社会と命のお話。~星の見えないこの街から~
このお話は、星の見えない街で、私が「無関心」に染まるまでのお話。
2020年8月26日。よく晴れた日、日が暮れようとしている頃。
私は品川駅にいた。
駅のホーム。耳に入ってきたアナウンス。
「先ほど、JR京浜東北線で人身事故が発生したため、遅延が生じています。お客様には大変ご迷惑をおかけします。」
長崎で生まれ育った田舎娘が上京して3ヶ月。
このたった3ヶ月で、私の身に起こった変化を綴ろうと思う。
予め伝えておきたい。私は、「東京」という街を非難したいわけでもなく、東京に住む人たちが嫌いなわけではない。私自身が生まれ育った環境との違いに驚いただけであり、たまたまその舞台が「東京」だったのだ。
「華やかな街」に憧れていた。
「お母さん、なんで私は長崎に住んどると?なんで東京じゃなかと?
私は東京に住みたい。ねえお引っ越ししようよ〜。」
小さい頃、そんなことを言っていた記憶がある。
テレビを通して見た「東京」という街は、私の生まれ育った長崎とは何もかもが違って華やかに見えた。
青空に向かってそびえ立つ高層ビル。
鮮やかな髪色の若者。
お洒落なカフェ。
かわいい制服を身にまとう女子高生。
「山手線」という響き。
全てが自分の街にはないものばかりで、まるで異世界を見ているような気分だった。
「東京に住みたい」
気づけばそれが口癖になっていた。
それから時間が経ち、私は留学や校外活動の経験を通して、自分の生まれ育った街の素晴らしさに気づいた。自ら「私、長崎LOVERやけん。」と名乗るほどには長崎が大好きになった。
もちろん、それは今でもそうだ。
ただ、心のどこかで、たくさんの機会に溢れた「東京の子」を羨ましく思う気持ちもあった。
私も東京にいたらあのイベントに参加できたのに。東京にいたらこんな活動ができたのに。
無い物ねだり。
やっぱり、東京には一回くらい住んでみたいな。
きっと、自分の成長につながる素敵な体験が待っているはずだから。
高校を卒業した私は、マレーシアの大学進学に向けて英語の勉強をしようと決めた。地元にはそういったスクールはないから、必然的に都会の学校に行くことになる。(コロナでオンラインが普及する前の出来事。)
東京には友達がたくさんいるし、人が多い分、面白い人にも出会えるかも!
きっとワクワクする日々が待っているはず!!!
私は新宿の校舎に通うことになった。
6月。
私が上京したことを後悔したのは、最初の1週間が終わるころだった。
「なんでこんな街に来てしまったんだろう。どうして憧れていたんだろう。」
もちろん、普段会えなかった友達と気軽に会える距離になったことや、アットホーム感あふれる学校での学び、シェアハウスで素敵な人たちと生活できることはとてつもなく嬉しいことだった。
だけど、家から一歩出れば、一人になれば、
脳裏に、「こんな街大嫌いだ」という言葉が浮かぶのだ。
田舎娘と東京暮らし。
無機質。
そのころの私に、「東京という街を説明するなら」という問いをすれば、こう答えると思う。
鉄の箱に揺られて、同じ速さで歩いて、同じ出口から出ていく。
押し寄せる人の波。逆らえない人の波。
なんて流動的なんだろう。
その光景を眺めながら、全てを機械的に感じたことを覚えている。
そこに、命の営みを感じることはできなかった。
ヒトとモノで溢れているのに、私の瞳には殺風景に映る街。
新宿駅の西口。
ホームレスの人たちのたまり場。
彼らの目の前を通らなければ、私は学校に行けない。
登校初日、ホームレスの人たちの多さに驚く。
そして、誰も足を止めない光景に、驚いた。
「困っている人がいるのに、なぜ知らんぷりで平然と通過できるの?」
純粋に思ったことだった。
その日、私は自分の財布に入っていたなけなしの小銭を、一人一人の器に入れていった。
でも、そのくらいしかできない自分のちっぽけさも痛感した。
その日の夜、抱えたモヤモヤを友達に話すと
「でも難しくない?そんな考えすぎんほうがいいよ。」
数ある言葉の中で、こう言われたのが特に印象に残っている。
確かに私はちっぽけで何もできない。
バイトも見つからないから、毎日お金を入れるなんて無理だ。
そもそもそんなの、根本的な解決にはつながらない。
いろいろなモヤモヤを抱えつつも、
私は絶対に、この情景に争ってやる。
ただ知らん顔して通過する「東京の人」になんか絶対ならない。
そう強く思ったことは覚えている。
人身事故のアナウンス。
「先ほど、〇〇駅で人身事故が発生したため、列車の遅延が生じています。お客様には大変ご迷惑をおかけします。」
聞き覚えのないアナウンスに、驚きと違和感を覚えた。
人身事故?人が死んだの?
