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日記には、気づきがある。

誰かの日記を読むのが、好きだ。

私の日常ではない日常が、そこにある。
私じゃない人の、いつもの日常。もしかしたら、どこかですれ違ったことがある人のものかもしれないし、レジで一言二言、言葉を交わした相手のものかもしれない。酒を飲み交わしたことのある知人の日常かもしれないし、どこかの有名人の特別でない1日の出来事かもしれない。

私の日常とは違うから、どこか不思議な感じがする。
いわゆるロードムービーのような、現実なはずなのに、非現実のような。

「こんなことがあったよ」と会話を交わすのと、日記は少し違うように感じている。ありふれた日常の中をどう切り取るか。その人がどこに着目したのか。そして、どう感じたのか。それが顕著に現れるのが日記ではないだろうか。

会話では語り尽くせない、その人の感情や思考、価値観。
それが、日記には現れているように感じている。

日記の瞬間というサイトで、日記を書かせていただいた。

「日記の瞬間」が蓄積されることで、私たちの生活は繊細な「気づき」に満ち溢れていくはずです。

日記の瞬間

日記には「気づき」がある。

なるほど、と思った。そんな視線で見たことはなかったけど、確かにとも思った。生活は、人生は、自分の目線や価値観で進んでいく。私の場合、自分を肯定するために、自分の価値観を正しいと思ってしまう傾向がある。だから誰かとぶつかった時に、自分の方が正しいはずだと信じてしまっていることが多い。

けれど、日記を読んでいて気づく。

いろんな考えがあるのだなぁと。
いろんな人がいるのだなぁと。

人と相容れない時や、家族や友人と過ごす時、ふと、誰かの日記を思い出すことがある。

あの人はここで悲しんでいたなぁとか、こういうことで喜んでいた人もいたなぁとか。

もしかすると目の前の人が、あの日記を書いていた誰かもしれない。そうでなくても、日記を書いていた誰かの思考に近いかもしれない。


そう考えてみると、少しだけ誰かの日常に寄り添えるかもしれない。そんな気がした。




同じ日に、日記の瞬間用とnote用に日記を二つ書きました。

夕方までと、夕方以降に分けています。
セットで読んでいただけると、嬉しいです。

↓ 夕方まで

↓ 夕方以降





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