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私が留学をした本当の理由



大学二年の冬、寂しい一人暮らしの自分の部屋で、仰向けになると見える何もない天井が、全く知らない国の見たことないような美しい景色になったらどんなに良いだろうと思った。


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真面目、というのはよくも悪くもつまらないもので、それでいてふと気付いた時には気持ちが深い深い闇にハマって抜け出せなくなったりする。留学前の私が、まさにそれだった。


留学前の私の人生には転機というものがなかった。だから生まれてこの方ぼーっと流れるように生きていたし、なんとなく好きなことをして生きていけたらなあとか、自分の歩んできた道を積み重ねるようにして将来をぽやっとイメージしてみたり、してみなかったりしていた。

高校三年生で、それなりに大変だった大学受験を終え絵を描くことが好きだった私はデザインの勉強がしたくて大学に入学した。
自分のデザインが商品になったり、人前に出て行ったら、人々に愛されたらかっこいいと思った。
だから大学で本格的にデザインや美術の勉強ができることが嬉しかった。頑張ろうと思った。

中高と勉強は割と真面目にやっていた。努力は苦手な方ではなかった。だから、大学に入っても
課題や授業は割と真面目に受け、特に実習(実技)の授業には力を入れていた。


デザイン系の授業というと想像できない人もいると思う。
私の大学の場合は実習の授業はポスターを考えたり、絵の具を使ったりして出されたお題で作品を作る。というものが多かった。期間を与えられて、自分なりに考えてできるだけ良いもの(作品)を作る。
こう聞くと、簡単で楽しそうだなあという人もいるかもしれないが、
私にとってそれは、経験してみると正直常に本当に辛いもので、たまに楽しいことや先生や友人に褒めてもらえることももちろんあるのだけれど、  その”たまに”のために友達と遊ぶ時間や自分の自由時間を人一倍削り、
辛い徹夜を繰り返しながらそのこと(作品のこと)だけを考えて、ただ生きる。というそれだけの時間だった。毎回の課題が出る時間が憂鬱で、評価の時間はもっと憂鬱だった。

評価の時間では、文字どうり作品に評価がつくのだが、美術の作品の評価というものがこれまた面倒で
ただ「なんとなく好きだな」という意見から「これはこういう理由で、こういう意図を感じる。だから素晴らしい」などとという意見もあって人によっても全く評価が違うので、絶対的なものがない。
毎回何ともいろいろな意見をもらうのだが、正直それは結構面白かった。 けれど、辛かった。

芸術の世界では当たり前のことだけれど、
自分では良いと思っても全く評価してもらえないこともよくあった。



大学2年次後半までの自分はとてもよくその「評価」について考えていたし、意見を聞いていたし、評価をもらうごとに「次はこうしよう」などと自分なりに一生懸命考えていた。
良い作品を作るため、とにかく一生懸命だった。(より没頭するために大好きだったサークルもやめた)

だから、毎回の課題ごとに必死で頑張っていたけれど、その分酷評をもらった時や自分の意図をうまく表現できなかったことも多くあり、そういった時は心底悲しかった。

周りにも同じように努力している友人や仲間が多かった。だからそんな「辛さ」がいつか何かを掴むチャンスになるんじゃないか、とか
希望通りの将来につながるだろうとか、そんな根拠ないぼやっとした希望を抱いて、それだけで努力していた。


でも頑張れば頑張るほど、私の気持ちはどんどん深く、暗い方へと向かっていった。私の語彙力ではこうとしか表現しきれないけれど、本当に自分の性格がどんどん暗い方へ歪んでいくのがよく分かった。特に2年生の時はずっとそうだった。

そうなっている理由はなんとなく分かっていた。
自分が大好きなはずのデザインや美術を制作することが「楽しい」と思えていないからだ。
デザインすることも、作品を作ることも、大好きなはずなのに。どうしてこんなに辛いんだろう。
どうして頑張りたくないんだろう。こんなことよりも、部屋でゲームをしていたいし、アイドルを見ていたいし、寝ていたい。しんどい。

わずかな時間で稼げたバイト代も、作品作りでほとんど消えてしまう。
作品を作っていなければ、この道を選んでいなければ、そのバイト代で遊べたんじゃないの?
そう思っていること自体がますます私を辛くさせた。辛くて涙が出るというよりはどちらかというと絶望に近かった。
こうやって行きていかなければいけないのか、という絶望。

