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「自分を大事にする」の本当の意味

「自分を大事にする」っていう言葉は、どんな文脈で語られるやつだろう?
ちょう個人的印象だと、すごくおせっかい要素の強い言葉に感じてきました。
「もっと自分を大事にしなさい」
「自分を大事にしないとこうなるから」 みたいな。

特に反発を覚えていたわけでもないけど(どちらかというと「優等生」だったから上から言われたことなかった)
でも「みんな自分のことは大切じゃん?むしろ自分を甘やかしていいことなんかないし!」くらいには思ってきたと思うのです。

ずっと、何かと闘ってきました。
獅子座なので(笑)
甘やかさないように一所懸命でした。
でも闘って戦って正しく善くあろうとして、どこか疲れていました。

闘いたくないよぅ…って気持ちが頭の片隅に出てきてしばらく
大事にすることの意味が別のベクトルじゃない?て気がしてきたんだよね。

自分を大事にすること=自分の決定範囲を明確にすること

↑こっちなんじゃない?

私たちは、自分が決められない・自分のタスクではないことの中でたくさん
頑張って生きようとしていると思うんです。

誰かの役に立たなきゃ
あなたに愛されなきゃ
あの人の言うことをきかなきゃ
人から嫌われないようにしなきゃ
傷つけないようにしなきゃ
いい子でいなきゃ

これ全部、他人の決定範囲を自分で作ろうと一所懸命になってる話だよね。

私が相手の為になると信じたことを勝手にする
(相手にありがとうを言われるためじゃない)
私があなたを愛する
(愛されなくても愛することはできる)
あの人のいうことをきくこともきかないことも選べる
(もしききたくないのにきいたとしても、それは私が自分で決めたこと)
私を嫌いになるかならないかは相手が決めること
(万人に好かれようとすると絶対に誰かに嫌われるし、あなたに嫌われても私はあなたが好きかもしれない)
私はあなたを傷つけることはできない
(傷ついたと判断するのはあなた)
いい子かどうかは私が決める
(誰かの曖昧で変わり続ける評価基準ではなく、自分がどうありたいか)

こういう風に、私が決められる範囲って本当に私のことだけで
逆に家族でも親友でも、私のことを誰かが決めてきたらそれは「嘘」だし「ニセモノ」。
そして誰かが私について定義したことに乗っかると、
自分の基準が何もないまま、人生全部が他人に決められて生きるってことになってしまうでしょ。

ところでこんな風に、自分が決められる・操作できることを本当に明確にしていくと
すごくいいことがあるの。

それが、他人をめちゃくちゃ尊重できるってこと。

多分、闘ってきた人たちも優しい人たちも、
「誰かのために」とか「こっちが正解だから」みたいな気持ちが強いと思うんです。
だけど、操作できない相手の範疇に一所懸命関与しようとすることも
顔の見えない常識や正解を自分の選択にすり替えることも
それは他人の決定範囲に私がむりやり入り込もうとしていることとイコールのことなんだよね。

相手を尊重するってつまり、相手しか決定できないことを邪魔しないことだし
相手が決定できるっていうことを信じてること。

自分の決定できる範囲が定まる
     ↓
相手が決める範囲を尊重できる
     ↓
その両方を通して、私の生き方の決定権を取り戻すことができる

っていう風に感じています。
これ、めちゃくちゃ幸せになれる
っていうか幸せにしかならない♪

全ては私の責任であるともいえる反面
全ての決定権が私の手の中にしかないともいえる。

それが分かると、闘ったりしなくて良くなっていくんです。
だって私のことを本当に大事にできてるから。
相手のことは相手の責任だし、その意味で相手のことも本当に大事にできるでしょ。
闘う話じゃなくても、愛でもおなじこと。

#note #コラム #自己肯定感 #愛

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!