見出し画像

ラッセルの幸福論などから感じる「創造」すること

Kindleなどの普及もあり「個人出版」をスタートさせてはや三年が経ちます。

関係がないけど、猫を保護した年とリンクしています。猫ってやっぱりクリエイティブと関係があるのでしょうか? 不思議な生き物ですね♪

読書が好きなのでいろいろな小説を読むことはいままでもありました。そこに「書く」という行動が生活パターンに加わり、変化がありました。

まず気づいたのが「どうやって書くことに向きあえばいいのだろう」。これがわからなくなりました。この媚薬のような「SNS」にアップしてしまうと、どうも変な欲がでるというか。舞台の上にいるのに、パジャマを着ていていいのか。という気分になってしまうわけです。

つらつらと思いのまま筆をすすめていくのもアリだとは思いますが、それであれば日記帳やメモ書きなどに書いて、カフカのように机にしまっておけばいいわけです。ですがSNSであればそうはいきません。

思考がさまよっている間に2つの良書に出会いました。それがラッセルの幸福論と、いつもご紹介しているS.キングの「書くことについて」でした。

ラッセルの幸福論からの引用では、クリエイティブについてこういう記載があります。

~あなたがものを書くのは、ある思想や感情を表現したいというやむにやまれぬ衝動を感じるためなのか。それとも拍手喝さいをあびたいという欲望に駆られたためなのか。

本物の芸術家にあっては、拍手喝さいを浴びたいという欲求は、普通強烈ではあっても二義的である。

ラッセルの幸福論

つまり創作したいという想いが圧倒的であり、承認欲求はその次である。つぎにスティーブン・キングです。

~もうひとつ言っておかねばならないことがある。私の人生を変えた出来事と直接かかわりのあることで、本文中にも何度か触れているか(中略)要するにこういうことだ―― お前は金のために働いているのか?
答えはノーだ。過去も現在も。たしかに私は小説で金を稼いでいる。だが、金のためにと思って書いたことは一度もない。

~ものを書くときの動機は人さまざまで、それは焦燥でもいいし、興奮でも希望でもいい。あるいは、心のうちにあるもののすべてを表白することはできないという絶望的な思いであってもいい(中略)だが、いい加減な気持ちで書くことだけは許されない。繰り返す、いい加減な気持ちで原稿用紙に向かってはならない。

S.キング 書くことについて

つまり、自分がSNSに発表する内容は「動機」が不明確で、ある時点でふと立ち止まざるを得なかったため、このような書籍と巡り合ったのでしょう。

最初にSNSにアップした時は「やむにやまれぬ焦燥感」というは確かにありました。なぜならネットもつなげずにノートパットに書き溜めていたからです。

ですが、SNSに投稿するのが当たり前となってしまうと、ただ単に机の上のノートにそっと書き留る日々で満足しただろうか? いや、それすらも考えなかったか。などなど考えることが多くなってきました。

こんな風に「創作に対して真摯には考える」ようになったのは大きな変化です。これは発信を楽しんでいた頃よりも、よりクリエイティブに対して向き合うフェーズに入ったと勝手に解釈しています。ボケっとしながらけっこう脳みそを使っている日が多くなってましたし、読書もいままで以上に楽しみ、ジャンルも幅が広がってきています。

ラッセルとS.キングの考えをもとに、自分はどの視点にいるのかを考えてみました。こうやって先駆者の意見を聞きながら、より俯瞰的な目線でクリエイティブを楽しめる気がしています


いいなと思ったら応援しよう!