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06_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

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なんとかできると思ったのが間違いだった。

僕が隠していたばあちゃんのポーチは、次の日の朝、あっさりとばあちゃんに見つかった。

「ユースケ、ばあちゃんのポーチ、どこにやったとね?」
ばあちゃんがノックもせずに僕の部屋に入ってきた時、僕は勉強机の上に置いたばあちゃんのポーチと格闘している最中だった。

机の上には、裁縫道具と粉々に割れた巻き貝。僕の右手には水色のポーチと白い糸が通った細い針。5年生になって習ったなみ縫いを思い出しながら、ポーチに針を刺している最中だった。

「ユースケ? なんしよるとね」
突然、僕の左側にばあちゃんのシワシワの顔がドアップになって現れた。
「うわぁ」
僕は思わず大声を出す。

「ユースケ、針持ってふざけたら危ないよ!」
ばあちゃんは眉根を寄せた。
「急に入ってこんでよ。ビビるやろ」

ばあちゃんに向き直った瞬間、ばあちゃんが声をあげた。
「痛っ」
目の前にあったばあちゃんの指に、僕の持っていた針がブスっと刺さっている。

「うわぁ! ごめん、ばあちゃん!」
慌てて針をばあちゃんの指から抜いた。針の刺さっていたところから、血がぷくんと出てきた。やばい! 弱り目に祟り目だ。
「あ! 血が出とる!」
僕は慌ててばあちゃんの手を掴むと、自分の指でそうするみたいに、口で止血した。
僕はばあちゃんの指から出てくる血を、吸血鬼みたいにちゅうっと吸った。

「まっず!」
僕は思わず、ばあちゃんの指から口を離した。
「なんがまずいね。失礼かー」
ばあちゃんが僕の頭をぺちっと叩く。
「あら。もう止まっとる。それにしても、針持ってふぜけたら危ないやろ」
そう言うと、顔をしかめて怒った。

「ごめんなさ〜い」
「でも針仕事とか珍しいことしよるね。何ば縫いよるとね」
ばあちゃんは僕の手元を覗き込んだ。
「いや、何って……」
僕が口篭っていると、ばあちゃんが「あ!」と声を上げる。
「それ、ばあちゃんのポーチやないね。ああ、ビリビリに破れとるやない。あぁあ」
ばあちゃんは声に出してため息をついた。

「ばあちゃん、ごめん!」

僕は針を針山にブスっと刺してから、両手を合わせて謝った。仕方ない。バレてしまっては謝るほかない。
背を丸くしてぎゅっと目を瞑って謝る僕を見て、ばあちゃんはふっと軽く笑った。そして僕の肩をポンポンと叩く。

「よかよか。形あるものはいつか壊れるっちゃけん。ただ、すぐ謝らんやったんはよくなかったね」
僕は目を開けてばあちゃんの顔を見た。寂しそうに見えるけど、悲しそうには見えない。

「自分で縫おうとしよったとね。それなら最後までちゃんとしなさいね」
ばあちゃんは特に怒ったりもしなかった。
「お昼ご飯できとるけん、終わったら食べにきなさいね」とだけ言い残して、部屋から出て行った。ばあちゃんの背中を目で追い、引き戸がゆっくりと閉まるのを確認すると、僕の体から力が抜けていくのがわかった。

ふう、と気合いを入れ直して、僕はなみ縫いの続きを縫うためにプスっと針を刺した。
水色のポーチに白い糸が泳ぐ。泡だったような白い波が水色のポーチに広がってゆく。

そんなイメージで僕は布を縫っていったが、そう上手くはいかなかった。僕が縫った縫い目はとにかくガタガタで、穴も塞ぎきれていなければあちらこちらで糸の端っこが顔を覗かせている。

はあ、とため息をついた。
「ひどい出来。これじゃ、直したって言えんやろ」
自分にガッカリしているようなセリフを独りごちてみたけれど、僕は不思議と満足していた。

だって、どうやったって、これ以上綺麗に縫えっこない。

とりあえず満足した僕は、ひどい出来上がりのばあちゃんのポーチと割れた巻き貝を持ってリビングへ入った。
「ばあちゃん、ごめんなさい」
改めて神妙な面持ちで僕は頭を下げる。
「わかったわかった。割れた貝は危ないけん、もうゴミ箱に捨てときなさい。あと、ポーチはいつもの仏さんのところに置いといたらいいけん。仏さんにもちゃんと謝っときなさいね。終わったら、昼ごはん食べなさい。お父さんが今日は昼で仕事を終わらせて帰ってくるって言いよったよ」

僕は「うん」と返事をすると、左手に持っていた巻き貝をゴミ箱へざらざらと流し込んだ。右手に持っていたばあちゃんのポーチを、一階のばあちゃんの部屋にある仏壇に置いた。

仏壇に飾ってあるじいちゃんの写真とお母さんの写真を一瞥する。変わり映えのない、けれど優しい笑顔だ。

会ったことのないじいちゃんの顔は、知らない人だけど、知ってる人みたいな気がする。じいちゃんはお父さんがお母さんと結婚する前に病気で死んだらしい。だから僕はじいちゃんに会ったことがない。写真の中でしか知らないじいちゃん。
僕は写真の中のじいちゃんの顔を見た。太くて立派な眉毛に、少し垂れ下がった目。への字口が頑固そうだけど、目が垂れ下がっているおかげで、そんなに怖そうには見えない。

お父さんの目は綺麗な二重がはっきりとした、大きな目だ。じいちゃんのとは違うなと思った。ばあちゃんはくっきり二重だから、お父さんの目はばあちゃんに似てるのかもしれない。でも、頑固そうな口元と、立派な鷲鼻はじいちゃんそっくりだなと思った。
ばあちゃんは僕の顔を見ると、目はお父さんそっくりな綺麗な二重やね、といつも言う。ということは、僕はばあちゃんの目にも似てるってことだろうか。そして僕の鼻と口はお母さんに似てるってことだろうか。そんなことを思いながら、僕はお母さんの写真に一瞥をくれた。

僕はライターで蝋燭に火をつけて、線香に火を移す。
ふわんと線香から煙がのぼる。線香の先がじわっと赤くなって、次第に灰になるのを見届けてから線香立てに線香を差した。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の火を手で仰いで、火が消えたのを確認してから僕は手を合わせた。

お母さんはお父さんが結婚することをどう思ってるんだろう。写真の中のお母さんはいつも笑っているからよくわからないけど、悲しいって思ったりするんだろうか。
僕のお母さんはお母さんしかいないのに、新しいお母さんができることを、お母さんは寂しいって思ったりしないんだろうか。

最近僕は、仏壇の前に座るとそんなことを考えてしまう。ぎゅっと手を握るとお母さんのあったかい手のひらを思い出すような、そんな気がして、僕は手を強く握った。




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