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大人から子供へ伝えるシャーベット考。

ふと気づいたことがあって、あの時「何でコレを勉強してるんだろう。」ってことは、多分大人になる途中の今、世界を楽しむためにあったんだなってことだ。

というのも、お酒を飲むデートの楽しさが身にしみたからだ。

大人になることの本質は、遊びが増えることにある。

「遊び」に伴うイメージはどことなく子供的であるのに対し、本質的な自由も、遊びも責任があるところにやってくるものだ。

責任を負う機会が増えると言うことは、物事を楽しむ機会も増えると言うことであり、とどのつまり、大人になることで遊びのバリエーションは、責任に付随し増え、それは、とかく自然の流れである。

学校のときに感じた「これを勉強して何の意味があるかわから無い」。

それは、大人になりかけている今、道端に落ちている遊びになり得るものをかき集めるためのツールなんだろう。

多分だけど、そうなんだろうなって、お酒を飲む彼女のえくぼがちな横顔を見ながら感じた。

私が小学生の時分、母に連れられて31アイスを食べに行くことがままあった。

当時の私といえば、今と大して変わらず、「鼻につく」タイプの子で「サッパリした物がいい」とポッピングシャワーには目もくれず、オレンジシャーベットとグレープシャーベットのダブルで食べ、母が食べるラムレーズンとかショコラ何とか見たいなものをどこかバカにしながら見ていた。

かわいげの無さはさておき、大人になった今、31アイスはもちろん、カフェのシャーベット、カフェのソルベ、農カフェのジェラートを食べる機会も増え、サッパリしてない濃厚なものも楽しめるようになった。

そこで思うのは、
「シャーベットってなんだ。」
ということ同時に、
「ソルベとジェラートってなんだ。」
ということだ。

亀田三兄弟くらい見分けも訳も分からない。

もし仮に、デザートの知識を21年の道のりでかき集めていたなら、デザート界の亀田三兄弟の違いも分かり、
いくぶんカフェで過ごすイケてる昼下がりになったものを、
「ソルベとシャーベットの違いってなんだ」と気になってしょうがない。

またしても私は、大人になることの本質は、遊びと学びの蓄積であり、発生する責任との付き合い方であるなと感じるのだ。

ここで適当に、ソルベとは、と語ろうものなら亀田三兄弟か挑戦状が届きかねない。

「もう、25時だ。」

「遊びつかれて眠い。」

今日は、あれだ、「おやすみの。」の代わりの、「シャーベットってなんだ。」になってしまった。私は、まだまだ未熟者だ。

「いや、ほんとに、ソルベってなんだ。」

ソルベを勉強したら、私は、
「ソルベとシャーベット、ならびにジェラートの違いが分かる大人」になれる。

遊びの種類が多い大人は、どことなくステキ。なんて思いながら、枕と一体になるまで、もう、秒読みなのだ。


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