愛と毒とミステリー

 ここ最近海外ミステリーばかり読んでいたので味変しようと、久しぶりに湊かなえを手に取った。6編の短編集なので読みやすくあっという間に読んでしまった。

タイトルにもあるように今回は「母」と「娘」が大きなテーマ。そこに「優しさ」「正しさ」なども乗ってくるのでなかなかの重量感。読むのに苦労はしないが爽快感を求めている人には少々胸焼けするかもしれない。
頭の中でまとまっていないので言葉にしづらい部分もあるが、今感じていることを言語化してみようと思う。


 少し前に『毒親』や『アダルトチルドレン』という言葉が心理臨床の現場で頻繁に飛び交っている時期があった(こういう概念はある種の流行り廃りがあるので、今は以前ほど耳にしなくなった気がする)。

そもそも『毒親』ってなんだろう…。虐待やネグレクトをする親については擁護の余地もないが、母親が愛情を持って接していた場合どうなるのか。それでもやはり『毒』親なのか。『毒』とは…?考えだすと答えのない迷路に入り込んだように息苦しくなる。

毒親とされる母親が信じて疑わない
愛情とは。善意とは。


……一体何なのだろうか。

ストーリーにもあるように、白か黒かなんてオセロのようにひっくり返すだけで一瞬で変わってしまうものだと思う。どんなに白く善良で正しいものであっても視点を変えれば黒く醜いものに変化しうる。
(多くの物語は白くて美しい部分のみを切り取るだろう。でもこの作品はそんなことはしない。黒くて醜くて脆い部分を丁寧に描いているので目を逸らすことができないのだ)。

娘の視点から考えるとどうだろう。生まれた時から求めたら愛情をくれる、安心安全を提供してくれる母親。誰よりもわかって欲しい、寄り添って欲しい存在こそが母親なのではないだろうか。だからこそ娘は母親からの愛情を求める。しかし求めていた形で与えられなかったとしたら…。
愛情として与えられたはずのものであっても『毒』となってしまうのではないか。欲しかったものがもらえないことに対するどうしようもない葛藤と不満と不安が『愛憎』となり『毒親』という言葉に行き着いたのではないか。愛しているから、愛して欲しいからこそ憎い。
…それが母親なら尚のことだろう。


こんな風に視点が変われば主人公が変わる。浮かび上がる物語も当然変わるだろう。その実態に絶対的な正しさなんてものは存在しないのかもしれない。


こうやって少し離れると理性的に考えることができるが、読んでいる間は傍観者でいさせてくれない苦しさを抱えながらだった。夢中になりながらも苦しい。普段の読書ではなかなかない感覚だと思う。
繰り返しになるが、心温まる感動作や読後の爽快感を求めている人には胸焼け間違いなしの作品だろう。いやミスらしさ全開だが面白いものは面白い。今もまだ消化しきれないこのモヤモヤも含めて興味深い作品だったと思う。


※一つ付け加えるのであれば、心がある程度元気な時に読むことをお勧めします。


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