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コイン・チョコレート・トス_最終話

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🪙 150.9グラム


2月12日(木)

すっかり眠りこけてしまった。

ー昨日が眠れなかったせいかもしれない。夢も見ず、畳と布団と同化して眠った。多分、微動だにしてないんじゃないかと思う。寝返りだって打っていなさそうな気がする。

幸子は泥のように眠った。

2月11日(水)

特に何もしなかったのに、幸子はなんだか疲れてしまっていた。

天井のシミの声が自分自身の声だったなんて。
とんだ一人相撲だと幸子は思った。けれども、初めて自分の気持ちを聞いた気がした。

いつまで経っても、誰かに守られてばっかりで。流されて、自分の意思が見えなくて。自由な何かに憧れて、憧れるだけで。変わりたいと言いながら、いつまでも同じ場所にいる。

心から変わりたいんだと言う声が聞こえた気がした。

真剣な自分の声を聞いて、異様な程、疲労を感じた幸子は畳に転がったまま眠ってしまっていた。畳の上でそのまま寝ていたもんだから、起きた時、体がバキバキだった。

夕方ごろに目が覚めた幸子は、買っておいた食パンを生のまま、何も塗らず、何も挟まず、詰め込むように食べた。
すっからかんだった胃の中の胃液を食パンが全て吸収すると、まだ食べ足りないとお腹が鳴った。

アパートには生卵以外、食べるものが何もなかった。

昨日散々降り続いた雨はすでに止んでいて、幸子はメイクもせずにタイムスリップスタイルのマスクとサングラスで近所のコンビニまで行った。
目につく美味しそうな食べ物と、野菜不足を気にして手にしたサラダをガサガサとカゴに放り込む。

帰るや否や、動物園の猿が餌に喰らいつくみたいに、幸子は脇目もふらず一心不乱に食べ続けた。
ひとしきり食べたところで、買ってきてた1.5リットルのコーラのペットボトルの蓋を開け、コップにも移さずにそのままぐびぐびと飲んだ。

食べ盛りの男子高校生の昼食ってこんな感じだろうかと幸子は思う。幸子は満腹になると、誤配された新聞を読み漁り、歯を磨いて横になった。

昔の新聞というのは存外に面白かった。
すでに経験済みの時間にも関わらず、自分自身の生活に密着していない出来事は、新しいニュースと何ら変わらない鮮度を保っていた。

事件が自分の前を通り過ぎたとしても、その人がそれに気づかなかったら、その事件は起きなかったことに等しい。逆に、誰かの作った想像の出来事でも、それを現実のものと仮定し始めた途端、それは事実より真実味を帯びたりする。

フシギなもんだなと幸子は思った。

起こったことは何も変わらないのに、見えるか見えないかで、あったことにもなかったことにもなる。
誰がどんな風に捉えるかで、同じ事実も違うものに見えたりする。

本当のことなんて、どこにもない気がした。

泣いて、吐いた。自分の声も吐き出した。
幸子はすっからかんになった。

空っぽになったら、詰め込んだ。
食べて、読んだ。

そして、寝た。

2月12日(木)

起きたらなんだかすっきりしていた。

幸子は目が覚めると、もう色んなことがどうでもよくなっていた。投げやりなそれではなくて。前向きな、どうでもいい。

一旦、家に帰ろうと思った。悟とちゃんと向き合おうと思ったし、向き合えるとも思った。

新聞も今日で止めておくことにした。
そもそも、まともに配達をされてもいないし、払う義理はない気がするけれども。しかし、なんとなく申し訳ないので、一ヶ月分だけ支払う約束をして、解約させてもらうようお願いしようと幸子は考えた。

幸子は最後の新聞を新聞受けから取り出した。

平成X年6月1日(月)

「平成? 17年前? なんで? 私が14歳の頃?」
幸子は手に取った新聞の日付を見ながら、愕然とする。手に取った新聞が無意識に手から離れ、床に落ちた。

幸子は自分の手が震えていることに気づいた。次第に脈も速くなり、鼓動も大きくなっていく。心臓が耳に移動してきたんじゃないかと思うくらいに、大きな音で心臓がどくどくと脈打っているのが聞こえる。

「どうしよう」

震える声で呟いた。心の中に押し留めておきたかった想いが、勝手に口からこぼれ落ちていく。一体これは何の試練だろうか。少しずつ消化していって、やっと癒えてきたような古傷が、急に痛み出した。

