを教える。
背中をさする。
とらきちに「早く出ておいで」と話しかける。
陣痛の合間に水分補給を促す。
節目節目で写真と動画を撮る。
Twitterに状況を都度記録する。
できるだけ明るく振る舞う。

少しでも妻を楽にできるように、少しでも後から振り返って笑えるように、できることを探す。

遠くを見るようになった


16:00 陣痛開始から13時間

陣痛は強くなれど、痛みの感覚は縮まらない。

ここで体力回復を図り、二人で入院用の部屋で一眠り。
目を覚ますと当初の予想時刻はあっさり過ぎてしまっていた。

日下はあっさりと寝入ってしまったが、妻は相変わらず陣痛で寝付けなかったようだ。
何もできないくせに睡眠はしっかりと取った、罪悪感が身を包む。

ここでとらきちがお腹の中でしゃっくりを開始。呑気なもんだ。

18:00 陣痛開始から15時間

陣痛の痛みを和らげるために半身浴、が妻にはほぼ効果なし。
記録用の写真は頑張って指で乳首を隠した。

上手に隠せた

ここで再度の内診。

「子宮口は4cmで変わらずだけど、かなり薄くなってきてる。2、3時間で開いて、赤ちゃん出てくるはず!」

「もう指では赤ちゃんの頭触れてるよ!」

「!!」 

……なんと期待させる言葉だろう。
とらきちとの対面まで、そしてこの激痛から解放されるまで。
後少しだ。頑張れ。

21:00 陣痛開始から18時間

初産婦の平均分娩時間は12~15時間。
平均よりも苦しみが長いお産になってしまった。

子宮口は4cmから5.5cmまで拡大。

「2、3時間」の予想はあっさり外れたが、子宮口のサイズが着実に出産が前に進んでいることを教えてくれる。

6/25 2:00 陣痛開始から23時間

ジリジリと体力を奪われていく妻。

二人で一緒にいると逆に眠れないだろう、ということで妻は分娩台の上で、日下は寝室に分かれて90分程度仮眠を取った。

目が覚め、状況を聞くと「子宮口は6cmくらい」との返事。
もちろんその間妻は眠れていない。

陣痛の合間はほぼ気絶に近い

ベッドの上で苦しむ妻の背中を撫でると、触りどころが悪かったのか振り払われる。

もう、祈ることくらいしかできなかった。

「どうか、妻がこれ以上苦しみませんように。この痛みから早く解放されますに」

5:00 陣痛開始から26時間


地獄の陣痛ウォーク、再び。


ほとんどご飯は食べられず、ほとんど眠れず、通常よりも長い陣痛。
それでも、少しでもお産を進めるために再度歩くことにした。

立つだけでもやっとな妻がフラフラと遅い歩調で進みだす。

「だらだら歩いているだけじゃ何の意味ないよ!」と助産師さんから叱咤激励が飛ぶ。見てるだけでも泣きそうになるが、それでも今は歩くことが最適解に思えた。

心を鬼にして、横に並んで歩き、ペースを作る。
歩調が遅くなってきたら「まりーちゃんならもっと早くいけるよ!」と声をかける。
陣痛の合間にスポーツドリンクを飲ませる。

最初のウォーキングでは壁に手をついて耐えていたが、力が入らないのか膝に手をついて耐えることが多くなった。唇は真っ青になり、目の焦点は合っていない。

手どころか頭で体重を支えている

段々と陣痛のペースが短くなっている。廊下の毎周同じところで陣痛が来るようになればうまくいっている証拠らしい。

陣痛が来るたびに、妻は人間レベルが1上がっているのだと思う。
この痛みを耐えきったら、きっと何だってへっちゃらになる。

8:00 陣痛開始から29時間。

初産で陣痛開始から30時間が経過した分娩は、何らかの理由によって通常よりも進みが遅いことを指す「遷延分娩」という呼び名になる。
病院であれば陣痛促進剤を投与して、お産を強制的に進める段階だ。

しかし助産院では医療行為ができないため、何もできない。

理由は不明だがお産が遅れている以上、提携の大病院への搬送も選択肢に上がるが、提携病院では土日は陣痛促進剤を投与しない決まりになっている。

つまり、現状病院に移ったとて、してもらえることは何もない。
変わらず、陣痛に耐えるだけだ。

病院はコロナ禍で立ち合いも面会もできない状態のため、妻は出産も、その後の入院も一人ぼっちになってしまう。

幸いなことに、モニター上はとらきちは健康そのもので、急ぎ帝王切開……というリスクは無いとの事だった。
皆で相談して、とらきちが健康な限りは引き続き助産院で分娩に励むことを決めた。

