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<ワシ>かくこと

3年日記というのを、かれこれ6年ほどつけている。2017年、2018年、2019年の7/5が1ページで見れるというもので、去年の今ごろ何してたかなーって見返せる便利日記。

中学生の頃から日記をつけている。いつか読み返したら面白いだろうなと思ってはじめたけども、やっぱり面白い。あの時こう考えてたのかとか1年前と今とで、言うてることとやってることがちゃいますねぇ、とか。これを書いておくことで自分が実験的に1年過ごしてきたかをうかがい知れるのだ。

誰がこんなボケをしていた、こういうノリが生まれた、とかを細かにセーブしておけば、つぎ会った時にあの日のノリというかグルーヴをロードできる。そういうネタ帳てき使い方もできるのが日記。

日記は、読みものとしての面白さと、面白いことを生み出すための手がかりを記録する、という機能を有している。書き記すことで記憶を定着させ且つ頭を整理できるのだ。

というのが一般的な日記。で、あたしの日記の真骨頂は、「オ」という謎の記号にある。そう、あたしはここ14年ほど手淫回数をメモしているのだ。あたしの日記はいわば御手淫帳なのだ。うまい。

この記号から1日に何回の手淫をしたかが一目瞭然。もちろん1年に何回したかもわかるってもんだ。プロ野球選手がシーズン後半にかけて本塁打王などタイトルを意識するように、あたしも10月頃には日記を読み返して365回を目指すまでの戦略を立てるものだ。さらに「オ」の隣に書かれた「ロ」や「熟」といった文字は、なにをオカズにしたかを教えてくれる。これどうなのかな。手淫回数をメモしている人がいたとしても、オカズをメモしている人はそんなにいないんじゃないかな。

でも肝心なのはここで、精神的に弱っているときは「熟」多いなとか、「オ」「JD」「オ」「五十」って言うさながらバックトゥザフューチャーみたいな一日もあったりで。純然たる素のあたしを把握することができるのだ。他者を意識せずに書き殴れるメディア=日記だとしても、言葉を介して一日を抽出する時点でどうしてもええ格好してしまうのが人間の性だ。本当の疲労や、本当の精神状態をはかることはできない。

しかし手淫回数と、オカズのレパートリーを見れば、自分が見えてくる。今日は疲れたと書いてあっても、3回もしてるじゃないかとか。「SM」選んでる時点でわりと元気そうやん、とか。そうして分析していくことで一つ、見えてくることがある。あれ、ひょっとしてこうなんじゃないかって。そう。

あたしはろくな大人になれないだろう、と。

冗談はさておき継続は力だ。日記であっても恒常的にペンを動かすということは作家にとっての筋トレである。変な話、面白い日記を書くために外へ飛び出していくフシもある。失敗したり恥をかいても、それら日記の肥やしでしかない。そう思うと、あたしの人生の主体は日記なのかもしれない。日記を書くことで生かされている。日記を書くことで自分が何者かを規定している。なにごとも、かきつづけるのが大事なのだ。

こんな感じでこのnoteは、他の媒体で書きそうなエッセイの練習として使おうと思う。

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