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「真似」と「らしさ」を混同しがちだから

「憧れのあの人みたいになりたい」
↑きっと、たくさんの人が一度ならず思ったことがあるよね。
私も、何度も何度も、そりゃあ数えきれなくらい、あります。

自分のコンプレックスと真逆の容姿のモデルさんや
すいすい人生をわたっていく役を演じる役者さん、
ひょっとしたらもっと身近なお友達や、自分よりちょっと先を行く先輩かもしれない。

兎にも角にも、その人に近づきたくて「同じ」ことをしたり「同じ」物を持ったり、
してきたし、したくなるし、することがあると思う。

しばらく前に何となくそんなことを考えながらお散歩をしていて、ふとこんなことに気が付いた。
「誰かの真似じゃない、自分らしい課題に気付いて向き合っている方が、物事は好転する」

noteに上げる話を書きながら、自分が大好きでいつも読んでいるnoteユーザの方の文体が脳内でチラチラする。
歌をうたいながら、尊敬する師匠や好きなアーティストの歌いまわしが脳内リピートされる。
お買いものをしながら、ネットで見たモデルさんの着てた服ばかりが視界に入る。

みたいなこと、すごくよくあって。

周りを見回しても
憧れの人と同じ練習方法を取り入れてるけど、今やりたい曲に対しては合わないんじゃないかな?ってことや
この投稿はちょっと前のあの人の書いてたことと似てるけど、本人の考えなのかな?なんてことが
時々あったり。

文章でも音楽でもファッションでも他のどんな分野でも、先達の「型」みたいなものを会得することは
進歩のためのショートカットになったり、自分の派生型を生み出すもとになるもの。
基礎や発展方法を学ぶためには間違いなくあったらいいもの。

なのだけど、1つだけ、忘れたくないことがあるのです。

あなたと私は、別の人

別の人なので、私がどれだけ努力をしても勉強しても、あの人そのものにはなれない。
別の人だから、私の素敵なところや伸ばしたらいいところと、あの人のそれはきっと違う。

型をみっちり追求しまくった方が素敵に進化していく人もいれば
独自性を早くから使いまくった方が羽ばたいていく人もいる。
そしてそのどれが良いか、良かったかを知っている、決断できる唯一の存在が私。

「自分らしさ」なんてもう100万年前から使い古されてもうそれ何か分かんないし!みたいになってるけど
でも私の強み・私の課題・私の進む方向を
知っているのも決められるのも、それから認めてあげられるのも、私だけだもん。
偉い人や好きな人や憧れの人がどんな方法論で人生を歩んできていても、私は全く同じ体験をできないから。
同じ感覚や学びを得ることはないから。

自分が肯定できるから、認めた自分を原材料にしてぴかぴかに磨いていくことができるし、
ぴかぴかさせるために使うツールは、私に合ったものがいいよね。
誰かのじゃぴったりこないかもだし。
スキンケアだって、私の肌に本当に合うのがいいじゃん?

自己肯定感って、自分の変化の原動力の1つになってくれる。
そしてそれは、今から自力で錬成していけるものだったりするから、
自分の課題→解決→認める→変化 のサイクルをインフレスパイラルさせるためにどんどん使いたいなって、思うのです♪

#コラム #自己肯定感 #自分らしさ

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!