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更級はなぜ

更級日記の名は義務教育を受けた日本人なら誰でも聞いたことがあるでしょう。では一歩踏み込んで更級とは何?、と聞かれて蕎麦に関する事と言える人は半分程度になるでしょう。そしてその先の更級日記の更級にはどんな意味があるかと聞かれれば、おそらく答えられる日本人はほとんどいない。僕も少し前まで答えられませんでした。

思考とはなぜ?を追求する事。幸い日本語と言うか、漢字はさまざまな連想のきっかけが得られる文字です。この更級についてはかなり前から興味を持っていました。何のこっちゃ?です。たぶん中学生くらいからですから半世紀ほど放置していた、言い換えれば思考停止になっていた課題です。

そこで今回、noteの企画で漫画の為の文章コンクールを見かけました。僕は地上波テレビ放送を視聴していないので、熊木杏里と言うシンガーがいることをあまり気に留めていませんでした。今、2023年12月25日ですが、12月は妻と息子の誕生月と言う事で『誕生日』と言う曲が耳に残りました。

Xでその事をつぶやき、曲のリンクを残しました。その後Spotifyで彼女のプレイリストを保存し、車やデスクで聞くようになり、この人の曲は僕の琴線に触れる歌が多いなと感じ、Wikipediaで彼女のプロフィールを調べたところ、なるほどなと思いました。

なぜ彼女の事を二十年間放置していたのかなんとなく判ってきたのが、曲の第一印象がフォーク調であり、僕たちの世代にはパクリのように聴こえてしまいます。いきものがかりにも似ていた。そうなると僕の悪い癖である、拙速な判断をしてしまったようなのです。

人間は生まれてこの方、真似をする事で次に進みます。それを全て否定してしまったら、人間自体を否定する事と同じになってしまいます。全ては程度問題であり、そこから新しいものが生まれているのであれば、何の問題も無いと言って良いのだと思っています。

そんな事で彼女が登場してから二十数年を経て、やっと僕は再会する事ができたと言う訳なのです。やれやれ、自分と言う人間はと思うと同時に、それでも再会出来て何よりと、すぐに気分を切り替える自分がいます。

正確に言いますと、彼女との出会いと言っても曲とのですが、『誕生日』の次は『風の記憶』でした。これも「風」と見た瞬間に「ナウシカ」?と想像し、曲の最初に「青」の文字を見つけ、ピアノの音を聞いた瞬間に「やはり」と久石譲が浮かびました。いや、単なる勘違いかもしれません。

そうして彼女の曲を聴き進めるうちに、武田鉄矢氏が番組で使用した曲などにも出会いました。彼女の感性を彼らは見つけたようです。僕はテレビの偏向報道による洗脳を嫌ってテレビの視聴をやめましたが、高い才能を持った人が集まる場である事は事実のようで、金の為に使い方を間違えなければ素晴らしい場なのだと思っています。

そんな事で熊木杏里との長すぎた出会いに字数を割きましたが、今回これを書くにあたって、彼女の出身地と関わりがあるので詳細に記しました。

そもそも熊木と言う姓は珍しいので、第一印象はそこにありました。僕の姓も珍しいので、家の過去帳や戸籍を頼りに調べてみると江戸中期まで遡り、様々な事が判明しました。そんな事で彼女の姓と僕の先祖には多少なりとも関係があるのではと思うところもあります。

熊木、ここから連想するのは熊とは何か、です。また、横一を一つ加えれば熊本、です。古代史を少し紐解けば熊本は倭人伝にも登場する「クコチヒク」=「キクチヒコ」の地である事が知れます。現在でもあの地を少し調べれば「菊池」の文字を発見する事ができるでしょう。

他に熊は「球磨焼酎」で有名な球磨の代替文字であったり、「タバナコク」の比定地ともされる、古墳の石棺の石の採掘地とその石材で有名な「玉名石」の産地でもあります。近畿地方の大王の古墳の石棺に使用する石材をわざわざ熊本の玉名から取り寄せるのはただ事では無い事が分かるはずです。

次に最も大事な意味、熊木は「熊来である」、と言う事です。これは熊毛と表記される事もあります。

ここまで一気に書きました。昼休みが終わりそうなので、続きはまた。

年末年始はこの文章を完成させよう。

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