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ちぐはぐ

私は黒髪ワンレンショート、元バンドマン、編集プロダクション勤務、ファッションが好き、という属性から、『カルチャー人』だと思われることが多々ある。
実際、友人たちは音楽や映画、本、ファッションに精通していて、部屋だってとてつもなくおしゃれだ。
しかし私自身はというと、音楽も映画もファッションもインテリアも、知識がほとんどない。
好きな映画は「アルマゲドン」、「天使にラブ・ソングを…」、「グレイテスト・ショーマン」という誰もが知っている名作たちだし、好きな音楽は基本的にはアップチューンの踊れる音楽。
フジロックの出演者は、一部の超有名邦楽アーティスト以外、本当に誰だかわからない。
本はほとんど読まず、少年ジャンプのヒット作品ばかり読んでいる。
古着の知識はほとんどなくて、ただ自由で誰とも被らないものを追い求めたら古着に行きついただけ。ブランドだって、有名どころ意外知らない。
あと部屋はおどろくほど汚い。
丁寧な暮らし、できるもんならやってみいといったところである。

だから、カルチャーに詳しい友人たちと過ごす時、自分の知識のなさを恥ずかしく思う時がある。
見た目と中身が伴っていない『ちぐはぐさ』が、見掛け倒しのような気がして。


時々、エッセイのテーマが全く思い浮かばない時がある。
そういう時は書くのをやめて、いっそ外に出るのが良い。
なんせ連載エッセイのタイトルが『ファッション×パッション』なのだ。
パソコン画面と睨めっこしていたのではパッションは湧き出てこない。
自分の感情に向かい合うには、「何もしない」をすることが大切なのである。
「何もしない」ができそうな場所を探し歩いていると、「純喫茶」と呼ぶに相応しい喫茶店に出会った。
木製のドアには窓がなく、壁面にある窓はステンドグラスになっていて中の様子をうかがうことはできない。
昼間だったこともあってか、明かりがついているのかもよくわからず少し躊躇ったが、『OPEN』と書かれたシンプルな看板に背中を押され、入ってみることにした。

店内は想像以上にこじんまりとしていて、4人掛けテーブルが3つのみ。
中央には八角形の木枠で囲まれたレトロなストーブが鎮座し、いたるところに傷が残る木目の床に、赤い別珍の椅子がよく映える。
お客さんは私だけ。
壁にはいくつかの古時計がかかっており、16時を知らせるぼーん、ぼーんという鈍い音が共鳴するように鳴っていた。
それ以外に音楽はなく…といきたいところだが、店内には「日曜の朝に聞きたい爽やかな洋楽」と名付けられたYouTubeのプレイリストのような洋楽ヒットチャートが流れていた。
アリアナグランデやビヨンセ、ブルーノマーズが流れる中、古時計が大きな音をたてて時を刻む。
なんという不協和音。ちぐはぐだ。

でもそれがなんだかおかしくて、かえって居心地が良いような気がした。
たとえば寝起きのすっぴんだったとしても、美味しいコーヒーをただ飲みに来ることが許される、そんな柔らかい空気が漂っている。
もしこれが無音だったり、かかっているのがクラシックだったりしたら、その趣ある雰囲気と相まって『おしゃれであること』を自分に課したかもしれない。

オーナーの女性が、「これ美味しいからどーぞっ」と言ってウエハースをくれた。
友達のお母さんのような距離感だ。
お店のことを聞くと、40年以上の歴史があり、お父様から受け継いだのだという。
お父様が創り上げたこだわりの空間に、娘さんが洋楽ヒットチャートを流す。
そのちぐはぐさで、私はこの喫茶店が大好きになってしまった。

友人たちは私のことを『ちぐはぐ』だという。
でも結局、ちぐはぐな私を愛しちゃってんじゃないの?
なんて言ったら怒られるだろうか。
私は結構、ちぐはぐな自分も良いかもなって思えてきたのだけれど。





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