「価値」の在り処
こんにちは、sarariです。
「私って、欠けているところがいっぱいだなあ」
そんなことを時々考えては、落ち込むこともあります。
私にはできないことが沢山あるなって。
「できないがあれば、できるもある」
例えば、人と繋がりを持ち、それを良好に保つよう努力すること。
相手の立場に立って、物事を考えること。
会話という、言葉のキャッチボールを成立させること。
「できないなあ」って、落ち込む日もあります。
そういう時、私がどうするか。
「できないがあれば、できるもある」と自分を励ますのです。
天然石アクセサリーをつくって、ネットや委託店で販売すること。
こうやって毎日ブログを書けること。(今日で752日連続投稿となりました。)
自分で作品を宣伝したり、写真を撮れること…。
自分にとっては「些細なこと」「当たり前のこと」と普段なら気にも留めないようなことでも、「誰かにとっては当たり前じゃない」と自分に伝えてあげるのです。
自分が自分にとって、一番の理解者でありたい
それで落ち込みから一気に立ち直れる訳ではないけれど、少なくとも「私って全然ダメってわけじゃないよね」と思うことはできる。
私はネガティブで、共感してもらいにくい感性を持ちながら生きています。
だから自分が自分にとって、一番の理解者でありたいと思うのです。
正直、まだそれができていないと感じます。
このブログで「どんな人にでも価値がある」とお伝えしながら、自分の価値を自分で認められていなかったと、ある本を読んで気付いてしまったのです。
誰かに向かって「あなたにはこんなにも価値がある」とお伝えすることは、私にとってすごく簡単に出来ることです。
そして自分にも私にしかない価値があると思って生きてきた。
でもそれは「私の作品」や「私のブログ」に対してであって、「私自身」に対してではないと、気が付いてしまったのです。
「私自身」に価値があると、自分に伝える暮らし
「モノ」に対して価値があると信じることと、「私自身」に価値があると信じることは、私にとって全く別次元にあるものでした。
だから私は、始めなければいけない。
私が生み出す「モノ」に対してだけでなく、「私自身」にも価値があると自分に伝える暮らしを。
今、その一歩を踏み出そうとしているのですが…正直とても難しい。
一歩を踏み出すきっかけになった本を読みながら「うーん。私には無理そうだなあ」「どうしても私自身に価値があるなんて思えないんだよなあ」と感じていたから。
それくらい、私は「私自身」に価値があると思っていなかったと気付かされました。
これから本を読みながら、改めてこの問題についてどう取り組んでいくかを考えようと思っています。
2022年の、GW。
私にとって大きな転機となるものになりそうです。
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