見出し画像

自分の機嫌は、自分で取って

「物語のある天然石のお守りアクセサリー」をお届けしております、作家のsarariです。

今日は、昨日の話の続きを。


言葉の「裏」にある意味

心無い言葉をかけられ、その言葉を受け止めて自分がどう感じたのか、相手にどういう気持ちがあってその言葉が生まれたのかを、考えてみました。

ノートにあれこれ書いて、気付いたこと。

それは、その言葉の「裏」にある意味でした。

私はこんなに頑張っているのに、あなたは全然がんばっていない」
「がんばらなくていいなんて、ずるい
私の頑張りを、誰かに認めて欲しい

ノートにそのことを書き出して、はた、と手が止まった。

「この人は、自分の機嫌を自分で取れないのではないか」

そう、気付いたから。

誰かに認められたい、誰かに承認欲求を満たしてもらいたいという気持ちを、私を「使って」満たそうとしているのではないかと気付いたからです。


選んだ道を納得して進んでいれば、それでいい

この件について、昨日パートナーに相談した時、

自分の意見を押し付けることしかできない人は、他の選択肢があることを認められない人なんだよね。だから、そういう人の話は真面目に聞かなくていいよ」

と言ってくれました。

まったくそうだなあと、しみじみ。

私は、法律や倫理的に悪いことをしていなければ、人の人生は多様であっていいと思っています。

その人が選んだ道を納得して進んでいれば、それでいいと。

私は今回、自分の人生を否定されるような言葉をかけられましたが、それは相手が、私に承認欲求を満たしてほしくて言った言葉だったと気付きました。

自分が知っている範囲のことしか認められない人だからこそ言えた言葉だったと。


誰かの人生を変える権利など、誰も持っていない

生き方は、十人十色でいいはずです。

人間はひとりひとり、異なった存在なのだから。

私は毎日「こういう生き方をしている人も居る」ということをシェアしたくて、noteを書いています。

私が誰かの選択肢のひとつになればいいなと思って。

でも今回の件ように、私の生き方が認められない人も必ず居るでしょう。

それはそれでいいと、私は思います。

ただ、だからといって、「あなたはこうあるべき」と意見を押しつけたり、非難したりすることは、違うと思いました。

感覚が合わないのなら、そっと離れたらいい。

誰かの人生を変える権利など、誰も持っていないと、私は思うから。

私はその人からそっと離れて、私なりに、私のペースで穏やかに一緒に居られる人の時間を大切にしたい。

改めて、そう思うのでした。

私の活動に関心を寄せていただき、ありがとうございます◎サポートでお寄せいただいたお金は、作家活動費として活用させていただきます。