見出し画像

人間関係の解像度を上げたい

対人で嫌な思いをした時、相手に急速に好感を持った時、対人関係の良い/悪いに関係なく、急に大きく感情が動く瞬間は往々にして相手に対する解像度を無意識に下げていると思うんです。

例えば会議で誰かの発言が「不謹慎だ」と感じた時。
例えば理不尽な理由で悪者にされた時。
例えば知人の心温まる武勇伝を聞いた時。
例えば自分のトラブルを思いがけない人が助けてくれた時。

たぶんですが、人は不快な状態から脱したいし、心地よい状態はもっとよくしたいんです。
事実を受け取ったりより多くの情報を得て精査するよりは、反射的に、嫌な気持ちから離れたり相手が悪くて自分は正義と思うことで安全圏に行くこと、安全で素敵な要素にフォーカスを当ててそれ以外を見ないようにすることを選択しているのかもなぁと思います。

恋愛と別れに当てはめるとわかりやすいかも?
唐突にあの人が好き!となると、相手のここが素敵!いい人!合う!という情報をたくさんたくさん集めて、もっと好きになれる理由を考え出します。
対して、良い情報にフォーカスしてお付き合いを始めてみたものの、時間を重ねると色んな情報が入ってきて、気に入らないことがでてくることもあります。
そうすると合わない理由をたくさん集めて、お別れしましょう、ということが起きるのかもしれません。

突然怒鳴りだした人を「あいつは悪いやつだ!」と思うことは簡単ですが(そして「突然」「怒鳴る」のは行動の選択肢としてあやうい心情ですが)、その人が家庭でも会社でも友人関係でも全ての分人において悪いやつかどうかを、私たちは知らないんです。

むくむくと大きくなりがちな、危険から逃げたい・もっと好きになりたいはどちらも、自分が見たい方をより大きく見せようとしているだけだとしたら。
その相手を「嫌い」だと思うためにたくさんの情報を集めることも、「好き」だと思うためにたくさんの情報を集めることも、根本は同じかもしれません。

だからあらゆる情報をバランスよく集めよう!
というのは、人間は基本的にバイアスがかかりやすいからちょっと意識しづらいかなと思います。
それよりは、自分と向き合う相手の解像度をあげていこう、という意図を、最近気に入っています。(同じことですけどね。笑)

ほんとにいやなところだけなのか?
どういう意図でその言動をとったんだろう?
もう一度話せるチャンスはあるかな?
どんなことを一緒にしたらもっと相手を知れるかな?
すごく好きだけど好きだけじゃない面も気付けるかな?

大体、なんか好き!なんか嫌い!状態の時は相手の像がファジーです。
「いつも」こういう人だろう、「みんな」そうだろう、「ぜんぶ」合うなぁ、みたいな。
この先の関係を考えた時、ファジーさに気付いて解像度を上げる行動を起こしていく方がいいと思うのです。
具体的には、会う。話す。何か一緒にする。
ふわっとした中での自分の思考(妄想)は圧倒的なリアルの情報には勝てないから。
(もちろん、ほんとうにヤバい人からは颯爽と早々に距離を取りましょう!)

相手と向き合うと自然と集まってくるたくさんの情報をもとに、地に足の着いた心地よい人間関係ができていくと思っています。
そしてよい人間関係を作っていけるなという気持ちは、自分を肯定し、世界が安全で自分の味方だと思えるきっかけの1つを作ってくれると思います。

#note #コラム #人間関係 #自己肯定感

いいなと思ったら応援しよう!

さら
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!