幸子は深呼吸をする。深く息を吸って、長く息を吐く。
まだ浅い。
幸子は深呼吸を何度か繰り返した。吸っては吐いて。吐いては吸って。

ゆっくりそれを繰り返すと、次第に深く息が吸えるようになった。
ふーーーーーっと長く息を吐いた。

「どうする私?」
幸子は天井を仰ぐが、シミは何も答えない。

決められない。まだ、自分じゃ決められない。
ごめん、天井のシミ。
今、入ってるだけのコインチョコまでは使わせて。

「ーーお願い」

幸子は天井のシミに謝った。
ショルダーバックから自家製ブラックジャックを取り出す。ショルダーバックの底にしまい込んでいたはずの一昨日の誤配の新聞は消えていた。

幸子は新聞を探した。しかし、新聞はどこにもない。そういえば、昨日の新聞もない。これまで誤配された新聞は、何一つ残っていなかった。
全ては消えてしまうのかと幸子は思う。証拠も残さずに。

それにしてもブラックジャックがなぜだか軽い。こんなにも軽かっただろうかと、靴下の中身を確認してみる。小銭が減っている気がする。いつの間にか小銭を使ってしまったのだろうか。そんなわけはないけど…….と思いつつ、今はそんなことはどうでもいいと、幸子は自家製ブラックジャックから、残り3枚のコインチョコのうちの1枚をつまんで取り出した。

指先に力が入る。幸子が投げたコインチョコは勢いよく真上に舞い上がる。

「あ、ぶつかる」
思わず幸子が声に出した瞬間、天井のシミが口を開けた。コインチョコが天井に吸い込まれていく。

天井のシミはニヤリと笑ってコインチョコを吐き出した。天井のシミが吐き出したコインチョコは、今度は幸子の左手の手のひらに吸い込まれるように落ちる。

ーー表。

幸子はぺりぺりとコインチョコのアルミを剥がす。綺麗なチョコレート。割れてなんかいない。表、かつ、割れていないコインチョコ。

「迷わずに進む、しかない」

冷静に考えなければいけない。動揺してはならない。思い出さないようにしていたあの時のことを思い出さなければいけない。タイムスリップしたとしても、多分、運命は変わらない。

あのことは無かったことにはならないんだ。


ーーだけど、


幸子は再び深呼吸をした。


6月1日(月)

幸子、中学2年生。
その日、思い出したくもない幸子人生史上最悪の出来事が起きた。

部活帰りだった。
時刻は夜7時より少し早い時刻。

現在の理恵のアパートから歩いて15分程度、理恵の実家から歩いて10分程度の場所にある、古いマンションが幸子の昔の実家だった。そのマンションに幸子は中学生まで住んでいた。6階建てのその建物は、17年後の今もまだ変わらずにそこにある。

その日、幸子は部活終わりに中学校から理恵と話しながら歩いて帰った。途中まで二人で歩いて帰り、分かれ道で理恵と別れ、自分の自宅マンションへと幸子は歩いた。

6月1日。

中学校の制服が標準服から夏服へ衣替えがあった日だ。半袖のシャツと夏用のスカート。昼間はちょうどいいが、まだ夜は少し肌寒かった。

部活帰りの、夜7時はまだ薄暗い。視界はぼんやりと狭く、疲れた体はまどろみかけた昼間に溶けていくような感覚になった。

幸子と理恵が入っていたバレー部はそこまで強いチームではなかったものの、三年生の最後の夏の大会に向けて、練習はハードになっていった。幸子たち二年生が試合に出れる確率は低いものではあったが、もしかしてという期待もあり、何もわからなかった一年生の頃と比べ、幸子たち二年生の練習にも熱が入る。

朝よりも重くなった足を、右に左にとやっとのことで動かしながら、幸子はマンションへと帰り着いた。マンションの前でやっと着いたと一息つき、そしてエレベーターに乗り込む。

幸子の後からエレベーターに一人、男性が乗り込んできた。見たことのない住人だと幸子は思う。知らない顔。何階の住人だろうか、と疲れた頭でぼんやりと考えた。

幸子は6のボタンを押し、男は5のボタンを押した。何度見ても見たことのない男だった。変なパーマのかかった髪型。いかにもな龍の刺繍が施されたスカジャン。スカジャンの色は紫でテカテカとしている。

幸子は趣味が悪いな、と思った。

幸子は疲れた体で、エレベーターのドアの前に立っている趣味が悪いスカジャンをぼーっと眺めた。エレベーターは5階に着く。幸子は男が降りるのを待った。


男は降りなかった。



男は急に振り返り、ナイフを幸子に突きつけた。
刃渡り5cmほどの小さなナイフが、幸子の左腹部の3cm手前まで近づいた。
そして、男は幸子を触ろうと手を伸ばす。
幸子は無意識に叫んだ。
「ぎゃあ」と言う叫び声が、狭いエレベーターの箱の中に響き、そして、空いたドアから叫び声が飛び出していく。

幸子は頭が真っ白になりつつも、男がドアから逃げていくのを確認した。
幸子は慌ててエレベーターの「閉」ボタンを連打する。
エレベーターがブィンと音を立て、上にあがり、6階についた。