すぐにスマートフォンで「人身事故とは」と検索した。
人身事故って、列車または鉄道車両の運転により人の死傷を生じた事故を言うらしい。
「東京 人身事故」検索。
“コロナによる不安か。人身事故が週30件超に。”
“人身事故の60%以上が自殺。”
とあるサイトがいうには、
2005年から2014年の間で、都内で3145件の人身事故が発生していた。
計算上で言えば、少なくとも2日に1回は人身事故が発生している。
そのうち自殺が63%。
数にすると、2151人。
電車の運転手さんにとっても精神的負担は大きい。
急ブレーキが間に合わず接触し、その後PTSDになることも。
片付けでトラウマになることも。
いいことなんてないのに、負の連鎖が起きているのに。
それが止められない社会。
とても胸が痛くなった。
その横で、
「え、嘘だろ、またかよ。
急いでいるのに。
迷惑なんだよ、もう。」
そう言いながら舌打ちするおじさん。
迷惑…?
誰かが怪我をしたかもしれないのに?命が消えてしまったかもしれないのに?
でも、周りを見れば、多くの人の表情は「めんどくさいな」と言っていた。
何度も繰り返されるアナウンスが、
「あなたには関係ないのに、迷惑をかけてごめんなさい。」
と、言っているように聞こえた。
この光景にも、心を痛めた。
私は、絶対「めんどくさい」なんて思わない。
そう思う「東京の人」になんか絶対馴染まない。
心を痛めた少女の心情は、いつしか怒りに変わっていた。
でも、そんな社会を嘆いても、意味はないと知っていた。
嘆くだけじゃ何も変わらないと知っていた。
私には、自殺しない社会を作り出す力なんてさらさらない。
ホームレスがいない社会を作り出す力だって、さらさらない。
そんな力を持っている人が仮にいたならば、そもそもこんなことは起きない。
だけど、少なくとも私は、この違和感を絶対忘れないと心に誓った。
少しぶつかっただけでおじさんに「気を付けろよ!」と怒鳴られる。
歩きスマホをしていたのはそっちじゃない。
バスの並び順を間違えただけでおばあちゃんに「何先に行こうとしているのよ、図々しい。」と長々叱られる。
少し間違えただけだよ、そんなに怒らなくていいじゃない。
上京7日目、日が暮れた金曜日の夜。
「華やかな街」を歩く私の頬は、涙で濡れていた。
声を押し殺して泣きながら、東京の街を歩いた。
空を見上げても、視界に入ってくる建物。
明るすぎる街の光。
この街で、星を見ることはできないんだ。
そう、心を痛めていた少女が、たった3ヶ月でどうなってしまったと思いますか。
どう、変わってしまったと思いますか。
3ヶ月後のわたし。そこにあったものは。
寂しさと虚しさで溢れていたはじめの頃は、「きっと、ホームシックなんだ。」と自分に言い聞かせて乗り切った。
その後の生活はというと、今までできなかったことに挑戦してみたり、毎日楽しく友だちと会話し、生まれて初めて舞台化粧以外のメイクをして、かわいい洋服を探してみたり、シェアハウスで何気ない日常に微笑んでいた。
自分が好きだと思える場所で、好きだと思える人たちと大切な時間を過ごした。
やっぱり、東京という街は面白かった。今までできなかったことができる。あんなことができて羨ましいと思っていた側から、羨ましいと思われる側になった。
刺激的な学びに溢れ、ワクワクする日々を過ごしていた。
でも、そんな楽しい時間は一瞬にして過ぎ去るかのように、気がつけばもうそんな生活をして3ヶ月が過ぎようとしている。
東京生活が終わる前に、会いたい人たちとやりたいことをできるだけやり切りたい。
私はその日、友だちと とある政治に関する映画をみに行こうと約束していた。
2020年8月26日。よく晴れた日の夕方、日が暮れようとしている頃。
私は品川駅にいた。
駅のホーム。耳に入ってきたアナウンス。
「先ほど、JR京浜東北線で人身事故が発生したため、列車の遅延が生じています。お客様には大変ご迷惑をおかけします。」
突如として、上京したての頃に感じた違和感が蘇ってきた。
既視感のある、人々の表情。
繰り返されるアナウンスが、3ヶ月ぶりに
「あなたには関係ないのに、迷惑をかけてごめんなさい。」
と、言っているように聞こえた。
アナウンスが強く耳に残った。胸に突き刺さってきた。
でも、ただただ人身事故に胸を痛めたのではなかった。
このアナウンスが胸に突き刺さったのは、私自身の変化に気づかされたからだった。
今までも何度か人身事故による遅延の場面には遭遇していた。
その時は何を感じていたっけ。正直覚えていない。
多分、「また人身事故か。」と、深く気に留めることもなく過ごしていた気がする。
あれだけ意地になって、私は絶対「めんどくさい」なんて思わない。と思っていたのに。
そう思う「東京の人」になんか絶対馴染まない。と思っていたのに。
強く思っていたのに。
「もしもし?今品川なんだけどさ、人身事故で電車止まってて動きそうにないわ…。バイト先に遅れるって伝えといて。」
耳に入ってきた声。
なんでそんなに平然と言えるの?
