自己肯定感が低くてもポジティブでいられる
先日職場で「さらちゃんはポジティブだねぇ」って、半分褒め言葉・半分呆れてものが言えない くらいのテンションで言われたんです。
実はどっちかというとちょっと嫌味、くらいかもしれない(笑)
でもこの言葉、個人的には「にやり(心の中でガッツポーズ)」だったのね。
なぜかと言うと、私の自己肯定感は、そもそもけっこう低い(と思ってる)。
自分でそう思いこんでるだけかもしれないけど、
でもずっと生きづらくて、傍目の印象よりずっとずっと自罰的で、いつでも評価にさらされていると感じてきたんです。
そんな私が!ポジに見える!?まじ?全然ポジじゃないけど(笑
やったねー。自分で自分の機嫌をとって自分の世界を幸せにしようキャンペーン、大成功じゃん!
というのが、ガッツポーズの理由です。
キャンペーンとか言いつつ、それはただ時間をかけて自分で自分を幸せにしてあげられる考えをインストールし続けただけなんだけど、
インストールを試みる→バグ→また試みる→エラー→もっかい試みる→オーバーヒート……
みたいなことを2年とか3年とか続けて、やっと、最近は、幸せな考え方を意識的に選べるようになってきた気がしていて(個人比)。
ちょっと時間がかかったけど、これから先にやりたいこと・やれること・出会う未知のことの選択肢がめっちゃふえたから
実はものすごくコスパのいい投資なんじゃないかなーと思ってます^^
ちなみに会社でポジって言われた時の文脈は、
他人の仕事とコントロールの範疇を自分が何とかしようと張りつめている人に
自分のコントロールできることはここまでで、あなたの頑張ってるとこは他人の考えや仕事ですよー、私は私の範疇で最大限の力を発揮したいですよー
という感じのことでした。
言われた方からすると、きっと私の考えは無責任とか楽観的に見えたと思うのだけど(その意味でポジティブが半分くらい良い意味じゃなかったんじゃないかなと予想)
例えば、あの人は仕事でよくこの内容を落としてるから、似た案件が来たらポイントをメモで渡してみよう♪ ていうのと
あの人はいつもこの仕事間違うから私の手間が増えて困る。先にクギ刺しておかなきゃ! ていうのとでは
主体が違うと思うんです。
前者は、自分が相手に協力できることを提示するけど、実際にやるかやらないかは相手の仕事の範疇と考えます。
後者は、相手がやるかやらないかの選択肢を、自分が無理やり相手にやらせようとするベクトルです。
ここまで極端じゃなくても、自分の気持ちで相手をコントロールしようとする考えは、毎日の小さな言動に意外とたくさん含まれていて
そのたびに絶対に無理なこと(相手の脳の中は私はいじれないもん)を実現しようとして、脳が「いや無理なんすけど!何したらいいの?」てなってるのに、無視してしまう。
結果、脳、大混乱→ストレス の図式ができてたり。
仕事だろうがプライベートだろうが、相手を大切にしていれば
「こうしてほしい・こうするべきだ」から「やるかどうかは相手が決めること」に進化する。
だって、相手という自分と異なる個を尊重すること = 相手の決定権の範囲は私が介入するエリアではない だから^^
まわりを大切にしているから、ストレスを減らして、かつ自分のやるべきことに集中できる。
本当の自分の力が発揮しやすくなる。わーい。
こういう考え(自分と相手をちゃんと分けて、相手を大切にする)が習慣になってきたことが、時間をかけてインストールを試み続けた良い結果の1つだと思うんです。
自己肯定感が低くて不安が強いままでも、ストレスを減らせるしポジティブっぽい何かになることはできる。
ポジティブに見られるってことの中には、私の変化がいっぱい、詰まってる。
そんな風に思ったのでしたー。
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!