エレベーターのドアが静かに開く。
幸子は息を飲んだ。
もしかして男が待ち伏せているかもしれない。

ドアの前には誰もいなかった。
幸子は走った。
自宅のドアの前に着くなり、玄関のインターホンを連打する。

ギィとドアが開き幸子の母が出てきた。
ドアの奥から人気のアニメのオープニングの歌が流れていた。
午後7時だ、と幸子は思う。
慌てて靴を脱ぎ、息を切らし、幸子は部屋に入った。

「どうしたの?」
顔面蒼白の幸子に母親は尋ねた。

幸子は母に一部始終を話した。母は表に出る。あたりを見渡し、男がいないかを確認した。母親はすぐに家の固定電話から110番通報をする。しばらくして、自宅のインターホンが鳴った。母は玄関ドアの覗き穴から来客者を確認する。制服を着た警察官が家の前に立っていた。


2月12日(木)

幸子は深呼吸を繰り返した。

レイプもされなかったし、刺されもしなかった。特に被害はなかった。不幸中の幸いだったと自分を宥める。

幸子が襲われそうになった翌週、別のマンションで同様の手口によって、刺されそうになり体を弄ばれた子がいたと知った。犯人は「叫んだらと殺す」と言っていたと言う話を耳にした。

幸子は思った。「同じ犯人だ」と。

自分が叫んだから、次の子には叫ばないように脅したんだろう。幸子は自分が二人目じゃなくてよかった、なんて思ってしまった。最悪だ。自分でなければいいなんて考える思考回路に嗚咽した。それと同時に、自分が叫んだせいで被害にあった子がいたんだと、と申し訳ない気持ちにもなった。自分のせいだ。加害者側になったような気がした。やっぱり吐き気がする。複雑な胸中に、何をどう消化していいのかもわからなかった。

まだ柔らかい無垢な心では、消化できるものではない。消化なんてできっこない。

反抗期真っ只中だった幸子は、悲しみと同時に苛立ちも覚えた。なんで私がこんな気持ちにならないといけないんだと、腹が立った。
悪いのは犯人であって、自分ではない、と。

その事件があってからというもの、母は、幸子の帰りが遅くなるたびに幸子を迎えに出るようになった。母がいけない時は、父だったり兄だったりもした。
それは幸子が部活で遅くなる時や塾の時。理由は問わず、いつでもだ。

幸子が中学校を卒業したタイミングで、幸子の家族はそのマンションを出て、別のエリアへと引っ越しをした。

幸子はあの事件があった後も、約二年、それまでと変わらず普通に生活をしていた。たまにあの事件のことを思い出すこともあったけど、大きな事にはならなかったし、家族が守ってくれると安心していた。特別に生活に支障が出るようなことはなかった。

自分は大丈夫だと思っていた。強いんだ、と。
刺されそうになっただけで、実害なんてなかったから。

でも高校生になったある時、幸子が乗っていたエレベーターに知らない男の人が乗ってきた。小さな密室の空間にいるのは幸子とその男性だけ。幸子はパニックになった。
冷や汗がつつーとおでこをつたう。心臓は早鐘を打ち、温かかった手のひらは一気に冷たくなった。動悸は止まることを知らず、脈はどんどん速くなる。

エレベーターが開いた瞬間、幸子はエレベーターから飛び降りた。降りる階ではなかったが、あの狭い箱に知らない男性と二人で乗り続けることはできなかった。たとえ、短い時間だとしても。

ある時、高校で調理実習があった。メニューはハンバーグ。友人が玉ねぎを切っていた。
「やばい。涙出る」
友人が右手に包丁を握ったまま、右手の甲で涙を拭った。鋭利な刃物が幸子の方に向いた。幸子の脈は速くなった。思わず慌ててその場から離れた。
「何? どした?」
と尋ねる友人に幸子は愛想笑いをし、
「玉ねぎの汁が飛んでくると、涙が出ちゃうと思って、ビビッて逃げた」
と答えた。

全然、大丈夫じゃなかった。

エレベータの個室も、鋭利な刃物の刃先も、大丈夫じゃなかった。
あの男は、幸子を刺したりも触ったりもしなかった。けれど、幸子の心臓を抉り、握り潰していた。それは見えない傷だったから、幸子も気づかなかっただけだ。傷は癒えることなく、定期的に傷跡をあらわにしてはじゅくじゅくと膿んでいく。治ったと思った瘡蓋を掻きむしるみたいに、ことあるごとに幸子は無意識に傷跡を掻きむしった。

その事に気づいた幸子は、両親や兄以上に自分に対して過保護になった。
こんな傷、早く治したい。忘れてしまいたい。見なければ、掻きむしらなければ、多分、いや絶対に治すことができる。

世の中は何が起きるか分からないのだし、自分の身を守れるのは自分しかいない。できるだけシェルターにこもって、両親に守ってもらおう。傷口を触らないように慎重に行動しよう。これ以上傷つかないように、外に出る時は最大限の防御を。