周りの普通の大学生が「時間はあるけどお金はない!」と言っているのに、私には時間もないし、お金もないじゃんか。
よくそんなことを考えていた。


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そうこうしているうちに大学3年になった。
3年になると周りもいい加減将来を考え始める。
卒業後こういうことをしたいな、○△て会社ちょっといいなと思ってる、自分が「何をしたいか」だよねえ。
とかそんな感じ。
私も自分が何をしたいか考えてみた。
けれど、具体的には何も思いつかなかった。

何も思いつかないのは変だ。だって今まで努力してきたことは「やりたいこと」につなげるためのことなんじゃないの?
なかなか特殊な分野を一生懸命やってきたのは、それを将来やりたいからじゃないのか。

そのときやっと、私が今までしてきたことは決して無駄ではないけど、自分の本気でしたいこととは少し違うかもしれないということに気づいた。
だって、私はずっと言われたものを作り続けて、それをよくも悪くも評価され続けて、そんなことは少なくともしたくない。
自分だけの作品を見つめて、生活を投げ打ってまで制作をするみたいな、
そうやって生きて行きたくはない。
もちろんそれが楽しい人もたくさんいる。でも私はそうじゃない。

私は絵を描くことは好きだ。デザインをすることも、見ることも好きだ。でも、より良いものを、より評価されるものをと自分と戦いながらただひたすら作っていくことはできない。
 
それよりも、好きなものを見たり、勉強したり、考えたり、それを自分で好きな形で吸収して人に伝える方がずっと好きなんだ。
しかも時々は利益とは関係なく、休みをもらって旅行に行ったりして美味しいものを食べる時間が欲しいんだ。
言葉にするとあんまり違いがわかりにくいけれど、簡単にいうと、やりたくないことを無理してやる(仕事にする)ことは私にはできないということだ。

私は昔から周りと自分を比べる悪い癖もあり、頭では「私は私でいい」と思っていても、自分よりも能力や才能に溢れている人を見ると自己嫌悪とやるせない気持ちでいっぱいになってしまうことがよくあった。そして、頑張っている自分に対しても、他人を羨む自分に対しても何もかも全てが嫌になってしまう。そのことを他人に話すのも恥ずかしいし億劫だ。

そういう気持ちになるのが嫌だから、自分を他人と比べてしまうから、できる限り自分の好きな自分でいたいと今まで見えない目標に向かって無理に努力していたんだと思う。
でもその努力はただの自分に対しての「すがりつき」でしかない。
本当にそれがやりたいから、なりたい目標があるからやっていた努力ではないんだ。
どうしてそれに気づかなかったんだろう。

こんな大切なことに気づくのに3年もかかってしまった。でも、今気づいたからまだセーフかもしれない。
じゃあ、私はどうしたらいい?


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しばらく考えてみて思い浮かんだのは

とりあえず「今」私がやりたいことから、挑戦してみようかなあ。    ということだった。


そして思い浮かべたのは、
今まで行ったことのない場所に行ったり、普通の人はなかなか経験できないことをすることだった。
すごく単純だけれど知らない世界に出て、たくさんの美術品や、世界遺産や、文化や人を自分で見てみたいと思った。

そんなことをして何になる、将来どうするつもり?とは両親は言わなかった。
「自分の人生好きなことをすればいい」と言ってくれた。


世の中に、自分のしたいことを100%できていると言える人はどれくらいいるんだろう。

私は自分のやりたいことを、周りに何を言われてもどんどん挑戦していける人になりたい。
そのために、まずは自分の「今」やりたいことを実現することからはじめてみよう。

今からでも間に合うかな。でもきっと今がチャンスだ。今、動かなくちゃ。そう思った。


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こうしたことが経緯となって、いろんな方に協力していただきながら、なんとか恐ろしく短期間での留学準備を終え、無事留学することができました。
留学は準備中も、留学中も本当にたくさんのことがあって1つ1つを鮮明に覚えています。
それについては後日また書こうと思っています。これを読んで何か皆さんに役立つことがあれば良いな、と思います。


はじめて書いてみたけど、読んでくれてありがとうございました〜!


さり

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