休んだ後、また歩く。

何度も抑える膝が痛そうで、妻の体の下に背中を丸めて中腰で構える。妻が全体重を背中に乗せ、痛みに耐える。

「もうやめたい」と呻く妻に助産師さんが「『やめたい』って、歩くのやめるの? それとも産むのやめる?」と一言。厳しい。

9:00 陣痛開始から30時間

陣痛開始から、30時間が経過した。
言われていた通り、陣痛が同じ場所で来るようになってきた。

5度目? の内診。

・頭が触れるくらいまで来てる
・子宮口は7cmくらい
・入口がペラペラになってる(開きやすくなってる?)
・お産は進んでいる。昼には産まれるんじゃないか。

この流れ4回目くらいだな、また期待してがっかりしたくないなと思いつつ、もう一踏ん張りだよと妻に声を掛ける。

10:00 陣痛開始から31時間

昨日予約をずらしてもらった妊婦さんが来院するため、寝室で待機する。
ここまで時間がかかるとは誰も予想していなかったのだろう。

久しぶりに二人きりになった。

妻がぐったりしながら「いっそお腹を切って欲しい。もう楽になりたい」とこぼした。同じ想いだった。

妻の膝を見ると、何度も押さえた部分の毛穴が開き血が出そうになっている。
添い寝をすると、痛みを逃すために全力で日下の身体を鷲掴みにしてくる。

何で妻がここまで苦しまなければいけないんだろう。
早く出てきておくれよ。
鷲掴みされながら、少し泣いた。

本当に痛いと、人間は無の境地に至る


13:00 陣痛開始から34時間


内診の結果、少し子宮口にむくみが出てしまっているとのこと。
陣痛の痛みが強くなり、逃しきれず少しいきんでしまっているらしい。

子宮口に押し付けられているとらきちを少し上に戻すために、四つん這いで腰を上にあげて耐える。

人をダメにするソファーが全く機能しない

少し休んだ後、また歩くことにした。もうここまできたらやるしかない。
昼にいただいた素麺をたくさん食べて、妻も少し元気になってきた。

歩いては陣痛に耐え、陣痛が終わりきり前にまた歩き出す。
数十分後、歩きながら妻が叫ぶ。

「うんこ出そう!」

きた。

妻は痛みで錯乱したわけではない。
分娩の終盤、胎児がうまく降りてきて出産に向けた体勢になった時、便意に近い感覚を感じるらしいのだ。

これまで何度も「どう? うんこ出そうな感じある?」と聞かれていたが、ここまで明確な便意宣言は初だ。

後少し、後少しだ。
後少しの、はずだ。

16:00 陣痛開始から37時間

短くなった陣痛感覚は遠のいてしまった。
歩いている間は2分程度だったか、気がつけば約7分になっていた。

部屋で二人休憩しながら陣痛が縮まってくるのを待つ。

することもないので、実家や友人の元助産師の方に電話をかけて励ましてもらう。

きっと産まれた報告だと思ったことだろう。すみません。

最終的には陣痛感覚は1 分程度になる。ここでの陣痛感覚とは、陣痛開始から次の陣痛まで。そして1回の陣痛は1分続く。

つまり、体感としては終盤は休憩なしに一生陣痛が続くことになる。
いつ呼吸するんだ?

19:00 陣痛開始から40時間

夕食後、助産師さんが一時離席する。

「ここまできたらさっさと歩こう」と話していたが、しばらくモニターをつけていない。万が一とらきちの状態が良くなかった場合、歩いたら危険な状態になるかもしれない。念の為助産師さんが戻るのを待った。

日下がシャワーを浴びてる間にモニターを確認してもらい、その後歩くことにした。

シャワーを浴び、どうせまだ産まれないだろうと、ついでに歯を磨く。

呑気に部屋に戻った時、事態は急変していた。

20:00 陣痛開始から41時間

部屋に緊迫感が漂い、助産師さんがモニターを見つめている。

恐る恐る尋ねると、一時とらきちの心拍数が下がったとの事だった。

胎児の心拍低下は臍の緒を体で踏んでしまったことにより生じ、体勢を変えれば自分で回復する場合が大半らしい。今回は回復できず、急遽妻に酸素マスクをつけて回復させたとの事だった。