幸子は徐々に傷が癒えてくると、守りすぎた、守られすぎた自分に嫌気がさして一人暮らしを始めた。

でも、世の中が安全になったわけじゃない。
嫌なニュースを見るたびに、幸子の男性への不信感は募っていく。そして、余計に肩に力が入っていったのは間違いなかった。

そんな時に悟に出会った。
悟が幸子の傷を癒やし、これ以上傷口が広がらないようにと守ってくれた。

しかし、今ここに悟はいない。
一人でなんとかしなければならない。
事実は変えられないが、何かできることがあるのかもしれない。

14歳の私のために。

ーーいや、今の私のために。

🪙

幸子は時刻を確認する。12:38。

あの男が一体どこから当時の幸子をつけていたのかを、幸子が知る由もなかった。もし、あの現場に居合わせることができるとすれば、帰宅時の自分の後をつけるか、家の前で待ち伏せをするかのどちらかしかない。

幸子は記憶を辿る。中学生の頃、どうやって帰っていただろうか。確か、学校から理恵の実家近くで別れて、一人歩いてマンションまで帰っていた。マンションへの道はいくつかあった。

果たしてその日はどの道で帰ったのだろうか。

考えられるのは二つ。

人通りの多い明るくて安全な遠回りの道。
あるいは、最短ルートだが、暗くて人の通らない道。

最短ルートについては、事件が起きる前から母親には通らないようにと強く念押しされていた。不審者出没の噂も絶えず、幽霊出現の噂も絶えず、昼間ならまだしも、夜は高校生たちの肝試しスポットだった。多分、絶対に通っていないな、と幸子は思う。

けれども、今でこそ、そんな道自ら進んで通らないだろうと考えたりもするが、無鉄砲な中学二年生が何を考えていたかはわからない。もしかすると疲れているから早く帰りたいと、ダッシュさえすれば大丈夫だからと走って帰った可能性も拭えなかった。

どちらの可能性も捨てきれず、幸子は仕方なくマンションの前で待ち伏せすることにした。

幸子はその後のことも考えた。何も考えずにタイムスリップしたら、田中への報復の時や佐藤佑美を尾行した時のように無駄になってしまうことも考えられる。タイムスリップという貴重な体験をしているのにも関わらず、見たくもない光景をリプレイするだけで終わってしまうのは、もううんざりだ。

当然だが、14歳の私もあの男もタイムスリップした幸子には気づかない。なぜならば、幸子は透明人間なのだから。しかし、自分が14歳の幸子や男に触れることができるのだろうか、という疑問が幸子には残った。事件を未然に防ごうとすれば、物理的に誰かに触れられなければ意味がないのではないか、と。

物に触れられることは前回のタイムスリップでわかっている。チョコレートは買えたし、椅子も引けた。幸子を認識していない人間にも触れられた。すれ違いざまに知らない人とぶつかったと言うことは、幸子を認識していない人間には幸子は他の普通の人と同じように、見えて触れる人間ということになる。

しかし、数度のタイムスリップをした際に、幸子は自分のこと見えない誰かと触れる機会はなかった。

もし、触れることができたらどうなるのだろうか。やはり何かが起きてしまうのだろうか。タイムトラベル系の物語では触れてはならないと言っていなかっただろうか。

幸子は漠然と、恐怖を覚えた。もしかしてその場で自分か当時の自分かが消えてしまう可能性があるかもしれない。できるだけ人には触らないようにして、解決した方がいいかもしれない。

とりあえずエレベーターに一緒に乗り込まなければ意味がない。物理的な何かを持って乗り込めば、直接触らずに何かができるかもしれない。

男の動きはわかっている。エレベーターのドアが開いた瞬間、振り返り、中学生の幸子を刺そうとするのだ。そして、触ろうとする。
幸子はシミュレーションしてみた。男がナイフを出したら何かでナイフを叩き落として、伸ばそうとする手も叩き落とそう。

事件はおきてしまうだろうが、あの刺さりそうな刃先が、伸びてくる手がなければまだ私の傷は浅くすむかもしれない、と思った。
見えないものに叩かれれば、男も怯んですぐにその場を去るに違いない。幸子は幽霊になることを決めた。

そうと決まればと、家を出ようと思ったが、当時住んでいたマンションは理恵のアパートから歩いて15分の場所にある。まだ昼間のうちに家を出ても、すぐに着いてしまうし、夕方までは特にやることもない。

一旦、落ち着こうと幸子は深呼吸をした。

幸子はブラックジャックの口を開け、残り2枚のコインチョコのうち、1枚のコインチョコを投げた。さっさとコインチョコを使ってしまおう。そしたら、これからは決断をコインチョコに委ねずに自分でちゃんと決める。

では、と幸子は心の中で、コインチョコに決断を委ねる内容を考えた。
さあ、腹ごしらえに何を食べようか。

ーー寿司か焼肉か。

表が出たら寿司。裏が出たら焼肉。


幸子はコインチョコを投げる。
y=-2x² の放物線を描きながら、コインチョコは宙を舞った。コントロールが悪くコインチョコは思いのほか遠くに落下して、幸子はそれを慌ててキャッチする。

