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『料理雑記その5:熱を食らうはニンニク豆腐』


7年ばかり前の秋の話。
とある居酒屋のカウンター席にて、私は考えを巡らせていた。

大学を卒業して紆余曲折。
遊び惚けた末にようやく就職した職場は県下でも有数の、というかむしろ県下では数少ない繁華街のそば近くにあった。

そんな職場に勤めて2年目。
夜勤の回数が増え、夜間や早朝に実家から運転してくるのが億劫になった私は、職場から歩いて2分という素晴らしい立地条件のアパートに引っ越し、人生2回目の独り暮らしを満喫していた。

アパートが職場に近いということは、繁華街にもすぐに繰り出せるということだ。
1人で過ごすことが苦でなく、また幸いにも酒呑みに産まれた私がそんな環境に居を構えた。
1人呑みが趣味になったとしてもむべなるかな、否、必然であったのだ。

夕暮れから灯りはじめる飲み屋の看板の連なりに胸を踊らせながら、酔客達の喧騒を横目に、わずかな軍資金を手に握りしめて居酒屋やBARへの探訪を繰り返したものだ。

安くても美味い店、高いけれどもそれを納得させるだけの酒と料理を提供する店、深夜1時からようやく開店する店、ぼったくりという言葉がよく似合う店、なぜか店主がいつも居ない店、基本的に日本語が使えない店…

いろんな店に訪れた。

わずかではあったが、世間において一流と呼ばれるであろう接客や調度品、料理や酒に関わる機会にも恵まれた(授業料は高くついたけれども)。

いま思えば良い社会勉強だった。
もっとも当時の私は、新たな料理や酒との出会いに夢中になっていただけだったのだが。

そしてその日も私はアパートの近くの居酒屋を訪れた。
春に引っ越してからというもの、そこには何度もお世話になっていた。
いかにも大衆酒場然としたその店はカウンター8席、座敷に3テーブル。眼鏡と黒のTシャツがトレードマークの、気さくな痩身のマスターが1人で切り盛りしていた。
定番で安定の居酒屋メニューに加えて、たまにマスターの創作料理が猛威を振るう素敵な店だった。
今はもう閉店してしまったのが惜しまれる。

いつも通りにマスターに挨拶をして、いつも通りにカウンター席に座る。左端から3番目の定位置だ。
開店から10分。一番乗りのようである。
店の規模からするとかなり大画面のテレビは、代わり映えのしないバラエティー番組を映していた。

ビールの大瓶を注文して、さてツマミはどうしようかとメニュー表を見た私は、新たなメニューが追加されているのに気がついた。
そして冒頭の場面につながる。
 
ニンニク豆腐。
新メニューの名前だ。
どんな料理か分からないまま、発作的に注文した。

お、いいね!はいよ!
威勢のいい返事を残して、マスターが厨房に入る。

料理が到着するまでの間、ビールで喉を潤しながらどんな料理なのかを考えてみる。

手がかりはニンニク豆腐という名前だけ。
写真も説明文もない。

胡麻豆腐や玉子豆腐といった、いわゆる「変わり豆腐」の一種だろうか?
すると、恐らくは細かく刻んだ、或いはペースト状のニンニクが練り込まれた何らかの生地を、蒸すなり冷やすなりして固めた酒肴といった所だろう。
ニンニクの旨みが存分に楽しめそうだ。
いや待て、そう思い込むのは早計だ。戦場では命取りになるぞ。
違うパターンも考えられるだろう。
そう、例えば冷奴のバリエーションだとしたら?
カリカリにローストしたニンニクとさらし玉ねぎ
を冷奴にたっぷりと乗せて、塩とゴマ油でいただく。
ニンニクと生玉ねぎの鮮烈な刺激を豆腐が受け止める、冷奴のニュー・スタンダードだ。
いやいや、もしくは、あらヤダちょっと、まさかそんなものまで…