歩くのは中止し、モニタをつけたまま産まれてくるのを待つことになった。
もし心拍低下に気づかず歩いていたら。恐ろしくなった。

数十分後、助産師さんが念の為だけど、と前置きした上でゆっくりと説明し始める。

「病院に相談しましょう。心拍数の値が綺麗すぎる」

医学的なことはわからないが、正常な胎児心拍は時間と共にある程度上下にぶれるギザついた線になるらしい。確かに、モニタには綺麗な直線が描かれていた。

病院の判断次第では救急車で搬送、そのまま転院になる可能性もあるので、寝室の荷物をまとめる。その間頭にはいろいろなことが駆け巡る。

「最後まで立ち会えなかったなあ」「それよりとらきちは無事なのか?」「妻の安全は?」

荷物をまとめている間に、分娩台の部屋から救急に電話する声が聞こえる。どうやら搬送が決まったらしい。

部屋に戻り、二人でつとめて明るく動画を撮る。
「救急搬送になりました! どうなるとらきち!」
「どうなるとらきち!」

動画を止めた後「希望できるなら帝王切開にしよう」と二人で話した。
もう、終わりにしたかった。


「どうなるとらきち!」 精一杯の空元気で。



数分後に救急隊がやってきた。隊員の皆様が手際良く妻をストレッチャーで運んでいく。
助産師さんと一緒に同乗することになった。救急車に乗るのは初めてだ。


搬送なう

メカメカしい車内がかっこいい。こんな時にも少年の心は顔を出すらしい。

車内を観察していると左に座った助産師さんが病院への申し送り書を書いているのが目に留まった。

件名に「胎児仮死疑い」と書いてあった。

「仮死疑い」 言葉に心臓がつかまれる。
ここまで頑張って無事で産まれないなんて、それは、ちょっとあんまりだ。

落ち着いて、見なかったことにして、早く病院に到着してくれと祈る。

21:00 陣痛開始から42時間

病院到着後、言葉を交わす間もなく妻が運ばれていく。
数分待機した後、担当医の方が出てきて説明してくれた。

・モニタの結果胎児の状況は問題なし。
・様子を見ながら、自然分娩を目指す。
・胎児の健康に問題が出てきたら帝王切開に切り替える。
そして、
・コロナ禍で、立ち合いも、退院までの面会もできないので申し訳ないが旦那さんは帰ってもらうことになる。

こうして、あっさりと日下の立ち会いは終わった。

22:00 陣痛開始から43時間

助産師さんと話しながら帰路につく。
他にも色々優しい言葉をかけていただいたのだが、正直あまり覚えていない。

・胎児の異常は大袈裟でもほとんど仮死と表現されること。
・面会は禁止だけど、出産後の部屋は決まっているので正面の中華料理屋さんから、窓越しに妻と会話できること。
・うちで産んだと思っていつでも相談して欲しいこと。

帰宅後は、すぐ産まれるかもしれないから起きていようと思ったが、どっと疲れてしまった。

緊急手術ができる病院に運ばれた分、母子の安全はほぼ確保できただろうという安堵、最後まで見届けられなかったショック、色々なモヤモヤで何かをする気分にもなれず、youtubeやら本やらをぼんやり見ている間に眠ってしまった。

6/26 06:38 陣痛開始から51時間37分

誰かに呼ばれた気がして目が覚める。
時計を見ると朝6時半を回っていた。

やばい、寝過ぎた。

携帯電話を手に取ると充電切れ。
入院バッグに詰めていたせいで充電器が所定の位置にない。
バッグを漁り、ケーブルを引っ張り出し、スマホを差し込む。

間違いなく何かが起きている。そんな気がする。
なかなか起動しないスマホに苛立つ。

電源が入った瞬間にロックを解除する。
ラインを開くと、ちょうど起きた頃に2件の不在着信があった。
震える手でかけ直す。

2回目のコールで、妻が蚊の鳴くような声で電話に出る。

「産まれました……」

こうして、妻の51時間の戦いは終わった。

それから

ライン越しに妻と定期的に会話し、追ってとらきちの写真や動画も送られてくる。

正直、初めて見た時は可愛いとは思わなかった。
「妻の隣に不思議な生き物がいる……」という感覚が一番近い。
画面越しだと、伝わらないものもたくさんあるのだろう。

子どもが顔出しOKかは本人に聞かないとわからないので一旦消しておく

病院での入院は産後5日間だ。
そして面会は不可なので、妻にも、子にもしばらく会えない。

妻は陣痛からの解放感で意外と寂しくないらしい。
日下は寂しい。とても。

まさかの再転院チャンス

ここで元助産師の友人から神がかかったアドバイス。

「母子の健康に問題がなく、産院に空きがあるなら産後の入院生活を元の助産院で、家族全員で過ごせるかもしれない」というのだ。マジかよ。

すぐに病院、産院に相談し、翌日の検査で問題なければOKと快諾いただけた。

翌日、血液検査をパスした妻子を病院に迎えにいく。

生後1日の我が子は、びっくりするほど小さく、力強く泣いていた。

「ようこそ」そっと話しかけてみる。

お腹が減って泣いているのかと思ったが、駆けつけた母が抱いたら一瞬で泣き止んだので、抱き方が下手なだけだった。

反省として……お産がかなり長引いたこともあり、とらきちは黄疸(体内の成分が排出しきれず体が黄色くなる症状。強すぎると脳に障害を与えるリスク)が出やすい状態になっていました。