ーー裏。

幸子はガッツポーズをした。よし、今日は焼肉だ。

幸子は家族で何かお祝い事があるたびに食べに行っていた焼肉屋に行くことにした。ここには、大人になってから理恵ともよく食べにきていた。理恵のアパートからもさほど遠くない。焼肉屋に着くと、ちょうどランチタイムの時間帯だった。

幸子はここ数日、栄養が足りていないと感じていた。食は人の基本なのだ。
昨日はコンビニでサラダを買って食べたが、それぐらいでは野菜が足りないことはわかっていた。しかし、ここは焼肉屋。まずは肉だ。

今日は過去のトラウマと対峙しなければならない。パワーをつけなければ。

幸子は席に座るなり、焼肉定食を頼んだ。夜はコースまたは単品のみだが、ランチタイムなので定食がある。しかし、定食の量の肉では足りない気がする、と追加でカルビも頼んだ。

ランチタイムは回転が速く、すぐに焼肉定食が運ばれてきた。ツヤツヤの白いご飯に、湯気が立ちのぼるわかめスープ。皿には数種類の肉とそれと別にカルビ一人前。

幸子はカルビを一枚、網の上に乗せた。

じゅうっと音がして、煙が上る。久方ぶりの肉が焼ける匂い。幸子はしばらくして肉をひっくり返した。再びじゅうぅと音がして、美味しそうな匂いが幸子の顔の周りを包囲した。

「これこれ。ああ、ビールが飲みたい」
幸子は思わず、涎と共に本音をこぼす。

しかし、すぐに頭を左右に振った。今日は飲まない。絶対に飲まない。全てが片付いたら、生ビールを飲もう。缶のビールじゃなくて、キンキンに冷えたジョッキに入ったビールを飲むんだ。幸子は決意を新たに冷たい水を飲んだ。

幸子は肉を箸で掴み、タレの入った皿に入れた。表面がこんがりと焼けた肉にタレをつけると、左手に持った茶碗の上で肉をバウンドさせてから肉を口に放り込む。口の中に甘辛いタレと肉の脂がじゅわっと広がる。

柔らかい肉を噛むと肉汁がじわわと口の中に浸透していき、唾液と脂が絡まった。何度か肉を咀嚼して飲み込むと、まだ肉の味が広がっている口の中に、タレで汚れた白いご飯を放り込む。わしわしとご飯を噛んでごくりとご飯を飲み込んだ。荒く砕かれたご飯の粒が、喉を通る音がした。

「うまっ」

幸子は肉を数枚と焼き野菜を網の上に乗せ、焼いては食べ、食べては焼いた。五臓六腑に染み渡るとはこのこと。
力が湧いてくるような、漲るような気がして、肉は偉大だと幸子は心から思う。

目の前に母の映像が見えた。
「よく焼いて食べなさい」
想像の中の母親が、少し眉間に皺を寄せて幸子に注意をした。

幸子の母は肉はよく焼く派だった。『昭和の人間はお腹を壊すのが怖いから、みんな肉は良く焼くのよ』とよく分からないことを言っていた。主語が大き過ぎるとは思ったが、母の影響もあり、幸子も大人になるまでは肉はよく焼く派だった。しかし、今の幸子は肉は多少赤い方が美味しい、という悟の持論に支配されていた。

頭の中に聞こえてくる母の声を無視して、幸子はまだ赤い牛肉を口の中に放り込む。

「お母さんが焼くと、肉が固いんだよね」
幸子は独り言と一緒に、噛み砕いた肉片と脂を飲み込んだ。

そういえば、母からも数回着信が入っていた。きっと悟が私が実家に帰ったのではないかと思って連絡をしたのかもしれない。母もきっと心配しているだろうな、と幸子は想像の中の目の前にいる母親に軽く頭を下げた。

思えば家出なんてことをしたのは人生で初めてだ。
誰しも人は一度くらい家出をして、自分を見直す機会が必要なのかもしれない。

理恵がよく、旅に出た方がいいよ、と言っていた。

知らない場所に行くと、知らない自分に出会える。新しい価値観が生まれる。いつも同じ場所で同じことを繰り返す日々では、気づかないことがたくさんある。人生は長いようで短い。

殻は内側からしか破れないよ、と。

そんなことをできるのは、きっとほんの一部の人かもしれないけれど、たまに環境を変えて違う空気を吸うのもいいかもしれないと幸子は思った。

幸子は地元に戻ってきただけだったけれど、それでも何かが変わったような気がしていた。

悟と話し合いをしたら、実家にも顔を見せに行こう。母が大好きだったこの街のケーキ屋さんで、アップルパイを買って行こう。
母はアップルパイが好きなのに、いつも私と兄が大好きなチョコレートケーキを買ってきてくれた。

