【私のcocan体験】私の纏う空気感を「日本の伝統色」で表してもらった話
「私のcocan体験」第2弾。(第1弾と「cocan(コーカン)」の概要はこちら。)
今回はチャームカラーセラピスト、インタビューライターとして活躍なさっている井上いほこさんとの交換体験について、お伝えします。
自分でも分からなかった「私の色」
ハンドメイド作家をしていると、皆さんそれぞれに「ブランドの色」というのを持っているイメージがあります。
でも私は「sarariのイメージカラーは何色ですか?」という問いに答えられません。
好きな色も…正直、パッとは浮かばないんです。
「強いて言うなら…ベージュ?」という感じ。
色って不思議なもので、その時々の心の状況を示したり、ハンドメイド作家であれば作品全体や、活動全体のイメージを表したりするんだと思います。
でも私には、そういう「色」が無い。
意識してそうしている訳ではないですし、やりたいことが無い訳でもありません。(むしろやりたいことは毎日山ほどあります。)
ただ、主役が「私」ではないというイメージなんです。
作家活動の主役は、私が制作したアクセサリーたち。
noteの主役は、この記事を活用して、さらにご自身の作家活動を楽しくしていく読者様だと思ってます。
だから「sarari」という私を表す文字を使う時の場合、背景に使うのはベージュなどのベーシックな色を選び、ショップカードの色もベーシックな色調にする。
noteを書く時は「私の活躍を見てください!」「この方法が使えます!」という気持ちではなくて、「少しでも作家さんに役立てていただける情報を伝えられたらいいな」という気持ちで書いているんです。
だから、主語は「私」ですが、主役は私じゃない。
そんな思いがあるからか、「私」を表すために使う色は、いつだってとてもベーシックなんです。
「薄桜」という色を二度見
いほこさんにTwitterで交換をお願いしてから数日。
まさかの「色」が私に届けられました。
二度見です。(いや、三度見したと思います。)
慣れ親しんだ言葉で言うと「ピンク」。
私が、ピンク…?!
ちょっとしたパニックというか…「ありえない!!!」という衝撃を受けました。
というのも、私は幼いころから「ピンク」という色に抵抗があったんです。
女の子っぽい格好や持ち物にも抵抗があって、一時期は「どうして男の子に生まれなかったんだろう?」なんて思ったこともあったほど。
大人になってから(というかここ数年くらいで)やっとピンクの物を身につけたり、ポーチなどの小物に取り入れられるようになりましたが、それまではピンクの物について「私には似合わない」「私がピンクのものを身につける(持つ)なんてありえない」と言い続けていた。
そんな私が今、「薄桜」という儚くやさしい色の空気を纏っている。
衝撃の次には、「やっと私らしく生きられるようになったんだ…」と腑に落ちる感覚がありました。
薄桜に込められた「気品」と「優しさ」
いほこさんには色だけではなく、私の空気感について、こんな風に言葉でも表現して頂けました。
そっと寄り添うあたたかさと、ふんわりと包みこむ優しさを感じます。
それは、もしかしたらこれまでのご自分の経験や体験から生まれてきたものかもしれません。周りの人にそうやって接することで、ご自分をも優しく包める方のように感じます。
また、「気品」という言葉がとても強く響いてきました。sarariさん自身から、そして作られる作品からそれを受け取る方が多そうです。
今回、noteなどでsarariさんの作られるアクセサリーを拝見したのですが、sarariさんが作られる作品には、その人が必要としていることも、そしてそれを着ける意味もすべて込められている唯一無二のものになっているのだろうな、と感じました。
「えっ?本当?そんな素敵に見てもらって良いの?」という嬉しいお言葉ばかり…。
私は今まで「真面目」「しっかり者」という堅い言葉で表現されるような人間だったので、冒頭に「あたたかさ」「ふんわり」という言葉が出てきたことに驚きました。
ひらながって、とてもやさしい雰囲気があります。
それを私が纏っていると思えたら、嬉しかった。
「私って本当は、そっちだよなあ」なんて思ったりもしました。
今までは「長女」「優等生」「いい子」というレッテル通りに生きてきたんですが、心の中ではずっと「そうじゃない」って思っていて。
長女だけど別にしっかりしていないし、優等生って言われるけど本当は頭良くないし、いい子っていうのもしっくりこない。
私はレッテルにとらわれずに、ただ自由で居たかった。
大人になって、うつ病を経験して、ハンドメイドを始めて、ようやく「自由」を表現できるようになって、やっと内側に合った「私」が顔を出せるようになったんだと感じます。
腑に落ちた「自由」
いほこさんに教えて頂いた色と、表現していただいた空気感が腑に落ちた訳。
それは「薄桜」が私にとって、「自由の象徴」に思えたからでした。
「真面目」「しっかり者」などのレッテルに囚われないで、いつだって目の前のことを全力で楽しんでいる。
「主婦だから…」「アラサーだから…」なんて肩書きやカテゴライズは無視して、いつだって「私」として生きている。
自分をどんな枠にも入れない。
「生き方も、在り方も、十人十色で良い」って、言い続ける。
そうやって声を上げ続ける自由な私が、この色に反映されているんだと感じました。
今日も私は、自由です。
この向こうの誰かにも、どうか「それでいい」ということが、伝わりますように。
いほこさん、素敵な経験を、ありがとうございました。
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