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天国の天使が語ること、あるいは『かくれた天使――神様につかわされたダウン症の子――』について

 天使になった赤ちゃんが、地上での生活を振り返って語るとしたら、何を・どんな風に語るのだろうか?
 
『かくれた天使――神様につかわされたダウン症の子――』は、1950年8月26日に生まれたロビン・エリザベスが天に召されて神様の腕の中に抱かれながら、地上で過ごした2年間に、彼女の家族が経験した様々な試練や心の揺れ動きを描写した作品である。ロビンはダウン症を患ってこの世に生を受けた。

 生まれたての赤子がダウン症だとわかったとき、その子を孤児院に入れるように、とロビンの両親は助言を受けた。「そういった赤ちゃんを収容する施設」や孤児院に預けることが一般的だった時代、そうした選択肢が産後間もない両親に医師から提示された時代である。母親のデイルは次のような「助言」も受けたという。「いつかは、赤ちゃんを手元から話す決心をしなければならないのだし、それには子どもがかわいくなってしまう前に、できるだけ早く決心したほうがよいのだ」(p.20)。しかし、父親のロイは「家に連れて帰ろうよ」(p.3)と提案した。母であるデイルは、こんなふうに医師の言葉に反論している。「神様に特別な思し召しがあって私たちのところにこの子を使わしてくださったのだから、この神様の贈り物を私たちがどうこうするなんてできないわ」(同頁)。
 
 本書を読むと、深いキリスト教信仰が、登場するロジャース一家(および看護婦)を絶望から救い出してくれていることが分かる。今や天使となった語り手ロビンは、確かに、自分が生まれたことで両親が多くの涙を流したという事実を伝えている。しかし、本書を貫く語りのトーンは、一貫して明るく、幸福で、時にユーモラスである。語り手ロビン――正しくは、ロビンの語りを創造した母親デイル――が、ロビンがいかに愛されて育てられたか、彼女が来てくれたことでどれほど楽しく幸せな思い出を作ることができたかをつぶさに伝えてくれる。ささやかながら幸福なエピソードを積み重ねていく過程で、ダウン症児の一生という陰鬱にならざるをえない本書のテーマは、その「重力」から解放されたようである。重々しいテーマでも、これほどまえに軽やかに語ることができるのだ。

 本書を貫くユーモラスな語りの一つを紹介したい。
 生まれた直後に医師たちが健康状態を調べるために行った様々な処置が、天使ロビンの目に、どれほど滑稽に映っていたかが語られる。「(医師たちは)なんておばかさんたちなんでしょう!」(p.10)
 ロビンは処置が行われているまさにその時も、天から見守る神の視点(天使の視点)から、自身と彼女を取り巻く人々の行いを、笑いをこらえて見守っていた。医師たちは、ロビンを医学的見地からダウン症児と判断した。しかし、彼女のお世話係となった看護師のコウコウは、医師たちには見ることが出来なかった、ロビンの真の姿を捉えていた。

 「なんてかわいらしい手…いつも誰かに何かを与えようとさし延ばされていて…世のあかにまみれた、欲のつっぱった手とはちがう…まるで天国そのものね!」(p.35)

 これこそが、医学的見地からではなく、一人の人間として他者と関わろうとする全ての人の態度であってほしいと願うばかりある。


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