自分のことはおざなりで、あなたたちが満足すればそれでいいなんて言っていたけれど。
母がアップルパイを美味しそうに食べる姿を見るのが、幸子は好きだった。

幸子はお会計を済ませ、理恵のアパートへと戻った。

シャワーを浴び、歯磨きをし、着替えをした。今からタイムスリップする時期は6月だ。半袖のシャツは流石に持ってきていなかったので、薄手の長袖のシャツに腕を通した。

誤配された新聞は、前回と同様ショルダーバックにしまった。いつもなら、自家製ブラックジャックはショルダーバックにしまったままだが、今日はポケットに忍ばせておいた。何かの役に立つかもしれない。

17:00。幸子は家を出た。


6月1日(月)

事件が起きるより1時間以上早い時間ではあったが、幸子はかつて自分が住んでいたマンションへと向かった。

空が橙色に染まっていく。
次第に周囲が薄暗くなる。

なんだか夢の中にいるみたいだ、と幸子は思う。

自分の輪郭と世界の輪郭が曖昧になっていく。自分の体温と体の周りにまとわりついた気温が混じり合い、ほの暗いこの世界に溶け込んでしまったような。蒸し暑い6月の風が体にまとわりついて、少し肌に湿度を感じる。足の裏は地面を捉えて損ねているようで、ほんの少し、コイン一枚分の厚さの距離を感じた。

幸子はスニーカーの靴紐をギュッと結び直す。

ーー絶対に解けないように。いつでも走り出せるように。

18:56。

14歳の幸子が、前方から歩いてくるのが見えた。14歳の幸子の背後には紫色のスカジャンを着た男が距離をとりながら、幸子の後ろをついてくる。

幸子は思わず、えずいた。男の服装や顔、髪型をみた瞬間、呼吸が速くなる。整えるように、ふぅと息を長めに吐いた。

14歳の幸子がエレベーターに乗り、幸子はすぐさま14歳の幸子の後に乗りこんだ。男も足早にエレベーターに乗りこむ。

小さな狭いエレベーターの中に三人が乗った。エレベーターの奥に14歳の幸子、ドアの前に男がドアの方を向いて立っている。幸子は息を潜めた。空気が薄いような気がした。

男に目をやると、男の右手はポケットに突っ込まれており、ポケットの中にナイフが入っているのだろうと想像する。ほんとは腕を引っ張って、ナイフを取り上げたいところだが、男が逆上して余計に酷いことになりかねない。幸子は苛立ちと呼吸を抑えた。

14歳の幸子が6階のボタンを押し、男が5階のボタンを押した。静かにエレベーターのドアが閉まり、ブォンと音を立ててエレベーターが上昇する。エレベーターの階数の表示が、2になり、3になり、4になった。

男はじっと動かない。

14歳の幸子はぼんやりと男のスカジャンを見つめている。クソダサいなと思っているところだろう。
男の右手はポケットに入ったままだ。5階に着いた途端に、きっと右ポケットからナイフを出すに違いない。


来る。


5階。


静かにドアが開いた瞬間、男は振り向いた。
右手をポケットから出す。
握っていたナイフを14歳の幸子に突きつけようとしている。

幸子はとっさにショルダーバックを14歳の幸子と男の間に突き出した。
ナイフの刃先が幸子のショルダーバックに静かに刺さる。
男は見えない何かにナイフが刺さったことに気づき、反射的にナイフを引いた。

男の左手が14歳の幸子に向かって伸びた。
幸子はショルダーバックを振り上げた。
男は手に見えない何かが当たったことを感じ、驚いた表情を浮かべる。

14歳の幸子は驚きのあまり、叫んだ。
耳をつんざくような声。


えらいぞ私!! よく叫んだ!!
幸子は思わずガッツポーズをした。

男は14歳の幸子の叫び声を聞き、慌ててエレベーターから降りた。

幸子は男を追いかけた。
男は階段を駆け降りる。
幸子も走る。

逃がさない。絶対に。

幸子は右手をポケットに突っ込み、右ポケットに入れておいた自家製ブラックジャックを取り出すと、男に向かって振り下ろした。少しだけ距離が足りず、ブラックジャックは男の背中に少し掠めただけで終わった。

幸子が失敗したと思った瞬間、男が前につんのめった。

「こけろ!!」
幸子は叫んだ。

男はバランスを立て直し、一瞬、後ろを振り返る。男と幸子と目が合った。男は恐ろしいものを見たかのような表情を浮かべ、血相を変えて慌てて階段を転げるように駆け下りる。

幸子は舌打ちをした。

男に追い付きたいが、逃げるのに必死な男の足は思いのほか速く、幸子は追いつけない。
男はマンションの入り口から出ると速度を上げて走り出した。幸子は手に持っていた自家製ブラックジャックを男の背中に向かって投げつける。
ブラックジャックは男の背中にどしんと当たり、男はその場で転んだ。

