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「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」 私の碑文研究を紹介!

私の研究の分析対象テクストは、英文学者であり、広島大学教授であった雑賀忠義(さいかただよし)により揮毫された広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」です。
 
本研究目的は、「広島平和都市記念碑の碑文における意味解釈の曖昧性」を「言語学的な観点」で解明し、碑文に対するより良い解釈を見つけることです。
 
では、この研究に至った経緯をお話しします。それは、G7広島サミットの開催を控え、今年の3月19日に開かれた「被爆者と若い世代の集い」へ参加した時のことです。広島市内で生まれ育った被爆3世である私は、幼少期から目にしてきた「過ちは繰返しませぬから」という碑文の解釈が、現在もなお議論されていることに驚くと同時に、
「G7各国首脳による原爆犠牲者慰霊碑の追悼の際、碑文に込められた想いや背景を説明して欲しい」。そんな強い思いを、被爆者の方から直接伺ったのです。日本政府は碑文に対する見解や解釈を明確に述べておらず、この要因の1つに「広島平和都市記念碑の碑文における意味解釈の曖昧性」があると考えました。よって、これを明らかにすることを研究の目的としました。
それでは、碑文の3つの分析ポイントと、その研究手法をご説明します。
 
1つ目の分析ポイントは、碑文における用語の選択及び使用です。作者が「過ち」という語彙の使用に至った経緯やその主格・また言葉に内包された思いを分析考察します。初めに、語源や漢字の由来調査を行うことで、同訓異議である「誤ち」の意味との比較を行います。こうして、本碑文に使われている「過ち」という言葉に対する理解を深めます。
次に、「過ち」の主格に対する製作者間での解釈の違いを、文献で調査します。広島市立図書館所蔵の『日本原爆論大系』や『原爆市長』には目を通したところ、広島市長と碑文を考案/揮毫した雑賀教授本人の間で、過ちの「主格」に対する解釈が異なっていた、とする記述を見つけました。浜井市長は「碑の前にぬかずくすべての人びとが、人類の一員として、過失の責任の一端をにない、犠牲者に詫 わびる」としており、過ちの主格は「人類」であるとしています。ところが、雑賀教授は「二十世紀文明(人類)が犯した原爆を、広島市民が繰り返さぬと犠牲者に誓うもの」過去の恨み うらみ を超えて未来の平和創造を目指すことに主眼を置く」としていることから、過ちの主格は広島市民にあたるとしています。
さらに、米国の大学関係者からの意見を踏まえて行われた「過ち」の英訳の過程を分析することも検討しています。その際、プログレッシブ英和中辞典(第5版)といった英和辞典等も活用し、「fault」から「evil」への改稿がなされた経緯やそこに含有された意味を調査していく予定です。
2つ目の分析ポイントは、ビジュアル的要素です。これは、横書きかつ平仮名混じりの文体で書かれたテクストには、作者の意図が大いに反映されていると考えるためです。雑賀教授は本碑文作成にあたり、「横書き、平仮名混じりの書体は雑賀の日頃のものでなく、新しい時代や市民感情を表すように努めた」としています。そのため、どの程度、本碑文の書体や文字の書き方に特徴があるのか明らかにするため、雑賀氏の作品体系を把握し、比較分析する必要があると考えます。こうすることで、本碑文の構図の特徴を、より客観的できるでしょう。
 
3つ目の分析ポイントは、レトリックのもたらす表現効果の分析です。碑文では、倒置法が使用されています。日本原爆論大系において、雑賀教授は原爆の投下に至った一連の出来事を「二度と繰返してはならないというのはたれしもに共通した思いだ。」としつつも、「ノーモアヒロシマといった直接的な表現は避けたい。個々の憎しみや悲しみから飛躍したものでありたかった」としています。
よって語順の工夫など、本碑文に取り入れられたレトリックからも、碑文の解釈を考える上での深い考察ができると考えます。
 
4つ目のステップは、碑文の表現をめぐる論争の変遷の文献調査です。インドの法学者パル判事による批判を発端とした碑文の表現をめぐる論争を把握することで、様々な碑文の解釈に触れます。
 
最後に、まとめと今後の展望です。国際情勢が複雑化する中、戦後を生きた被爆者や先人たちの叡智の結晶である本碑文のより良い解釈を見つけ、それらを他言語で世界へ発信していきたいと思います。以下が参考引用文献です!

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