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雲を編む

近所に「わたあめ屋さん」ができた。
名前もそのまんまの「わたあめ屋さん」。

私は別にわたあめに興味はないから、行こうとも思わなかったけど、中学校の同級生のみんなは、最近そのわたあめ屋さんの話をよくしている。

「何色食べた?」
「ピンク色がやばかった」
「幸せに味があるとすれば、多分ほんのりオレンジ色だと思う」

なんて詩的なことを言い出す子まで出る始末。

「サナ、まだ行ってないの? まじで絶対行ったほうがいいから」
「あのお店、神だから」
「こないだ誘った時に、一緒にこればよかったのに」

みんながみんな、私のことを煽ってくる。天邪鬼な私は、そう言われると余計に行きたくなくなった。

だから本当は絶対に行きたくなかったけど、「お姉ちゃん、ぼくわたあめ屋さん行きたい」と歳の離れた弟のユウタに上目遣いで頼まれてしまっては、さすがの私もノーとは言えない。

「サナが連れてってくれるの? 助かるわ〜。お母さん平日は仕事で連れて行けないし、土日はめちゃくちゃ行列になるらしいじゃない。どうしようかなって思ってたのよ。いつユウタをわたあめ屋さんに連れて行ってあげようかって。お金渡しておくから、サナ、よろしくね」
お母さんは千円札を二枚、テーブルに置くと、さっさと仕事へ行ってしまった。

その日の午後四時、小学校へユウタを迎えにいく。小学校というより、校庭に併設された放課後児童クラブへだけど。

私とユウタは一旦家に帰ると、ユウタはランドセルを置いて、私は制服を私服に着替えた。お母さんがテーブルに置いて行った二千円を私の財布に入れて、私たちはわたあめ屋へと歩いて行った。

歩いて15分くらいの住宅街の中に、わたあめ屋さんがあった。

一見、そこがわたあめ屋さんとは誰も気づかないだろう普通の家。緑がいっぱいのこじんまりとした庭の奥に、おとぎ話に出てくるようなような小さい家があった。

庭の一番手前の大きな木に、お手製と思われるわたあめの形を模した看板が出ていて、私たちはそこがわたあめ屋さんだと気づく。

私は少しだけ躊躇した。
なんとなく。
可愛いけれど、なんだか不思議な雰囲気がしたから。

「お姉ちゃん! ここだよね」
興奮したユウタに手を引かれ、私たちは「わたあめ屋さん」の庭に足を踏み入れた。

おとぎ話に出てくるような小さな家には煙突があった。煙突からはもくもくと煙が上がっている。玄関ドアの横の出窓が開いていて、そこにいろんな色のわたあめの絵が描かれたメニュー表が置いてあった。

ユウタが看板をじっと見つめる。

スカイブルー、群青色、スペアミント、桜色、アイリス、茜色、乳白色……。
メニューの名前は全て色の名前で、不親切にも味は書いていなかった。

「ぼく、この水色のやつがいい」
ユウタが指差したメニューを私は確認する。
「スカイブルー?」
私が聞くと、ユウタは嬉しそうに首を縦に動かした。

窓の中から女の人が顔を出した。くるくるの赤茶色の髪の毛を、前髪から全部引っ詰めている。頭のてっぺんで髪の毛がほわほわと揺れていて、わたあめみたいだと私は思う。

「おっと、お客さん?」
「あ、はい」と私は返事をする。
「注文は?」と聞かれて、
「スカイブルー」と答えた。

「お姉ちゃんは?」とユウタが聞くので、
私は反射的に、目に入った「スペアミント」と答える。

「いっこ、五百円ね。二つで千円」
そう言われて、私は財布から千円札を一枚取り出すと、店員さんに千円札を手渡した。

「ちょっと待っててね」
店員さんはレジにお金を入れて、窓の奥へと消えていく。

「お姉ちゃん、ぼく、わたあめ作ってるとこみたい」
ユウタがここでも上目遣いでおねだりをしてくる。まあ、まだ小さいんだから上目遣いになるのは当たり前なんだけど、私はユウタのおねだりに弱い。八歳も歳が離れてるから、かわいくて仕方がない。

