猫のキンタマ
適応障害で、新卒で入社した会社を辞めた。
営業がダメだったので、今度は転職して事務員をやってみることに。
制服があり、ロッカールームで着替える。
ドラマでよく見るOLだ!と興奮した。
ロッカールームでも食堂でも、みんな合コンの話をしていた。
占いに行って、婚期をみてもらって…。
みんな、ロングの巻き髪で、パフスリーブのビジューがついたニットに、
膝丈のフレアスカート、そしてベージュのコート。
嘘だと思うかもしれないが、本当にほぼ全員が同じ見た目をしていた。
それらを脱いで、制服に着替える。
そうしてまた、みんな同じ見た目になっていく。
刈り上げショートカットはもちろん私だけだった。
馴染めるわけがなかった。
先輩社員がことあるごとに「皿さんて変わってるよねー」というのでその度に振り向くのだが、
先輩がコチラを見ていたことはなく、
どんな表情をしていたかはわからない。
ある朝、課長に呼び出されて
「皿さん暗すぎるよ。
皿さんのせいで部署全体の空気が暗くなってる。
笑顔の練習してみて!ほら!」
と言われた。
人生で暗いと言われたのはこれが初めてだった。
私がこれまで大切にしてきた、ファッションで自己表現をすることや、
好きなものについて「なぜそれを好きか」を語らうことで互いの感性を理解し合う時間、
想いを曲にして、ステージに立って歌うことなんかは、
社会では一切役に立たない。
私の手元に残ったのは、「周りに馴染めない」という事実だけ。
自分が人と違うということが、たまらなく怖くなった。
味のしないランチを笑顔で毎日繰り返し、
休日には誘われるまま会社の人とボーリングに行った。
祝日には、長野まで車でスノーボードをしに行ったこともあった。
うまく滑ることができずに転んで、それに気付かず先輩たちは先に行く。
皆んなの群れがどんどん小さくなって、雪の中でひとり泣いた。
ボーリングもスノボもちっとも好きじゃない。
それでも皆んなに馴染むために必死だった。
給料日、入ったことのない服屋さんで服を買った。
タートルネックのパフスリーブのニットに、ツイードのタイトスカート。
刈り上げをやめて、パーマボブにした。
グレーのシンプルなロングコートに、丸が連なったデザインのラビットファーのマフラーを巻いて。
似合う人が着こなしたら、きっと凛とした大人な女性になれるのだろうけれど、私には全く似合わない。
仕事帰りに会った友人がラビットファーのマフラーを見て
「猫のキンタマ首に巻いてるやん!」と指をさして笑った。
「猫ちゃう、ウサギや」という突っ込みすらできなかった。
その日から、「始業時間になったら会社の廊下の電気をつける」という毎朝のルーティンが急にできなくなった。
始業5分前にはマジックで「廊下の電気をつける」と書かれた
手の甲と時計を交互に見つめながらスタンバイするのだが、
はっと気付いた時には先輩社員が舌打ちをしながら
電気をつける瞬間にワープしているのだ。毎朝。
先輩社員は、私に請求書の入ったケースをダンッと叩きつけるように渡すようになった。
そら苛立つよな、と思った。
その週の金曜ロードショーは「千と千尋の神隠し」だった。
「名を奪われると、帰り道がわからなくなるんだよ。私はどうしても思い出せないんだ」
とハクが言うのをぼんやりと聞いていた。
仕事を辞めた。フリーターになった。
コールセンターでクレーム対応をするという
内容的には精神的負荷の大きい仕事だったけれど、
金髪の人、顔中ピアスだらけの人や、
人と対面では座れないから一人だけ段ボールハウスの中で仕事をする人、
彼氏に連絡がつかないと出るまで何百回と電話をかけつづける人など、
本当に色々な人がいて、快適だった。
凸凹も沢山集まると、遠くから見ればなんとなくフラットに見えるのだ。
私は髪を青緑に染め、後頭部の半分を刈り上げた。
「頭にカビ生えてるやん」と散々な言われようだったが、へっちゃらだった。
首に猫のキンタマを巻きつけているより、ずっとずっと自分らしいと思った。
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