退院段階ではお医者さんが「現状では問題なし」と判断をしてくださいましたが、黄疸が強くなった場合はとらきちのみが転院し、治療を受ける必要がありました。

結果的に黄疸は全く出なかったのですが、早く家族で会いたくて「多分出ないだろう」で突っ走ったのは少し反省です。

「立ち会い出産」とは

たちあうう】
証人参考人などで臨んだ居合わせたりして、その場物事成り行き結果などを見守る

Weblio辞書

「立ち会い出産」という名前は言い得て妙だ。
出産の当事者はあくまで妻であり、夫は所詮見守ることしかできない。

そりゃあ、呼吸の誘導とか、水分補給とか、咄嗟の買い出しとか、瑣末なことはできる。
けれど、実際にやってみるとわかる。こんなものは誰だってできる。

肝心の陣痛の辛さは妻自身と、産まれてくる子どもにしか解決できない。
夫は無力だ。あまりにも。

しかしそれでも、夫は出産に立ち会うべきだ。
妻が苦しむ姿から目を逸らさず、たった一つでもできることを探して、全力で実施すべきだ。

なぜ強く言えるのか。
簡単だ。

妻が「いてくれてよかった」と言ってくれたからだ。

出産後妻と話していて、こんな言葉を聞けた。

「水分渡してくれたの助かった」
「歩くときにペースを作ってくれたのがよかった」
「痛い時に一緒に痛いねって言ってくれて嬉しかった」

自分がやったことは、誰にでもできることだ。
けれど、それでもあの苦しみの中で一つでも、妻が嬉しかった瞬間を増やせる。それで十分だろう。

ちなみに、陣痛中の夫の仕事と言えば腰をテニスボールで押さえるマッサージがお馴染み。だが、妻の場合は「全く効果無い、むしろ痛いから触らないで欲しい」とのことだった。人それぞれなのでちゃんとコミュニケーションをとってケアをしよう。

立ち会うべき理由はもう一つ。

ちょっとだけ父親になれるからだ。

よく聞く話だが、お腹を痛めて産む母親と違い、父親は自然に父親にはなれないという。どれだけ幼少期の子とスキンシップをとれるかで父親の自覚や、子への愛着が形成できるかが決まるという話もある。

出産後は父親にもできることが一気に増える。
おむつ替え。沐浴。ぐずった時の抱っことお散歩。爪切り。
というか授乳以外は全部できる。ミルク育児なら本当に全部できる。

特に産後の28日はいわゆる「産褥期」と言われ、母親は赤ちゃんのお世話以外は安静にすべき期間になる。父親にとっては絶好のスキンシップチャンスだ。

あの妻の苦しみを見れば、子が産まれてからは自分ができることを全てやろうという思考になるのは自然だと思う。あの42時間は、きっと生涯忘れることはない。

日下の場合前々から「授乳以外は全部やるつもり」と宣言はしていたが、実際「つもり」が取れた。
出産から9日が経った今、正直授乳以外は妻より上手い自信がある。

自然と我が子の柔肌に触れる時間が増える。
抱っこして泣かれることが減っていく。
沐浴で我が子のリラックスした顔が増える。

不思議なもので、出産直後は「よくわからない生き物」だった我が子が、日に日に愛おしく感じてくるのだ。

可愛いのです

振り返れば無痛分娩から自然分娩に切り替えたこと、そして最初から最後までの立ち会いを前提にする助産院で分娩に臨んだことは、我々夫婦にとって大正解だったように思う。

もしこの地獄のような51時間が無かったら、多分もう少し、育児に対するスタンスは違っていた気がするのだ。

あの時間が、我々に親になる準備を少しずつさせてくれた。

まだまだ親も子も初心者だ。
これから少しずつ、我々は家族になっていく。

そして父になる

もちろん、出産に最後まで立ち会えなかったのが残念なのは間違いない。

妻の頑張りが実を結ぶ瞬間をこの目で見たかったし、なんならGoproで動画とか撮りたかった(もちろん、ベストなタイミングでベストな判断をしてくださった助産師さん、病院の皆様には感謝しかない)。

一応Goproの準備はしてた

映画のクライマックスを見れなかったような気分で、ちょっとぽっかりした気持ちは無いではない。
この目で出てくる瞬間を見ていないせいか、送られてきた画像を見て「これが自分の子なのか?」と思ったりもした。

相変わらず自分は父親になることが怖いらしい。

ただ、この気持ちの穴は、育児をする中で自然と埋めていけるはずだ。
そのためのシンプルな作戦も用意している。

それは、

「育休を1年取得する」

だ。

次回「男性社員の自分が1年間の育児休業を取得する理由」
乞うご期待。

そして、妻目線の体験記も是非に。

細かい時系列が違ったりしますが、寝不足で意識が朦朧としていたのでしょうがない。笑

読んでいただき、ありがとうございました!

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