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「無理する」の真意

記憶の中で、
「あぁ、あの時は無理したなぁ。」と、
思うことはそう無い。

けれどもそんな中、煌々と光を放つ「無理」が一つある。

高校の強歩大会だ。

山梨でも有数の伝統校で、なかなかなくならない風習はいくつかあるが、この強歩大会もそーゆー、OBに祀り上げられる系のイベントだった。コレを乗り越えてこそ真の生徒だ、となる雰囲気がある。好き好んで受験をした生徒で無い限りとんだ迷惑なわけだ。

さて、10月の強歩大会、男子の出発時刻は、22時半。必然的にそれなりの防寒と動きやすさの両立が要求される。さらに、山梨の夜道は、闇である。そのため、両手にはライブ用の蛍光材が巻かれ、片手には、ライトを持つ。

武装し、準備体操を済ませ、山梨から奥多摩まで、60km、夜通し走るのだ。

奇抜なハロウィン企画だと思えばなんら問題ない。

ただ山をひたすら走るのだ。そしてひたすら峠を下るのだ。

そこそこスポーティな高校だ。野球部は甲子園、ラグビー部は花園、その他もろもろ、とかくやりおる運動部が軒を連ねる中、我がソフトテニス部は、決して派手な成績を残していない。

が、こと強歩大会においては、伝統的に陸上部に次ぐ成績だ。

「同級生の奴には、負けたくないなあ」と部内で競争心が芽生える。

この強歩大会、「ああ疲れたぁ~!」とはならない。

普通に考えて、ごくありふれた高校生活を過ごす生徒が走り続けられるほど60kmという距離は甘くなく、大概皆、歩いては走りを繰り返し7時間から12時間ほどかけてゴールする。足がだるくなるだけで、疲労感はさほど無い。

そんな一年生の頃の私は大したもので、一学年に150人くらい、学校全体で言えば400人くらいいる男子生徒の中で、31番だった。

この31番という記録が、高校時代の私が唯一語れる自慢であることは、あまり知られたくない。が、この31番までの道のりは、生ぬるいものではなかった様に思う。

折り返しの峠付近にで起きた、
「天然きのこ直売所のラジオ事件」と言うのがある。

この事件、私個人的な出来事なのだが、
事件は事件なのだ。

時刻は、おそらく真夜中の2時とか3時だろう。

闇の中にその「天然きのこ直売所」はある。

ただあるだけなら何の文句も無い、が、生徒を恐怖に陥れる仕掛けが、施されていた。

ラジオである。

さらにそのBGMは、盆踊り。

想像つかんだろう。
深夜の山道に一人にされ、体力も削られる頃、けだるい足にまとわりつく、有線ラジオと盆踊りの恐怖。

ここだけの話、数滴涙が出た。
それゆえに、事件なのだ。

私は、恩田陸の『夜のピクニック』の読んでいたページを開いたまま、
今、この随筆を書いている。

思えば、私が経験してきた強歩大会、
「そうとう頭悪いな。」と感じる。
けれども、「今なら絶対無理だよなぁ」という称賛すべき思い出でもある。

学生時代特有の変なドーパミンに裏づけされた無理気味な思い出が、なんとなく、心地よく思える。

無理なことと、無理ではないことの判別が、
上手にできる様になってしまった時分。

無理なことと、無理ではないことの狭間に漂う「ムズカシそうなこと」に、どう向き合っていたっけ、と自戒したくなった。

ただ一つ、「無理だと思っていたこと」をやれていることも確かだ。

それは、こんなに継続して日々、何かどうかエッセイを書けていることだ。

「やるやん。」と褒めてあげたい。
もちろん、自分を。

無理な時って、決まって一人でやる時だなって思う。

テーマを考えてくれる彼女とか、読んでくれる人がいたりするから無理そうなことが、無理じゃなくなってるんだと思う。そういえば、月間PVが16000を越えて、週間PVも6000を超えた。

ありがたい話である。

たった一人で、「書こう。」と決意し、巻き込んで、呼び込んで、仲良くなれて、なんとなく、「わ」を感じられるのは、大変、ステキだ。

もう、高校生ではない。
十分に大人の仲間入りをしていると、
自覚している。

上手に、人を頼りに、誘って、頼んで、
「ムズカシそう」なことを手に取って楽しめたら良い。

そんな風に思う。

人と人、人とモノコトの結び目に漂う楽しみは、何一つ、「無理」じゃないと思いたい。

思い返してみると、強歩大会も友達とは勿論、ところどころ「はじめまして」アリアリで
色んな人と走ったから、
頑張り切れたんだと思う。

私が思う「無理」をそうじゃなくしてくれた人がいる様に、私も誰かの何かを「無理じゃないもの」に変えてみたい、なぁって。

自分とは違う誰かがいるから、
「わ」が広がり、「無理そう」なことすら、
楽しめるんだろう、なぁって。

つよく、そう思う。


#随筆 #エッセイ #無理 #競歩大会 #恩田陸 #人

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