やった!! 幸子はガッツポーズをした。

しかし、男はすぐに立ち上がるとよろよろと逃走した。逃げられた。幸子は肩を落とす。

その瞬間、目の前が歪むのがわかった。目眩。
幸子は理由を探した。急に走ったからだろうか。違う。何かが違う。

幸子はショルダーバックを開ける。先ほど男が刺したナイフの穴が大きく開いている。ナイフは深く刺さっていたらしく、誤配された新聞にまで大きな穴を開けていた。

あ、もうだめだ、と幸子は思う。

目の前の空間が歪んていくのがわかる。
目の前が白んでくる。
どこか遠くの方で、何かが衝突するような音が聞こえる。
耳も遠くなる。
意識が遠のく。


幸子はへたりとマンションの入り口に座り込んだ。


🪙

竹下悦子は、マンションの前で犯人を探していた。背後に人の気配を感じ、悦子は振り返る。

「敦彦! なんで降りてきたの」
背後に立っていた息子である竹下敦彦を悦子は睨みつけた。
「いや、母さんだけじゃ危ないでしょ」
何くわぬ顔でそう言うと、敦彦は真剣な顔をして当たりを見回した。

悦子はため息をついた。
「もう! 幸子をひとりにしないでよ」
「今は部屋にいるし、鍵はかけてきたから。それより犯人は?」
敦彦は飄々とした様子で、あたりをキョロキョロ見回しながら犯人を探した。

「いないみたい」
悦子はため息をついた。
どこからかパトカーや救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
「あ、もうすぐ警察が来ると思うから、戻ろうか」
幸子が心配な悦子は、敦彦に部屋に戻るよう促した。

悦子の言うことなどお構いなしに、辺りを捜索していた敦彦は、道路に落ちていた黒いものを持ち上げた。
「何これ? 靴下? なんか重たい。靴下に何か入ってる」
敦彦は重さを確認するように、左の手のひらに得体の知れない靴下を乗せる。

「え? なにそれ? 落ちてるのを素手で拾わないでよ」
少し、いやかなり引いた表情を浮かべ、敦彦が手に持っている黒い物体を睨む潔癖な悦子。

「ちょっと中身見るだけだって」
敦彦は靴下の結び目を解くと、靴下をひっくり返した。中からジャラジャラと大量の小銭が落ちた。小銭は地面にアラレのように降っては跳ねる。

「ねえ、母さん! 大量に小銭が入ってるんだけど」
敦彦は興奮して幸子に声をかけた。
「え?何それ。なんか気持ち悪い」
悦子は散らばる小銭に、得体の知れない虫を初めて見るかのような視線を向ける。

敦彦は散らばった小銭の中から、大きなものを摘んで、じっと見つめた。
「この500円、見たことないんだけど。しかも、この元号何? 令和? だって」

知らない元号を耳にし、悦子は敦彦が持っている大きな小銭をみる。500円玉には違いないようだが普段目にしているものとはデザインが異なっていた。
「え。なにそれ。怖いわよ。偽造通貨? 犯人のなんじゃないの?」
「使えないって。意味の分からない元号の入った通貨なんて。おもちゃじゃない? あれ、ほら、コインチョコも入ってるし。しかも粉々になってる」
敦彦は指で小銭の山をかき分けると、小銭を一枚ずつ確認した。

「敦彦、そんなの捨てちゃってよ。そこの川でいいから。それより早く戻ろう。幸子が心配」
「はいはい」
敦彦は、悦子に向かって軽く返事をし、地面に散らばった小銭をかき集めた。集めた小銭を再び靴下に詰め、靴下を結ぶ。元野球部の大学生敦彦は肩を鳴らした。小銭の入った靴下を握ると、マンションの前に流れている川目掛けて、小銭の入った靴下を放り投げる。

幸子の自家製ブラックジャックは、時代を切り裂くように鋭く飛んでいった。ブラックジャックは、どぼんと水しぶきを上げながら川に落ちる。落ちた瞬間にぶくぶくと空気を吐き出しながら、ブラックジャックはいつの時代の川とも分からない川の底へと沈んでいった。

「それより、母さん。明日は幸子の好きなメニューにしてあげなよ。あとケーキも。いつもの店のチョコレートケーキね」
敦彦が悦子に駆け寄って横に並ぶ。
「わかってるって。お父さんにも相談して、明日からは時間がある人が幸子を迎えに行くようにしようね」
「もちろん。可愛い妹のタメだし」
悦子と敦彦は顔を見合わせて、お互いの意思を確認した。


川に投げられたコインの数。
1円1枚。5円1枚。10円6枚。50円6枚。100円20枚。500円10枚。

〆て221.75グラムと、一枚の粉々になったコインチョコレート。


🪙 2,983グラム_エピローグ


「幸子? 幸子」
悟の声がして幸子は目を覚ました。

「幸子? 大丈夫? こんなところに薄着で座り込んで。何かあった?」
心配そうに悟は幸子を見つめている。幸子はゆっくりと目を開き、悟の顔が目の前にあることをぼんやりと認識した。

