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近所の温泉のサウナの砂時計の数分

ひたむきなのだ、砂時計っていうのは。

たとえば、”I'm a driver" "I just keep driving" なんて、ドイツに出稼ぎに来ているトルコ人が言うとしたなら、私はパンの修行中だから、「僕はパン職人、ただ、パンを、美味しいパンを作るだけ。」なんて言いたくなるに決まっている。

砂時計って言うのは、ひっくり返されて、ただ、砂が落ちるのを待つのがシゴトであり、全てである。そうして、私は共に、サウナで砂が落ちきる数分を耐え忍ぶのである。

行き馴染みの温泉のサウナの砂時計は、何分か、わからない。

初めてひっくり返した時は、永久ほどに感じた。最近はすっかりサウナなれした私だから、多分アレは3分だろうと思っている。

ほら、サウナの壁にはハリがグングン回る時計があるけれど、私はそれを数えたりしない。

だって、なんにか、早く上がりたいみたいではないか、数える間に、「あれ?2分?3分?どっちの30秒だっけ」となりそうではないか。

チリチリチリチリと落ち続ける有限の砂を見て、アチアチのサウナを耐える私と、しかと、向き合う時間は、ナニにだって変えられない異常な時間である。

くたくたになったのち、水風呂へ浸かり、再びサウナへ。

そうしてまた私は砂時計をひっくり返し、新たな宇宙の歴史の一端になろうとする。

水風呂に浸かって、あがったらビールを、必ず飲もうと心に誓いながら、三度、サウナへと、向かう私である。


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