私はユウタを抱き上げて、窓の中を一緒になって覗いた。
キッチンでさっきの店員さんがぐらぐらと煮える大鍋を見つめているのが見えた。

鍋? と私は思う。
だって、わたあめって言ったら、ざらめとかいう砂糖を真ん中の穴に入れて、そしたらそこから飴がわたみたいになって出てくるのを割り箸で絡めとるんだと思ってた。部屋の中をぐるりと覗いてみても、そんな機械はどこにもない。

「ねえ、お姉ちゃん、わたあめってどうやって作るのかな?」
ユウタの質問に私は思わず「どうやって作るんだろうね」と返す。

店員さんはテーブルに置いてあったガラスの容器を一瞥した。その容器には半透明のキラキラした宝石のような石がたくさん入っている。

私は思わず「うわぁ、キレイ」とため息を吐いた。
ユウタも「キレイな石だね!」と興奮を隠せない様子だ。

店員さんはガラスでできた蓋を開けると、その中から春の青空みたいな色をした石を一つ、つまんだ。
そして、グラグラと煮えている大鍋に石をポトンと落とす。

その瞬間、大鍋からブワッと湯気が立った。

湯気というよりかは、雲。もくもくっと部屋中が濃い霧で包まれた。淡い淡いスカイブルーの霧。

私は霧の向こうで微かに動く店員さんを目で追った。

店員さんはテーブルに置かれていたキラキラと光るレインボーカラーのスティックを一本、右手で握った。そして、その瞬間、スティックの先を天井に向けると、まるで魔法でもかけるかのように、ぐるりと天井に向かって円を描く。

霧はスティックに吸い込まれるように、一点に集まった。部屋一体を包んでいた霧はあっという間にスティックを包み込む小さな雲になる。

私とユウタはまるでマジックショーを観た後の反応みたいに、わっと声を上げた。店員さんは笑顔でスタスタと窓までやってくると、ユウタにスカイブルーのわたあめを手渡した。

「はい。スカイブルーね」

ユウタはそれを受け取ると「ありがとう!」と満面の笑みを浮かべた。ユウタはソワソワしている様子で、食べるか食べまいかを迷っている。眉毛をハの字にして私を見つめている。

私はユウタのその様子を確認すると、「先に食べていいよ」と微笑んだ。

「いい? ほんとに?」
ユウタは破顔して、すっと息を吸い込むと、大口を開けてパクリとわたあめに食らいついた。

「うっわ〜! なにこれ! めっちゃおいしいよ! お姉ちゃん!」
ユウタが私を見る目がキラキラと輝いている。その間にも、店員さんは再び宝石のような石を手にとり、大鍋に入れた。

今度は私のスペアミントだ。
黄緑色の霧が部屋中に広がり、店員さんはさっきと同じようにレインボーカラーのスティックに霧を集めて、スペアミント色をした雲みたいなわたあめを作り上げた。

そして私に「おまたせ〜」とスペアミント色をしたわたあめを手渡した。

私はガブリとかぶりつく。
少しひんやりした雲のようなわたあめは、ジュワッと口の中で溶けていった。あっという間に消えてなくなると、爽やかなミントの余韻だけを口の中に残していく。

私は次に指でわたあめを千切ってみた。ふわっとした実体のないようなわたあめ。指先がふんわりと掴みどころのない雲を掴んでいるような不思議な感覚。指の腹が冷たさを感じ、そこにわたあめがあることを実感させてくれる。

一口大のわたあめを口に運んだ。

柔らかい甘み。じわっと滲む唾液と絡み、口の中の粘膜をミントがパチパチと刺激するような気がした。ちょっと反抗的なわたあめだな、と私はふふっと笑う。わたあめは楽しげに口の中で消えていき、鼻を爽やかな空気が抜けた。

「美味しい」

「そう? よかった」
店員さんはカウンターに肘をついたまま、私とユウタを見ていた。
「庭のベンチに座って食べていいから」
店員さんはそう言うと、くいっと顎をあげて私越しにベンチを見た。私は振り返ってベンチを確認し、ユウタに「座ってたべようか」と声をかけた。

私とユウタは、二人並んでわたあめを交換しながら食べた。

ユウタの選んだスカイブルーは爽やかなソーダみたいな味がした。スペアミントはパチパチした感じがしたけど、スカイブルーはシュワシュワした感じ。夏の日の市民プール帰りに飲むラムネみたいな。

