「もっともっと」よりも、「今で充分」
「物語のある天然石のお守りアクセサリー」をお届けしております、作家のsarariです。
今日久しぶりに、「sarariラジオ」を更新しました。
声を録音するのは本当に久しぶりだったので、話にまとまりがないかもしれない。
でも、今日の私には、どうしても伝えたいことがあった。
だから、ラジオを録りました。
「もっともっと」という気持ちの、怖さ
「もっともっと」という気持ちは、怖い。
終わりが無いから。
いつだったか、オーラソーマのサロンに言った時、「どうして今に満足できないの?」「今のままでも、充分じゃない!」と言われたことを思い出しました。
あの時の私は、納得ができなかった。
もっと飛躍したい、もっと活躍したいという思いが強かったから、「これ以上、頑張らない方が良い」「上を目指す必要はない」というセラピストの方の言葉の意味が、よく分かりませんでした。
でも今なら、分かる気がする。
「もっともっと」という気持ちの、怖さが。
いい結果や評価を得ることで、「そこに居ていい」という理由が手に入ると思っていた
「もっともっと」という気持ちには、ゴールが無いのです。
どこまでいっても「もっともっと」と、上を見続けてしまう。
それは私の性格や、習慣からくるものかもしれません。
子供の頃から「頑張り屋さん」と言われてきて、テストや暮らしの中でいい結果が出せるように、良い評価をしてもらえるように頑張って、頑張って。
常に頑張ることが、当たり前。
だから昔から私にはゴールが無く、「頑張らなくていいよ」と言ってくれる人も居なければ、自分でも、言うことができなかった。
それが「当たり前」と思ってきたから。
いい結果や評価を得ることで、「そこに居ていい」という理由が手に入ると、思っていたから。
私は子供の頃、「いい成績を出しているから、この家に居ていいんだ」と思っていました。
妹は両親と仲良さげに打ち解けて暮らしていたけれど、私は両親とすらまともに会話をすることができず、「何か結果を残すこと」こそ自分の居る意味で、それができてこそ、この家で暮らすことを許されているのだと思っていた。
そして今も、それを引きずっているのでしょう。
「何かができるから、ここに居ていい」
「結果を出せる私だから、愛してもらえる」
そんな思い込みも、今も、ずっと。
子供の頃の私に、ようやく気づけた
きっとそれが「もっともっと頑張る」の根幹にあるのでしょう。
子供の頃に刷り込まれてしまったそれはなかなか消えず、今日もここにある。
でも今日、私は、焦りや不安、心配からくる「もっともっと」の怖さに、気が付くことができました。
ゴールが無いという怖さ、終わりが無いという怖さに。
「もっともっと」の理由にも、気が付くことができました。
「いい結果や成果を出せない、何のとりえもない自分は、ここに居てはいけない」
それは、私が子供の頃に、自分に強く貼り付けてしまったレッテルであり、思い込み。
誰もそんなこと言ってないけれど、両親と妹という「仲のいい三人家族」の中に入れなかった子供の頃の私が、考えて考えて辿り着いた「私の存在する意味」。
そんなことはなかったのに。
そう思わなければ、生きていられなかった。
そんな子供の頃の私に、ようやく気づけたように感じています。
「今で充分」という新しい考え方
「私の存在理由」と思っていた良い成績や結果、評価と、自分に対する思い込み。
それが私が「もっともっと」を手放せなくなった理由。
「もっともっと頑張っていたら、ここに居ても良い」
そう信じて生きてきた、私。
そんな私に「さようなら」を言いたいと思っています。
付き合いが長い気持ちだから、完全に手放せるものではないとも思っているけれど。
でも一度「さようなら」を言うことで、区切りをつけたいと思いました。
そして、「今で充分」という新しい考え方を心に沁み込ませたい。
私はそう、願っています。
「もっともっと」よりも、「今で充分」
「もっともっと」よりも、「今で充分」と思うこと。
それに気が付いたのは、ハンドメイド作家としての自分を見つめ直したことがきっかけでした。
今日のnoteやラジオはハンドメイド作家さん以外の方でも聴いていただける内容になっておりますが、オンラインサロンでは、ハンドメイド作家さんに向けて、より深い話をしています。
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sarari
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