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シェアサイクルと切なさと心強さを

曇天。

空を見上げると、そこにはあまりに重たい雲が立ち込めていた。暗雲といってもいいのではないかと言うほどの、厚い雲。雲に遮られた地上の熱は放熱する場所がないのか、どんよりと体を包み込む。逃げ場のなくなった身体中の水分は、じわじわと皮膚から滲み始めていた。

私はスマートフォンをポケットから取り出すと、ぱしゃりと立ち込める暗雲を写真に収める。まるで私のケツのような重さの雲だな、と思った。

重たい雲を見て、重たいケツを思い出す。
それはいつも私の背後にあり、私は直接、自分のケツの全貌を直に見ることはない。首を捻っても上半身を捻っても、私は一生、この身近なケツの全体像を自分の目に焼き付けることはないのだろう。鏡で左右が反転したケツしか見ることができないに違いない。横にはみ出たケツ肉を眺めながら、私はそんなこと考えた。

先日のことだ。

私は日々、マイママチャリで自転車通勤をしているのだが、その日は愛車に乗って出勤することができなかった。仕事帰りに飲み会に参加する予定があったからだ。飲酒した上で自転車に乗ると飲酒運転になってしまう。私はその日、マイママチャリを家に残し、シェアサイクルで職場まで出向くことにした。

便利な世の中になったなぁと思う。

私はレンタルしたシェアサイクルにまたがり、自転車を漕いだ。レンタルした自転車はやたらとサドルが高かったので、乗る前に身長165cm用の高さに合わせる。漕ぐ。漕ぐ。漕ぐ。

するとおかしなことが起きたのだ。

下がる。下がる。下がる。
シェアサイクルのサドルが、徐々に下がってゆくではないか。がすんとサドルが一番下まで下がり、私は子ども用の自転車に乗っているような気分で自転車を漕いだ。赤信号で自転車を止め、再びサドルを165cm用の高さに合わせる。今度は下がらないように、しっかりと固定する。

すると、おかしなことが起こるのだ。

下がる。下がる。がすん。ドッスン。
くそー。なんだよこのサドル! 私は再び自転車を降りて、サドルを165cm用の位置で固定した。「今度は下がらないようにな、しっかり私のケツを支えてくれよな」とサドルに声をかけてまたがった。

しかしだ、どうしようもないのだ。
また下がる。がすん。ドッスン。

私は諦めた。もうこのサドルには私のこの重たいケツを支えるだけの力はないのだ。このサドルが悪いのか、はたまた私の重すぎるケツが悪いのか。それは私には知る由もない。

私は切ない思いを胸に自転車を漕ぎ続けた。
そして、心を強く持とうと思った。


今日も空には暗雲が立ち込めている。






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