なぞなぞ考えるオトナ。
もう何年も前のこと、トウキョーから山梨へ、たまに遊びに来るおばちゃんと、トランプしていた頃だから17年くらい前かな、私が4、5歳の時である。
なぞなぞを出してくれたなぁと、ふと思い出した。
どんななぞなぞだったか忘れたのだけど、「空気が無い」、「食う気が無い」がキーワードだったので、「宇宙に行くと無くなるものは?」って感じなのかもしれない。
ただまぁそれだと答えも「空気」でなぞなぞでは決してないから、やはり今の私は、当時、おばちゃんが出題してくれたそのなぞなぞの詳細は、すっかり忘れたままである。
おばちゃんも、どこかのなぞなぞ本から引っ張ってきた来たのだろうな。
そう考えると、なぞなぞ本を作るオトナは、世界にもそう多くはいないのではあるまいか。
「「食べられないパンは、フライパン」コレ一本で、食わせていただいています。」なんていう、究極のプロフェッショナルであるのだろうな。
世界には2種類いるコトに気づかされる。フライパンを道具に金を稼ぐのはシェフ1人かと、てっきり思い込んでいたのだけど、なぞなぞを創る人、だからここでは、なぞ師と呼ぶが、また彼らもフライパンで稼ぐのだ。
なぞ師は、四六時中、なぞなぞを考えているのだろうな。
時代に合わせたなぞなぞがあるだろうし。「たとえば、」なんて1つや2つ、なぞなぞを言えたら私も気の利くオトナなのだろう、けど、なかなかむつかしい。
でもこのなぞ師、AIに淘汰される仕事かも分からない。なぞをなぞともしない、AI時代である。
私たちは、「全部、分かる。」そういう方向へ、ズンズン進んでいる。
全部分かるはず無い、と思いながらも、ズンズン歩み続けている。
よくよく考えたら、「空気が無い、食う気が無い。」なんていう、なぞなぞの中にも、科学というか、人類史の凄みが宿っている。「宇宙には、空気が無い」なんてことを、窓のむこうで、ちゅんちゅんと鳴いているトリたちは、彼らはそんなこと、ちっとも知らんのだろうな。
その羽を持ってすれば、どこまでだって行けると、思っているのだろうな。
ヒトには、脚で歩く他移動手段が無いから、トリとは違って。また同様に、サカナのようにエラ呼吸でもって長く泳ぐこともままならない。だから、あの手この手で、空に繰り出し、海へ潜って「なんだって分かってやる」と、永いことやってきたのだな。
いつだって、「今あるもの」を手繰り寄せて、「すこし先の、よりよいもの」にしてきたのだ。発酵世界的に言うなら、レビストロースが研究したプリコラージュだ。
今あるもので、少し先の未来を善くする。
そんなぼくらは、空気が無いと生きてはいけないのに、空気が無いところにだって行けちゃう。なぞの生物なのだ。
これからの未来、どんな速度で、進んでいくのか、少しワクワクする。
私がおじいちゃんになったら、そんな話を、たとえば4、5歳のコドモに、してやりたい。
そのコドモは言うのだろう。
「え、昔ってフライパン、食べれなかったの?」なんて。
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