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悲しみからとったダシがこれほどうまいとは 連載②

ピザ屋になったことも、ピザ屋の彼女になったこともない。
私にとってアルバイトというものは鬼門中の鬼門であり、これまでのバイト経験から言って、働くということは恐怖心を与えられる物だと思っていた。

最初のバイトは大学を中退した2012年。
地元の本屋の中の喫茶店だった。
面接に受かり、張り切って出勤した私にバイトの神様は初っ端からローキックを食らわせて来た。
どう頑張ってもトレーが持てない。
よくウェイトレスさんがやるトレーの裏側に手を置き、トレーを持つ方法がまったくできない。
お客さんに配膳する以前に物をトレーの上に置けない。
お客さんに配膳できない。
なぜならトレーが持てないから。
「まあ、一日目だからね」
店長も呆れ顔だ。
だけど私のポンコツぶりはこれで収まらなかった。
金の勘定ができない。
一枚、二枚、三枚…。
そこまでは数えられる。そのあとが無理なのだ。
あれ?今何枚まで数えたっけ?
仕事が終わり、レジを締めようとするとき勘定できません事件は起きた。
人の、店の金を、勘定することにひどく緊張した私は三枚までしか金が数えられない。
あれ、私小学校卒業したよな?
確かに脳は正常か異常かで言ったら異常だが、一応この前大学に入学して中退したはずだ。
そう、だから小学校は卒業している。
中学校だって、欠席は多いし、授業中は歌われもしない歌詞を書いているか、オリジナルのエロ漫画を描いているかだったが卒業はしたはずだ。
高校もオリジナルのエロ漫画晒し上げ事件(この事件についてはいつかこのnoteで書こうと思う)という恥だらけの生涯だったが卒業したはずだ。だからこそ大学に受かったのだろう。
あれ?じゃあ、なんで金数えられない?
横で見ていた店長は呆れ返って私の肩を叩くと言った。
「もう帰っていいよ」
私に向けられた笑顔の中には『もう閉店してから45分経ってんだよ』という憎しみが込められていた。
その瞬間思った。
あっこれは無理ですねー。
そのあと二日はがんばってみたが、三日目で私は喫茶店を辞めた。
三日坊主も驚きの俊敏さだ。

その後もいくつかバイトをやってみたが、一か月と続かなかった。

2017年。
よく行く洋服屋さんの店員さんに誘われていくつ目かのバイトをやってみることになった。
そこの店長には最初から言っておいた。
「わたすは、勘定が苦手です」と。
店長は最初信じなかったが、私を雇って私の最初の発言が事実であることを知る。

そしてこの店で第2の事件は起きる。
お客さん置いてけぼり事件だ。
この店はある商業施設の中に3店舗、店を持っており、その中の1個の店舗での店番はその日私ひとりだった。
その日は平日だったし店長も油断したのだろう。
悲劇は閉店間際の1時間前に訪れる。

そのお客さんはたぶん、世に言う太客だった。
どんどん買ってくれる
お母さんと娘さん2人で来ている。
お母さんは怖そうだ。その遺伝子を引き継いだのか娘さんもきつめ。
私の冷や汗はレジに洋服が積み上げられるたびに脇からあふれ出た。
いや、勘定もできない人間がこの数の服、レジに通せるわけないでしょ。
心の中で誰かが言う。
笑顔が引きつる。

いよいよ会計になって、一応レジを打ってみる。
2100円。
そんなわけがない。
だってこの店の単価は高いし、何より値札を見てみると一着15000円だ。
そんなわけがない。
これは手に負えない。
設置されている電話で他の2店舗に電話をしてみる。
エスカレーターを挟んで目の前にある他店舗を見つめる。
店員は2人。
楽しそうに談笑している。
鳴っている電話は店内のBGMにかき消されているのか気付かれてさえいない。
やばい、やばい、やばい。
額から汗が噴き出しす。
お客さんは不信そうに私を見ている。
テンパり過ぎた私はお客さんに言った。
「少々お待ちください!」
私は走った。
かの邪知暴虐のレジを除かなければならぬと決意した。

エスカレーターを挟んで他店舗の同僚に事情を説明すると、同僚は顔を真っ青にした。
「えっお客様は?今日ひとりじゃなかったでしたっけ」
その問いに私は答えた。
「お店にいてもらっています!」
同僚は驚愕したあと私よりも先に私がいた店舗に戻ってお客さんに平謝りしていた。

それが23歳の出来事である。

そのバイトはそのあとも2週間ほど続けたが、1ヶ月で辞職した。

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