見出し画像

オブリガート狂騒曲

 今日は人が異常に多い。何かの催しがあったのだろうか。「同窓会まで暇だから、昼から飲もうぜ」と昨晩言われ、待ち合わせ場所に着いたらどうだ、人で溢れ返っていたのだ。彼らに会える気がしないなどと思っていた矢先、グループチャットの通知が鳴る。来る筈だった数人から「人が多すぎて家から出られないから行けない」という旨の連絡が入ったのだ。残る言い出しっぺの友人は「悪い遅れる!」と言ったきり既読もつかない状態になっていた。僕は途方に暮れていた。
 同窓会まではまだ時間がある。彼も来るか分からないし、人が引くのを待ってから移動するか、などと思って携帯を開いた。それとほぼ同時に、低いながらもよく通る声に名前を呼ばれる。振り返ると発案者の彼がいた。三十分程遅れた友人は汗だくで、軽く謝るとこう言った。
「とりあえず入れる店探さね?」
 友人と共に人ゴミをかき分け、入れそうな店を探す。店は予想通りどこもかしこも混んでいた。飲めそうな場所はすでに満席で、もう飲むのは諦めてどこでもいいから座ろうということになった。何軒も周って、汗だくになりながら漸く見つけたのは、入口が裏路地に面したカフェ。人が並んでいないのはこの店だけだった。僕らは無言で二手に別れる。席を探すのはいつも決まったものを頼む友人の役目。その日の気分で注文を変える僕はレジへと向かう。こういった店に入る際の僕らの暗黙のルールだった。因みに今日はレモンティの気分だ。
 三階の窓際の席を陣取った友人にメロンソーダを渡し、僕も席に着いた。彼は値段を暗記しているのか、レシートを一瞥もせずに小銭を渡してくる。僕は念のため毎回確認しているが、消費税が変わろうと値上がりしようと、渡された金額に間違いがあったことは一度もない。大通りが一望できる席から窓外に目を向ける。普段は規則正しく人が流れる大通りだが、今眼下に広がるのは人、人、人。通り一面に詰め込まれたかのように密集し、もそもそと動く様は蠢く虫のように思えた。
「やべぇなあれ、もはや人間じゃねーな」
おもいっきり顔を歪めた友人はストローを噛みながら呟いた。
「そうだな。あれだけ密集すると虫みたいだ」
「おめぇ面白いこと言うなぁ」
彼は僕の返事がいたく気に入ったようで、ゲラゲラと笑う。
「いやさ、そうじゃなくてよ。アレ」
ひとしきり笑ったあと、彼はある一点を指差した。指差す方に顔を向けると、一箇所だけ異質な場所がある。人混みの中、ぽっかりと空いた場所。真っ赤な自転車を掲げる男と、それに摑みかかる男、自転車を掲げる男の視線の先には女を羽交い締めにする男女の姿。羽交い締めにされた女は何か棒のようなものを振り回している。どうやらこの人混みの中で騒ぎを起こしているようだった。
「喧嘩なのか?」
「じゃね?さっきからずーっとやってんだけど、誰も止めねぇどころか悪化してんの」
スマートフォンを弄りつつストローを噛む友人は、その様子を語り始めた。最初は、これだけ寿司詰め状態であるにも関わらず、規則正しいままである人の流れが面白くて眺めていたらしい。少し経って、ある場所に目が行く彼。人ばかりの光景の中に真っ赤な自転車を押して歩く男の姿を見つけたのだそうだ。
「この中でよくチャリ持ってきたなぁって思ってよ」
確かにそれは僕でも思う、と相槌を打ちつつ続きを促す。その男にぶつかった男がいたらしい。あれはわざとだと豪語する彼は、とても悪い顔をしていた。自転車の男は自転車ごと倒れ、何か棒のようなものを持った女にぶつかってしまう。その瞬間、隙間が空いたのだそうだ。
「隙間、できるものなんだな」
「いや俺もびっくりしたわ」
自転車の男は立ち上がると、ぶつかった男に摑みかかる。女が持っていた棒のようなものは真ん中から折れていたそうだ。女は暫く項垂れていた。人々はそこを避けるように進んで行く。掴みかかられた男は自転車の男を突き放す。一組の男女が項垂れる女に声をかける。友人は慰めに行ったと判断した。途端、女が暴れ出す。その頃には男たちの殴り合いが始まっていたらしい。
 そして僕が見た光景、自転車を振り上げる男とそれを取り巻く周囲の様子に至ったというわけだ。僕が彼の説明を聞いている間にも騒ぎは広がっている。遂に警察がやってくるまでになっていた。
「動画でも撮って投稿してやろうかと思ったぜ」
「撮ったのか?」
「いーや?俺別に、自分の居場所全世界に公開したいわけじゃないからなぁ。やめたわ」
彼は口調こそ粗いが感性は比較的まともだ。その口調のせいで誤解されやすいが、僕よりもずっと常識人である。人と居るときにスマートフォンを弄るのはどうかと思うが。
「んでよ、俺見つけたんだわ」
そう言うと、先ほどまで弄っていたスマートフォンの画面をこちらに向けた。見せられたSNSの画面には、あるやりとりが表示されていた。

――人多すぎ。全然進めない。おこ
――乱痴気騒ぎでも起こそうか。
――ありよりのあり。騒ぎ起きたら人消えるっしょ。

「やばくね?」
彼はいつもよりワントーン低い声でそう言った。
「彼らがこの騒ぎを?」
「分かんねぇ。けど、このスレッドのこいつ」
『乱痴気騒ぎでも起こそうか。』と呟いたアカウントの画像欄。そこには、先ほど男が掲げていたものとよく似た形の、真っ赤な自転車があったのだった。この騒ぎは意図的に起こされたものだというのか?驚きを隠せない僕と、やっぱりそう思うよな、と言いたげな彼。確かにこうすれば、やがて通りから人はいなくなるだろう。なるほど画期的な案だ。だが、窓の外の光景が誰かの予定した通りのものだったとしてもだ。
「どのみち人間のやることじゃないな」
「だよなぁ。つーかそろそろいい時間じゃね?」
彼に言われて時計を見ると、同窓会が始まる時間まであと數十分という頃合いだった。僕らは席を立った。
 窓の外に目をやる。あれだけ人で埋め尽くされていた大通りからは、人が消え去っていた。


記事に目を通していただいき、ありがとうございます。♡押してして頂くだけでも嬉しいです。気が向いてサポート頂けた場合はちょっと良いコーヒー代に致します。