「悟?」
瞳が悟を捉えた少し後で、幸子の脳は悟が目の前にいることを認識した。なんでこんなところに? という冷静な判断ができるほど、頭はまだ起きていない。
それよりも急に体が冷え、幸子は勢いよくくしゃみをした。
悟は着ていたコートを幸子にかける。

「なんでこんなところに?」
悟は心配そうに幸子の顔を覗き込んだ。

「悟こそ」
幸子が悟に視線を合わせて驚いたような表情を見せると、悟は安堵の表情を浮かべた。

「理恵ちゃんにやっと教えてもらったんだよ。理恵ちゃん、なかなか教えてくれなくって。私は幸子の見方だから!って。何度も電話してやっと理恵ちゃんのアパートにいるって教えてもらったんだよ。それで謝り行こうと思って」
悟は眉毛を下げた。

「でもなんでここに?」
理恵のアパートに行くのであれば、駅から反対方向になる。悟がここにいる理由にはならない。
幸子が不思議そうな顔をしていると、
「いや、幸子がこの近くのお店のケーキが好きだって言ってたから」
と、悟は少し照れくさそうに笑った。

悟の手には母が好きだったパティスリーの紙袋。幸子はふっと笑う。

「ほら、立てる?」
悟に支えられて幸子は立ち上がった。

ショルダーバッグが肩からずり落ちる。幸子は慌てて肩紐を肩にひっかけた。ショルダーバッグを整えると、鞄の正面にはナイフで刺された傷が入っていた。

夢じゃなかった。

幸子はショルダーバックを開け、中を確認した。鞄の中には当然新聞は入っていなかった。始めから何もなかったように誤配された新聞だけがなくなっている。そういえば、と幸子は右手を右ポケットに突っ込んだ。自家製ブラックジャックもなくなっていた。

夢じゃなかったけど、全ては夢みたいに残像だけを残して消えていた。

幸子はカバンからスマートフォンを取り出して、画面を確認する。

令和X年2月12日。

現代だ。間違いなく、今日に戻ってきた。
結局何もできなかったけれど、それでも何かをやったんだという、そんな気にはなった。

どこからともなく風が吹いた。2月の風は冷たい。幸子は思わず身震いをした。しかし、冷たい風が今はなんだか心地いい。

幸子は悟に支えられながら、理恵のアパートへ戻った。
二人は悟の買ってきたケーキを食べながら、お互いに離れていた間のことを話した。

悟は幸子が家出をした後のことを、一部始終教えてくれた。

まず佐藤佑美が退社したということだった。
佐藤佑美がキャバクラで働いている際に知り合った男性と関係を持ち、その奥さんが興信所を使い、勤務先を特定して乗り込んできた。
みんな驚愕していたが、佐藤佑美は全く驚きもしていなかったらしい。
上司から色々と質問攻めにあった佐藤佑美は、副業や不倫を悪びれる様子もなく「じゃあ辞めます」とあっさりと辞めてしまった。

辞める時に悟は佐藤佑美に詰め寄り、写真を消すように懇願した。
「ああ、あれですね。消しますよ」と佐藤佑美は目の前であっさりと写真を消して「臼井さんもLINEとか消しといてくださいね。奥さんに訴えられてもめんどくさいんで。それに臼井さんマグロだし。全然気持ちよくなんかなかったですから。つまんないセックスして、奥さんもかわいそうですね」と言い捨てて去っていったとか。

噂では乗り込んできた奥さんに訴えられて、多額の慰謝料を請求されているらしい。
悟は浮気したことには違いないからと、幸子に何度も謝った。

幸子はあまりに不思議な出来事すぎて信じられないかもしれないけど……、と前置きをして、この一週間のことを話した。

悟はとても驚いていたけれど「信じるよ」と言ってくれた。

気がつけば終電も終わっていて、二人は薄っぺらい布団を二人で分け合って眠ることにした。
いつの間にか、薄い布団の中で二人の体温が混じり合う。



カタン、と音がした。
新聞受けに新聞が落ちる音。

「あ、新聞止め忘れてた」
幸子は悟の腕の中で、小さく独りごちた。

幸子は悟を起こさないようにこっそりと布団から抜け出すと、掛け布団の上から逃亡し、畳の上に転がっている毛布を手に取った。肩から毛布をかけ素肌に巻きつける。

そろそろと玄関まで行き、ゆっくりと新聞受けから新聞を取り出した。

「また、誤配?」
幸子は呆れるように笑う。

日付は令和X年11月18日。未来の日付。

幸子は天井を見上げる。
「迷わずに、進むね」


天井のシミが笑ったような気がした。




おしまい





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