私はあっという間に不思議なわたあめを平らげた。
残ったスティックを窓の近くにあるゴミ箱に捨てるために立ち上がる。ユウタのわたあめはまだ少し残っていた。

「お姉ちゃん、先に捨てとくね。ユウタは全部食べてから、捨てなよ」
私がそう声をかけると、ユウタは「うん」と頷きながら、顔をベタベタにして夢中で食べ続けた。

私はスティックをゴミ箱に捨てると、店員さんに声をかけた。どうしても、わたあめの作り方が気になって仕方なかったのだ。

「おいしかったです! ありがとうございました! こんなに美味しいわたあめを食べたのは初めてです。でも、普通のわたあめの作り方とは違うみたいでびっくりしました。まるで魔法みたいで」

店員さんはふふっと笑う。
「魔法ね。確かに魔法かも」

「あの石ってなんなんですか? 宝石みたいにキラキラしてるやつ」
私はガラス瓶に入った宝石を指差した。

店員さんは振り返り、ガラス瓶を一瞥する。
「熱心に聞いてくれるね。みんな、作り方なんか気にしないのに。特別に君に教えてあげるよ。今日は他にお客さんもいないから」

店員さんはにっこりと微笑んだ。

宝石は雲のカケラだと店員さんは言った。
雲は水蒸気でできてるけど、実はその中に、人の感情がいっぱい詰まっている。悲しくてこぼした涙の粒や、頑張った時の汗。あまりに幸せすぎて吐き出したため息に、怖くてじんわりと滲んだ冷や汗。楽しくて飛び出した笑い声に、びっくりして驚いた飛び出た大声。

「いろんなものが空気中を浮遊して、水蒸気と一緒に雲になるんだよ。科学者たちはそんなことは言わないけど、知ってる人は知ってるよ。私はそれを集めて石に加工する人から石を買って、わたあめにしてるんだ。石にする技術は難しくてね。いわゆる錬金術に近いかもしれない。私には到底できないから買うしかないんだけど。私は大鍋でその石を煮て、再び雲にしてから、わたあめに編み直してるんだ」

「意味がわからない……」
私がそうこぼすと、店員さんは笑った。

「まあ、そうだろうね。世の中には知らないことも信じられないこともいっぱいあるから。でも、普通のわたあめとは違うだろ? 甘いだけじゃない、不思議なおいしさがある。いろんな感情をギュッと凝縮して、そして、それをまたふわっと軽くしてるからね。色んな感情も詰まってる。思わず心が動くような、何かを思い出すような。大人の方が色んなことを思い出すみたいだけどね。でも、心を動かしたいからって、あの石をそのまま舐めると大変なことになる。あれは不味くて食えやしない。人の感情ってもんは、濃すぎると重たすぎるから。わたあめくらいが丁度いいんだ」

あまりに不思議な説明に私がキョトンとしていると、ユウタが私の服の裾を引っ張った。
「なんの話してるの? 帰ろうよ」

店員さんは、ユウタの方に向き直る。
「ぼく、今日はありがとうね! また食べに来てね!」
「もちろん! めちゃくちゃおいしかったから、またくるね!」
ユウタは元気よく返事をし、右手で私の手を引っ張りながら、左手でぶんぶんと手を振った。

「お姉ちゃんも、ありがとね!」
店員さんはひらひらと私たちに向かって手を振る。
私も手を振りながら、「ごちそうさまでした」と手を振ってわたあめ屋さんを後にした。


☁️

「どうだった? おいしかった?」
夕飯を食べながら、お母さんが私とユウタに尋ねた。
私たちは笑顔で「めちゃくちゃおいしかった!」と答える。

「へ〜。そんなに美味しいんだ。今度は、お母さんも行きたいな〜。お父さんは甘いもの好きじゃないから、食べないだろうし。今度は三人で行こっか」
お母さんの提案に私は首を横に振った。

「あのわたあめは、甘いとか甘くないとかじゃないんだよ。だから、絶対食べた方がいい!」

お母さんはクスッと笑う。

「あんなに興味ないって言ってたのにね〜。そんなに美味しかったなら、今度はお休みの日にみんなで並ぼうか。朝イチだったら、並ばなくてもいけるかな?」

「やったー! 今度はみんなでわたあめだ!」
ユウタが両手をあげて喜んだ。
私もふふっと笑う。

私だけが知ってるわたあめの秘密。
今度は何色のわたあめを食べようかな。


空には今日も、雲がふわふわと浮かんでいる。




おしまい




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