「見られる」と意識すること、「整えよう」と努力すること
SNSを使う時、「見られている」ということを意識します。
何気ない日常をシェアする時も、作業風景を発信する時も、「これは見られるものなんだ」って。
「見られている」
その意識を持ったことで、「もっとキレイに見せたい」という意識を持つようになりました。
「この発信が、sarariをつくるんだ」
そう、感じるから。
服は、どうしたって見られるもの
会社勤めをしていた頃、京都から大阪に通う生活をしていました。
宮城から大阪への転勤。
初めての一人暮らしが、京都。
オシャレにあまり関心が無い私でも、住む場所が変わったことのせいなのか、「都会」ということが影響しているからなのか、「ちょっとくらい服装に気を付けようかな」とい
う気持ちになったものです。
当時勤めていた会社は制服はなく、オフィスカジュアルな服装ならOKというところだったものの、男性は皆スーツ。
女性社員は片手の指で数える程しか居なくて、数少ない女性社員の方の服装や、通勤途中で見たOLさんたちの服を見て「こんな雰囲気か」と学んでいました。
服は、どうしたって見られるもの。
そして「少しくらいキレイに見られたい」という気持ちもあって、内勤で、会社の中の人としか顔を合わせないとしても、服には気を使いました。
「見られる」から大切にしている発信のポイント
服と、SNS。
この2つに共通することが「見られる」という意識だと思っています。
今は地元に戻り、会社を辞めてハンドメイド作家をはじめたので、服装がグッとカジュアルになりましたが、今度は「SNS」という場所で「見られる」ようになりました。
そんな今の私が、かつての服装のように気を使っているポイントと言えば
の3つです。
以前は服装で私のイメージが決まっていたように感じますが、今はその3つで「sarari」という人のイメージが決まると感じています。
あの頃と今とで違うのは、「ブランド(私)のイメージが、作品が売れる要因になる」というところ。
もちろん「売れる」の要因はそれだけではないものの、イメージも大切な要因だと思っています。
「見られる意識」が「sarari」をつくる
「sarari」のイメージをつくっていくのに、「見られる」という意識はとても大切でした。
プライベートを発信しようと思った時、制作風景を発信したいと思った時。
「これは見られるものなんだ」と思うからこそ、少しでも整えて、キレイに発信しようという意識が働いたから。
そしてそれが、今の「sarari」をつくってくれたからです。
「見られる」と意識すること、「整えよう」と努力すること。
この2つをぐるぐる循環させながら、「sarari」の世界観は磨かれていくように感じます。
今日もまた、少しずつ。
「sarari」が育っていくのです。
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