「もしもし?ごめんね、今品川にいるんだけどさ、人身事故で電車が止まってるの。バスとか何かあるかな?映画間に合いそうにないや…。」
あれ、おんなじこと、私も話してる。
たった数分前に憤りを覚えたセリフ。私も話してる。
どうして。
新宿駅の西口。
あんなにおどおどしながら通り過ぎていた道。
いつの間にか、私も流れるように彼らの目の前を通過していた。
何も感じなくなっていた。
学校に遅刻する!!!
彼らの目の前を、何も感じることなく走り抜けていた。
私は絶対に、この情景に争ってやる。そう思っていたのに。
ただ知らん顔して通過する「東京の人」になんか絶対ならない。そう思っていたはずなのに。
どうして。
自分自身の変化に、恐怖を覚えた。
一気に怖くなった。
田舎娘が上京して3ヶ月。
そこにあったものは、「無」だった。
家から一歩外に出れば、ひとりでいれば、
私もいつの間にか、無機質な街の一部になっていた。
きっと私は、そういった情景に「慣れる」ことで、自分の身を守ろうとしていたんだと思う。毎回胸を痛めていては私の精神が持たない、と、私の頭が判断したんだと思う。
「人身事故のため〜…」
あまりに聞きすぎた。
「〇〇線は人身事故多いらしいよ。」
ふーん、そうなんだ。
ホームレスの人たち。
あ、今日は絵を売ってる。
あ、あの人は初見だ。
ホームレスさん増えてる。
全て、どこか他人事。
あの頃のわたしはどこへ行ってしまったんだろう。
無機質な街になじみたくない。
意地でも争ってやる。
ホームレスの人に話しかけて、
人身事故の話に心を痛めて、
こんな社会を憎んで。
あの頃のわたしはどこに行ってしまったんだろう。
私は、この社会を嘆きたいんじゃない。
嘆いたって何も変わらないってわかっているから。
だけど、だからといって、何もしない人にはなりたくない。
絶対に馴染まないでやる。
私のままでいてやる。
そんな気持ちを持っていた私には、
全てを受け入れる力なんてなくて
突きつけられた残酷な現実に、「慣れる」ことで自分の身を守っていたんだ。
ちっぽけな、ただの19歳の少女。
高校を出たばかりの、まだまだ世間知らずな少女。
それが私。
社会を変える大きな力なんて持っていない。
あるのは、負を抱える人に「寄り添いたい」と思う心だけ。
夜の東京駅。
ライトアップされた荘厳な東京駅を横目に、風鈴の鳴り響く道を歩く私。
その頬は涙で濡れていた。
「無関心」になるのは、本当に一瞬だった。
気づかないうちになっているんだ。
そして、「無関心」でいるってとても楽なことなんだ。
考えなくていいから。考え込んで、胸を痛めなくて済むから。
でも、その「無関心」の裏側には、
この人身事故の、ホームレスの裏側には、
この社会に届かなかった声、私が耳を傾けようとしなかった声があるんだ。
厄介なものを隠そうとする社会。そんな社会から見放された声。
“きれい” にしようとして、傷ついている人がいる。
でも、「無関心」な私たちは、誰も気づかない。
気づかないから、気づいてもらえないから、
命の灯火が消えてしまう。
この話をした時、ある友達がこう言った。
もしも、今日自殺をしようと考えている人が、たまたま立ち寄ったコンビニの会計のおばちゃんに面白いジョークを言われてクスッとして、
「今日はいっか。」って思えたら。
その次の日にも、たまたますれ違った人に、笑顔で「こんにちは。」って言われて、
「今日はいっか。」って思えたら。
その「今日はいっか。」が続いていけば、いつか自殺願望も薄れていくんじゃないかな。
私はこのお話に、とても納得した。
別に、大きなことを成し遂げようとしなくてもいい。
特別な力なんか持っていなくてもいい。
社会を変えようと気張りすぎなくてもいい。
「小さな幸せお届け人になる。」
それだけでも、拾い上げられる声があると信じたい。
この一連の出来事を通して感じた違和感を、いつまでも大切にしたい。
誰かに寄り添えるだけの「強さ」を持った人になりたい。
ライトアップされた東京駅を横目に、風鈴の鳴り響く道を歩く私。
高くそびえ立つビル。
やっぱり、この街で星は見えないか。
そう思った時、ふと小さな星が姿を現した。
まだまだ未熟で無知な若者だけれど、そんな私でもできること、私にしかできないことがあると信じて前に進み続けます。よろしければ応援お願いします。