見出し画像

今際の寝目 〜エトシリカより〜

 男は気がつくと不思議な空間にいた。

 アンティーク調のソファと机が中央にあり、壁面は打ちっぱなしのコンクリートのような部屋。歪んだ型枠を使ったのか、各ブロックは微妙にうねっている。入り口は自動ドアのようだ。その付近には、舌状の葉を持つ観葉植物が置かれている。様々な時代のインテリアが無造作に配置されたその部屋は、応接室のようにも見える。特に天井の照明は不思議なもので、発光するプランクトンの入った箱や球体がいくつも吊り下がっていた。そのおかげか、窓らしきものは無いが、部屋は明るかった。
『オイシーオイシー!ニック・ネック・スープ!』
突然の叫び声に男はびくりと肩を震わせる。声のする方を見ると、鳥かごの中のほのかに発光するオウムがおり、こちらを見ている。桃色のオウムが叫んだのは、男もよく行くスープ屋の名前だった。
『ウマチャンキョーモアリガトネ!』
「ウマチャン」と言うのは誰だろう、飼い主だろうか。それよりも……と男は首をかしげる。
 先ほど男はいつものように布団に入り、眠ったはずだった。それなのに今は、この混沌とした部屋の隅に直立している。どう考えても現実ではありえない空間なのに、男の感覚は驚くほどリアルだ。試しに自分の手を抓ってみた男は、その痛みに顔をしかめた。
「これが俗に言う、明晰夢というものか」
『ソーデス!ソノギューニューデス!』
こちらを見て喚くオウム。その後もスープ屋の名前を連呼している。もしかして、腹が減ったのか?男がそう思った頃、部屋の入り口が空いた。両手に袋を抱えた子供が、急ぎ足で鳥かごに駆け寄る。子供はなぜか顔の上半分を覆う仮面をつけていた。鳥かごの扉を開けると、申し訳なさそうに口を開いた。
「二号ちゃん、お待たせしました」
『ダーイジョーブヨー!』
「上の人とのお話が長引いちゃって。はい、ご飯だよー」
『オイシーオイシー!ニック・ネック・スープ!』
「なかなかに気に入っているねぇそれ」
 二号ちゃんと呼ばれたオウムは、棚の脇のサイドテーブルに降り立つ。背中には、毛色と同じ桃色の石がある。鳥が仄かに発光しているのはその石のようだった。二号ちゃんはスープ屋の名前を連呼していたが、子供が準備していた餌はペレットと野菜だった。チェックのハーフパンツにサスペンダー、白い手袋という出で立ちのその子供。髪の毛は短く切り揃えられているが、長く伸びた襟足は一つに束ねられている。後頭部だけ見たらまるでネズミのようだなと、男はそんな事を思いながら、その光景を眺めていた。


「子さん子さん、二号ちゃんの石どんな感じです……ってその人誰?」
『タマネギ!』
桃色のうねる長髪が特徴的な若者が入室すると同時に、男に気づいた。彼もまた仮面をつけている。彼の桃色の髪の毛と、その歌うような話し方は、二号ちゃんとよく似ていた。男は心の中で「なるほど彼が一号か」と呟いた。
「人なんて……えー!お兄さんいつから居たの?」
子供はどうやら男に気づいていなかったらしく、心底びっくりしたようにそう言った。その動作はあざといという言葉がしっくりくる。
「えっと、ネさん?が入ってくる少し前から」
『フロム・ランチ・ターーイム!』
「えぇぇ、全然気づかなかったよ!」
子供が楽しそうにそう言うと、一号はため息を吐いて男の方へ歩み寄った。
「因みにお兄さん、部屋に入った時のこととか、覚えていますかね?」
一号は胡散臭い営業マンのような口調でそう言った。夢だからと適当なことを言ってもよかったのだが、何故だか男は素直に話した。
「昨晩布団に入ったあと、気づいたらここに」
男がそう言うと、一号と子供は顔を見合わせる。子供は脱力し、一号は肩を竦めた。
『アチャー!』
タイミング良く二号ちゃんが鳴き声を発する。彼らの心情を表しているかのようだった。彼らの立場からすると、どうやら男はこの場にいてはいけない存在だったらしい。
「担当誰でしたっけ。ウチんとこじゃない筈ですよ」
「ちょっと待ってねー……あぁごめん、僕の管轄だ。担当は寅くん」
子供は何処からともなく浮かび上がったパネルを操作する。面倒だなぁとでも言いたげな口調で原因となる人物の名前を口にした。子供にしか見えないが、実は上役らしい。
『ボクニーオマカセクダサーイ!』
「あの子またですか」
『サーセンサーセン!』
「百年に三回はやらかすんだよねぇ」
「ごめん二号ちゃんちょっと静かにして」
『トラノマネ!ジョーズ?』
「とっても上手!ありがとねぇ。だからちょっとお口チャックね」
『アイワカッタ!』
 男は全く話についていけなかったが、二号ちゃんが真似た口調には聞き覚えがあった。ちょうど三日前から、男の父親の訪問介護士が変わったのだ。茶化したような口調が特徴の、寅矢という青年。初日は不安を覚えたが、仕事はしっかりこなす人物だった。偏屈な男の父親とも何故かすんなり打ち解け、渡される書類も読み易く、男はとても助かっていた。ただ、その顔だけが思い出せない。
「トラってまさか、新しい介護士さん……?」
男の呟きを聞いた二人は再び顔を見合わせる。子は顔を両手で覆い、一号は天を仰いだ。二号ちゃんは何も言わなかったが、そわそわしている。
「どうします?これ我々で対応しちゃいます?」
「うーん、でもあと四日でしょ?」
「まぁ彼の中では夢ってことになっているだろうし、多少は話してもいいんじゃないですかね。っていうか話さないとダメでしょ」
「えー僕の仕事増えちゃう」
「……俺も手伝いますんで」
ひそひそ声で話す凸凹コンビ。なんとも不思議な夢だなと、男はのんきにそれを眺めていた。彼は不意に、姪がこういうなんともいえない不思議な話が好きだった、と思い出した。男は頭の中で夢の出来事を反芻することにした。そうすることで、起きた後も覚えていられるかもしれないと思ったのだ。


