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【『こんな自分でも生きていて良いんだ』が根本にあるということ

以前、『生きてるだけで良い』の声かけに対して「それだけではダメだ」みたいなことを言ったことがある。
その言葉を捉え過ぎて、大事にしてしまえばしまうほど、自己正当化から抜け出せなくなってしまうというのが理由だ。
「それだけではダメだ」に関してはそのとおりだと思う反面、『生きてるだけで良い』は根本でもあり、アイデンティティにもなり得るとも思う。

『生きてるだけで良い』について、考えたり悩んだりする時間が長ければ長いほど、思考の渦の中に埋まってしまう。
人権ということについて、常日頃考える人が少ないように、『生きてるだけで良い』も多くの人は考えずに生活をしている。
この言葉について高い頻度で考えてしまう場合は、この言葉としてのみ引き受けて、その言葉そのものを軸に、土にしてしまい、目を向けない方が良いかもしれない。
あるいは、思考ゲームぐらいに捉えたり。

そもそもアイデンティティの表明はグロテスクなものだ。
『自分とはこれである』と表立って言うと、人は少なからず引く。
(こういうことを言うと「言ってはいけないのか」というのが出るが、善悪の話をしているわけではない)
アイデンティティについて人に聞いた時、
「アイデンティティ?そんなもん考えたこともないや。そんなことより飯でも食いに行かない?」と返ってきたとき、あなたはどう思うだろう。
少なくとも自分は、何か憑物が落ちたような( ˙-˙ )スンッて感じになる。
そうか、そんなぐらいなものなんだ、と。
そんなぐらいなものなんです。
『生きてるだけで良い』について考えてしまう限り、アイデンティティにはならない。
朝が来るまで考えてしまい、死にたくなってしまう時期を超えた先に、『生きてるだけで良い』が本当に理解できるのかもしれない。


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