ただ待つこと、ただ聞くこと
傾聴の大切さを説く本がいくつもある。
半信半疑だった私は、ある日それが人の心を見事に溶かす瞬間を目にして、とても感動した。
―――
昔通っていたドイツ語のクラスは、先生と、生徒二人の計三人。とても小さなクラスだった。
先生のシレーヌは近くの大学生で、笑顔が素敵なひとだった。クラスメイトのオリビアは、ポルトガルから来ていて、授業中に困ると「Hilfe~(助けて~)」とこっちをつついてくれた。
シレーヌは近所のおすすめのパン屋のパンを買ってきてくれたり、マフィンを焼いて来てくれたりした。
私が授業に日本の本を持っていったら、ふたりとも縦書きに興味深々で、オリビアに至っては持ち帰って家族に回覧していた。
オリビアと私の誕生日がたまたま一日違いだったのが分かった時は、驚いて、二人でおそろいの緑のケーキを食べた。
こんな風に楽しいクラスだったけれど、実は最初からうまく行っていたわけではなかった。
―――
初めの頃、オリビアは授業の途中にとても不機嫌になることがあった。怒ったように途中で返ってしまうのだ。授業にわからないところがあるようだが、先生が「どこがわからないか教えてほしい」と言っても「もういい!」とはねつけて帰ってしまう。
毎回シレーヌは困ったような顔で彼女を見送っていた。私も、淡々と続きの授業を受けることしかできなかった。何が彼女の地雷になるかわからなかったので、翌朝会ってもそのことには触れなかった。
正直私には、突然キレて帰るオリビアは理解不能な人に見えた。授業が分からないつらさは確かに大変だと思ったけれど、毎回彼女の不機嫌に対応しなければならないシレーヌにも同情した。シレーヌの授業は分かりやすかったし、オリビアが怒ったときには毎回丁寧に、どこがわからないのか尋ねていたのに。傍目には、オリビアがそれに応えないばかりか、単に難癖をつけて怒っているようにも見えた。
この頃クラスの中には、それぞれの間に一枚膜を挟んだみたいな距離感があった。誰もが距離を測りかねていて、少なくとも友達になる雰囲気ではなかった。
―――
しばらくそんな日が続いた頃だった。この日も、オリビアは開始30分ぐらいで不機嫌になった。それからシレーヌの授業は全然わからないと怒った。
またいつものか。私は思った。
だけどこの日はちょっと違った。
オリビアがとうとう泣き出してしまったのだ。
私はびっくりした。毎回先生を責めた挙げ句にとうとう泣くなんて。気持ちは分からないでもないが、どうしようもない。
シレーヌはどうするのだろう。先生となると放ってもおけないだろう。
私はこっそりトイレに行くふりをして、椅子を立ちながらシレーヌの様子を横目で見た。
そして、それはそれは驚いた。
シレーヌは全く厄介そうな顔をせず、ただオリビアのそばにいくと、そっとしゃがんで目線を合わせたから。それからオリビアに優しく微笑んで、彼女の話を促した。
私はそのままトイレの方向に向かいながら、内心すっかり感動していた。
シレーヌの心の姿勢は完璧だった。行為そのものというより、シレーヌがまっすぐに本心からただ彼女を尊重して聞こうとしているのが伝わってきた。今回だけじゃなく、これまでも、彼女は困惑こそすれ、オリビアに向き合っていた。深追いしすぎず、だけど拒絶もせず。
だから、オリビアは話をすることにしたのだろう。
―――
それからあと、オリビアはすっかりクラスに心を開いてくれた。怒ることも泣くこともなくなって、代わりに自分の話をしてくれるようになった。クラスで怒ってしまったのは、移住したての日常生活で、色々大変だったからというのもあったらしい。昼休みにはお菓子を色々くれるようになって、おかげで私は初めてパステル・デ・ナタ(ポルトガルの卵タルト)を食べた。
オリビアが軽やかになって、私も嬉しかった。人は事情があると攻撃的にもなるけれど、信頼できるとこんな風にあたたかにもなれるのだなと思った。
―――
相手を大切にするというのは、具体的にどういうことなのだろうとよく考える。
一緒にどこかに行くこと、何かをプレゼントすること、悩み相談に応えること。
どれも「相手を大切にする」一つの形だろう。それは時に行き過ぎて、相手への期待や見返りを要求するものになってしまったりするけれど、行動によって相手への尊重を伝えることができる。
一方で、受け身というのは時によくないと思われがちだ。
沈黙は怖い。相手の話を聞くばかりではつまらない人間であるような気がする。待っているだけでは何も変わらない。とか。
だけど、本当は、受け身というのは決して無ではない。聞くこと、待つこと、祈ること。その中に、確かな相手への尊重があるならば、相手の何かをはぐくむ力になっていることがきっとある。それが時には、行動では溶かせなかった心をすら、開いてくれることがある。
今回の件でも、シレーヌが黙ってオリビアの気持ちに聞く姿勢を見せたから、オリビアは話せた。それから、笑顔になってくれた。
だけどそれは、オリビアが怒っていたタイミングでは、たぶん起こりえなかった。どんなにシレーヌが聞き上手だったとしても。
聞くことも大事だけれど、たぶんそれと同じくらいに待つことも大事だった。
オリビアが怒って帰っていたあの時に、無理やり引き留めなかったこと。誰も何も尋ねず、だけど黙って見守っていたこと。彼女自身が話す気分になるまで、彼女の心の動きをただ観察したこと。
そういう、いうなれば「なにもしないこと」の積み重ねが今につながったのだと思う。
自分以外の人間が何を考えているのかは、究極的にはわかるはずがない。どうして怒っているのか。何を思っているのか。だからこそ、黙って見守るというのは考えてみれば一番誠実な行為だ。
あなたのことが分からないから、だから見守るしかない。だけど、話してくれるなら、その時はいつでもあなたの話を聞きたい。
待っている、聞いている、その瞬間においては何もできていないように思えるけれど、本当は大事な栄養をだれかに与えているのかもしれない。まだ芽吹いていない種に水をやるみたいに。