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奢り奢られ論争(完)

婚活をかじっていたときに、界隈でよく聞くネタがあった。
「奢り奢られ論争」だ。

男性が全額払うのか。多く払うのか。それとも割り勘にするのか、各自自分の分を払うのかといったことはTwitterの婚活ネタでも定期的に話題に上る(炎上する)。

世界の普通からさんのエントリーを見て色々と思い出した。
私にとっても婚活におけるお会計問題はそれなりに新しい経験だった。
なぜなら、私はこれまでの人生で基本的に「奢られる」女だったからだ。


学生だった期間が人よりうんと長いので、必然的に持つお金も少なかった。特別それを苦に思ったこともない。助成金を取れば海外には行けたし、特に海外「旅行」に興味があるわけでもないのでそれで満足していた。
そして先輩や先生たちと飲みに行けば、基本的に奢られる。
(当然、現在私が院生や後輩と飲みに行ったら、奢る。)

女友達との関係では完全なる割り勘だったけど、彼女たちはどんどん結婚したり、子供ができたりして会う回数が減っていったので、それも大した負担にはならなかった。会えることが決まれば、ただただ楽しんだ。

そして男性陣と飲みに行くときに、基本的に私は財布を出す必要がなかった。それが彼氏であっても、男友達であっても、あまり変わらなかった。

…ということを話すと、私の親友はひっくり返った。
「彼氏はまだしも、男友達も?それは彼氏じゃないの?」
というようなことを言われたことは一度や二度ではない。

一応、「お礼の気持ち」としてカフェでは私が払ったり、たまにプレゼントをしたりもするのだけど、そうするとまた彼らがプレゼントをくれたり、奢ってくれたりするので、圧倒的に彼等の方が私に負担してくれている。

これもまた、私が長らく学生だったこととも関係していると思う。男友達ですらこれだから、もちろん、奢ってくれない彼氏と言うのも持ったことがない。彼氏ともなればご飯のみならず、旅行やら何やらも出してくれるのが常だった。(というか、生来出不精の私は彼氏に引っ張られでもしないとあまり旅行も行かない。)

相手が年上でも同い年でも年下でも、基本的に男性はみんな奢ってくれるもの、というのが私の基本認識だった。(もちろん、明らかな後輩は別として。)


さて、婚活に突入して。
初めてアプリを利用したとき、私は34歳だった。
基本的に女には「若さ」が求められる婚活では、このスタートはそもそも遅い。いわゆる「条件がいい」男性には会えないと言われるし(「条件」って何だ、しゃらくせぇ、と思うけど。)、お会計も恐らく今までの感覚とは違うんだろうなぁ、という予感はあった。

実際、色んな人がいた。

きっちり飲んだ分だけ払う人。
奢ってくれるけど、デート代で領収書切る人。(自分も確定申告する身だけど、私はあんまり好きじゃない。)
少し多く払ってくれる人。
そして奢ってくれる人。

色んなバリエーションがあるもんだなぁと、社会見学の気分であった。
時に払ったり払われたり、新しいパターンを繰り返す中で、わかったことがある。

それは、お金は有限の資源だと言うこと。
何を当たり前な、と思われるだろうが、結局ここが本質だと思う。

ものすごい金持ちでもない限り、私たちの持てるお金は有限だ。限られた資源をどう使うか。同じ1万円を使うなら、自分が幸せになるために使いたいと思うのが自然な気持ちだろう。交際費にかけられる月額がある程度決まっているのであれば、人は当然その「配分」を考える。

ある時デートに行った「いいね数」の多い男性は、徹底的にデートに使うお金を抑えているように見えた。話を聞くと、かなり長期間彼女候補を探しているようで、たくさんの女性と会っていそうだった。(そしてそれが可能な「条件」を持った人だった。)

だけどそれ、逆効果だよ。…とは思ったけど言わなかった。
奢らないから好かれない、と言うつもりはない。でも、とにかく「コスパよく」やろうとしていると、相手との時間を「大事にしていない」のが伝わるのだ。

そしてこちらもお金を払うと、改めて考えてしまうのだ。「このお金で私、何ができたっけ?」と。このお金で友達と飲みに行った方が楽しいな、と思った自分に気づいて、私は彼の連絡先をそっとブロックした。

有限の資源だからこそ、払ってみると別の世界が見える。それは誰にでもある、「このお金を有効に使いたい」と言う気持ち。

奢り奢られ論争が炎上するのも、結局そういうことだと思う。「奢りたいと思うほど楽しくない」時、割り勘を採用したいと思うのだろうけど、その場合、恐らく相手も「お金を出したいと思うほど楽しんでない」。だから互いに「金目当て」「ケチ」という非難の応酬になる。

そう思うと、私の男友達とのお会計問題もまた別の角度から見えてくる。
彼等と会うのは単純に楽しいので、もちろんお金を出してもいいし、奢ったっていい。だけどお金は有限だから、私の限られた資源だとそう頻繁に会えなくなる。それなら、と彼等が払ってくれていたのではないか、と。

将来、お互いの条件が変わったら、私が奢ることもあるのかもしれない。それもまた、全然悪くない妄想である。喜んで、これまでの分も払いたい。

なので、Twitterで炎上している奢り奢られの議論で、ぎゃあぎゃあ言ってる男女にはこう言いたい。「払ってみれば、相手のことが好きかどうか、すぐわかるよ」と。

そして奢りたいと思えない相手と一緒にいることは、もう一つの有限な資源=時間を無駄にしてることになるよ、と。

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