あれやこれやと考えてニヤニヤしながらビールを呷る。
我ながら、かなり不審だ。
いや注文する前にどんな料理か聞けばいいじゃん意味わかんないこのキモさ炸裂メタボリックボーイが、と思う方もいるだろう。

ごもっともな意見ではある。
しかしまあ、こんな風に新たな料理との出会いを演出してみるのも、私なりの1人居酒屋の楽しみ方なのだ。
べつにわからない事を人に聞くのに抵抗があるとかではない。

余談だが、米国のとある保険会社の調査では、道に迷ったときでも4分の1以上の男性が人に道を訊ねるまでに1時間半はかかり、12%は頑なに人の助けを拒み、無駄な運転で浪費するガソリン代の平均は生涯で37.6万円にもなるという。何処の国でも男とは阿呆なものなのだ。いやあくまでも余談だが。

厨房からマスターが出てきた。
その手にした皿に乗るのは、お待ちかねのニンニク豆腐だ。

お待たせ、と皿が私の前に置かれる。
初めてまみえたその料理は、私の予想とはまったくの別物だった。

まず皿が耐熱皿だった。
業務用オーブンで焼かれたと思しきそれは、まだ微かにパチパチと音を上げながら周囲に熱を放っている。
灼熱の皿の上に鎮座するのは、こちらもまた音を立てる熱の塊となった豆腐だ。
変わり豆腐ではない、お馴染みの絹豆腐である。
やや大きめの立方体に切り並べられた豆腐には何やら黄白色の調味料がたっぷり塗られていた。高温のオーブンで炙られたそれはマヨネーズだろうか。焦げ目から香ばしい芳香が漂う。
その名に反して、ニンニクの姿は見当たらない。

やや狼狽えながらも木匙で豆腐をすくい、口に運んだ。
圧倒的な熱量と共に、ニンニクの強烈な風味が口内に広がる。
マヨネーズには刻んだニンニクが大量に混ぜられていたのだ。
まさにスタミナの味ともいうべきそのソースが、舌を焼きそうなほどに熱せられた豆腐の甘味と、これでもかというほどマッチしている。

喉を過ぎ、食道を通って胃に落ちてもなお、その熱量はおさまらない。
すぐさまビールを飲んで体を冷やせば、また次の熱い一口が欲しくなる。

ふとマスターを見やれば、ニヤニヤした顔がこちらを向いていた。

どうだい、美味いだろう

口に出さずとも、そう顔に書かれていた。
私も口には出さずサムズアップで応えた。

ほろ酔いになって店を出る。
冬の風が吹き始めた長野の、とある繁華街の一角で、懐も寒ければ恋人もいなかった当時の私は、しかし確かな満足感を腹に感じながら帰路についたのだった。

~ニンニク豆腐~
①絹豆腐を皿に移し1分程度レンジにかける。
 豆腐から出た水分を捨て、豆腐の全面に
 ごく少量の塩をして15分ほど待つ。
 オーブンを余熱しておく。
②皮を剥いたニンニク一片をラップで包み
 30秒ほどレンジで熱する
③ ②のニンニクを細かく刻み
 大さじ1~2のマヨネーズであえる
④ ①の豆腐から出た水分をクッキングペーパー
 で出来るだけ吸いとり、耐熱皿に移して
 ③のニンニクマヨネーズを豆腐上面に塗る
⑤ ④をオーブンで熱する。180℃で15分くらい?
※オーブンで焼く前に出来るだけ豆腐の水分
 を出しておくのがポイント

マヨネーズに焦げ目がついたら完成。
熱々のところをスプーンで口に放り込んでいただきたい。
熱こそがこの料理の最大の味付けである。

(豆腐+ニンニク+マヨネーズ)×熱+酒=満足

酒飲みの方程式は幸せへの道しるべ。
ビールやレモンサワーを合わせれば、自宅にいながらも賑やかな大衆酒場の雰囲気が味わえる。

ぜひぜひ、御賞味あれ。

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