 話はまとまったようで、二人は再び男に目を向ける。立ち話もなんだからと、中央のソファに座るよう促された男は素直に従った。
「お兄さん多分、今夢の中だと思っているのだろうけど」
子の方がそう切り出した。
「まぁそうだろうなと思ってる」
男としては、夢でないなら何だというのだ、と言いたいところだった。
「なら、今から我々が話すことはそのまま夢の中の不思議な出来事と思って聞いてください」
「はぁ」
「我々は普段、死後の案内人を勤めているのですが、まぁどなたかが亡くなられる間際、様子を伺いに行くことがあるのですよ」
「まぁつまり、近々あの家の近辺で人が亡くなるのね」
「なるほど」
全く意味が分からなかったが、夢だからということで納得した男。強いて言うならば、近々父親が亡くなるかもしれないという予知夢なのか。何故ならわざわざ介護をしてまで近くにいるのだから。起きたらこの会話だけでもメモしておかねば、とも思っていた。
「それでね、担当の子がちゃんと戸締りしてないとね、まだ生きているのにこっち側に来ちゃう人が出てくるの」
「それが自分だと」
「いやぁ話が早くて助かります」
「一応ね、なんでここに来ちゃったかって説明しないといけないからね、お話したの」
「ありがとう?」
一通り話を終えると、彼らはそろそろ朝だからと席を立った。一号が二号ちゃんの元へ向かい、子供は再びタブレットのようなものを操作した。
『エー、デモアトヨッカダヨ?オキタラミッカデスケドネ!』
目が覚める直前、喋る許可を得た二号ちゃんが高らかに叫んだ。


 目が覚めた後も、男は夢の内容をはっきりと覚えていた。夢の中で反芻したのが良かったのかもしれない、忘れぬうちに書いてしまおうと、その全てを手帳に記載する。ほぼほぼ正確にやりとりを記録できたのではなかろうか、改めて読み返すと、やはり男の姪が好きそうな話である。話を聞いた姪が喜ぶ顔を想像した男は一人笑みを浮かべた。
 その日、男の家に新しい介護士がやってきた。正確に言うと、寅矢という介護士は最初からおらず、三日前から変わった担当は酉田という女性ということになっていたのだ。髪色こそ違うが、酉田は何処となく一号に似ていた。しかし、男は敢えて、何も覚えていない振りをした。また担当介護士が変わったら厄介だと思ったのだ。彼女の代わりに来る担当が、父親と打ち解けられるかは分からない。彼らの言う「あと四日」が気になっていた男は、出来るだけ父親が喜ぶようにしたかった。最後の親孝行とばかりに、父親との時間をとるように心がけたのだ。
 三日が経った日のことだった。男は気分転換にコンビニに行こうと家を出た。父親がアイスを食べたがっていたので、ついでに買ってこようと思ってのことだった。横断歩道を渡った途端、男に猛スピードで何かがぶつかった。二輪車だった。男の持っていた財布と鍵が宙を舞う。二輪車は派手に転び、それに飛ばされた男は電柱に頭を強く打ち付けた。


 男はそのまま、帰らぬ人となった。

記事に目を通していただいき、ありがとうございます。♡押してして頂くだけでも嬉しいです。気が向いてサポート頂けた場合はちょっと良いコーヒー代に致します。