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象牙の塔の中で

noteを書くことのいいところは、自分と似たようなことを考えて・感じている人に会えることだ思う。あまり一般的なキャリアを辿ってきたとは言い難いので、noteを書くまで自分と近い感性・考え方の人がこれほどいるとは思わなかった。良い誤算である。

理系と文系で色々と違う部分はあるものの、色々と思い出すことがあったので自分のキャリアということについて改めて振り返ってみようと思う。ちなみに私は文系研究者の例に漏れず理系より更に時間をかけているので、学部5年(一年海外留学)、修士2年、博士7年を費やし、更に研究員として3年大学に勤務したので計17年大学にいたことになる。(大学院で所属を変更したので、同じ大学にいたのは5年と12年になる。)

いずれにせよ、1歳児が成人するまでの年数だから、かなりのものである。

それだけ大学にいたというと、大抵驚かれ、さぞや常識がない人のように思われる。まあ、当たらずとも遠からずの部分はあると思う。私自身現職で大学の外に出て初めて、驚いたことが多々ある。

まず特筆すべきは、その金銭感覚のなさ。
予め断っておくと、私自身も経済観念の強い方ではない。というか、もし経済観念が強かったら文系研究職なんて選ばないだろう。学生時代に、自分が満足する生活を送るのに一体いくら必要かなんて考えたこともなかった。(恐らくこれも一部の人からしたら驚くべきことなのだろう。)

そんな人間なので、現職の採用試験を受けている際に、面接官(現在の上司)から「給料があまりよくなくて申し訳ない」と言われて、驚いたほどである。なぜならその給与は大学でもらっていた給与の軽く倍はあったから。

「これが『安い』なら、大学での給与って何だったんだろう・・・」というのが私の率直な感想であった。大学での給与の安さは流石にいくら経済観念のない私でも閉口するレベルだったので、勤務日を増やしてもいいからなんとか給与を上げてくれないかと交渉したこともある。

その際に返ってきた答えは「それだけあれば十分でしょ!」というもので、2020年代に東京で女が暮らすことの意味をわかっていないのだなぁとしみじみ感じさせるものであった。大学が財政的にますます厳しい状況に置かれているのは事実としても、この金銭感覚のなさが末端の若手研究者への皺寄せを産むのだと思う。

一方で、お金にあまりこだわりのなかった私でさえも、この経験を通して「自分を大事にしてくれる環境で働きたい」と思うようになった。給与もその一面であり、休みの取りやすさなども含めた働き方がいかに自分自身の「自尊心」に直結するかを学んだ。(繰り返しになるが、恐らくこの感覚を30代で得ることそのものが「世間知らず」なのだろう。)



労使交渉の矢面に立った私を待っていたのは、同じく苦境に喘ぐ同僚からの賛辞・・・ではなかった。

私と同じ条件で雇われた同僚は、奇しくも私たちの上司の研究室の出身者で、とてもじゃないが上司に何かものを言える立場になかった。そのため私が率先して苦言を呈したのだが、同僚からするとそれは「余計なお世話」でしかなかったようである。

私が上司に楯突いたことで、私に振られる仕事が減り、結局同僚に皺寄せが行っているーそれが同僚の感じ方であった。(私からすればそれは上司の仕事の差配の仕方の問題でしかなく、私に文句を言われても困る、という状況であったが。)

結局同僚は私と同じ研究室で勤務することを拒否し、上司たちがそのお世話に翻弄される、という事態になった。そのことをまた上司から指摘されたりもして、最終的に私の指導教官も交えてかなり大きな戦争が繰り広げられた。今思い返しても中々に厳しい状況である。(余談だが、研究者は基本的に「中途参入」がありえない世界なので、人間関係が濃密である。)

そんなこんなが重なり、ある日朝起きた瞬間に、私は「死にたい」と口にしていた。

そしてそんな自分に驚き、これが鬱になる前兆か、と独りごちた。
幸いにもその後すぐに上司が異動になり、私も別の仕事を見つけることができ、強制的にその職場から離れることができたおかげで、鬱にはならずにすんだ。

そして職場を変えてしばらくして思ったことは「なぜすぐあの職場を離れなかったのか?」ということだった。なぜだかわからないけど、当時の私は戦わなくては、と思っていた。今でも理不尽に抵抗するのは正しいことだと思うけれど、それが容易に人を追い込むことも身をもって経験した。


最大の問題は、このような状況の中で私の博論が全く進まなくなってしまったことである。これに関しては働く環境も関係しているが、それ以上に現在の学問のあり方そのものが関係している。

文系学問、とりわけ社会科学はどんどん「科学化」が進んでいる。数式を用いる、いわゆる定量的手法がその中心にあり、「科学的に」「因果関係を」「推論している」ということが学問的に最も重要な課題となっている。

科学であるからには、再現性がなければならない。
科学であるからには、反証可能性がなければならない。

そのコンセプト自体はわかる。

ちなみに、再現性とは何度やっても同じ結果が出ることが正しいという考え方(1+1は何度やっても2だから正しい)、反証可能性とは何があればその仮説が間違っているかを明確にできることが重要という考え方(カラスは黒い、という仮説は白いカラスを発見すれば誤っていることになるから科学的たりうる)である。

そして、「ただの感想」と「学問」を分けるのが科学性である、というのももちろんわかる。

だがしかし・・・やっていて面白くないのである。
「科学」に近づこうとすればするほど、対象から離れていくように感じた。

しかしながら、大学にいると、学問の最先端こそが正義という感覚が刷り込まれる。自分が楽しいか楽しくないかではなく、正しいか正しくないか、正義か不正義か、という論争に巻き込まれていく感覚があった。

大学から離れて、より実務に近い研究所で働くようになって、色々な研究があってもいいのかも知れない、という気持ちが芽生えるようになった。ちなみに実務に近い研究者たちが「科学的」でない手法でテレビ等で発信することに対して、「科学」にこだわる研究者は基本的に苦々しい思いで見ている。彼らにとっての研究者の基準は、あくまで「実証論文をちゃんと書いているかどうか」なのである。

一方で、実務を行なっている人間にとって、「科学的かどうか」がそれほど重要でないこともわかるようになった。「科学」にこだわる研究者は、基本的にデータがなければ何も言えない。それはもちろん「科学的」には正しいことなのだが、現実に対処している人間は「今すぐ」答えが欲しいのだ。仮にデータが揃っていなくても。

そのことに気づいた時、頭を殴られるような衝撃を感じた。
そして自分自身も、本来はもっと「原始的な」衝動で研究を志したことを思い出すようになった。私はただ知りたかった。ただ自分の研究対象を面白いと感じていただけだったのだ。

もちろんそれでお金を稼ぐためには、世間の何らかのニーズに応えなければならない。その意味では大学の外だって勿論自由ではない。(むしろ、時代の要請に応えて研究テーマを決定することを大学研究者は「自由がない」として嫌う傾向にある。)

時代には逆行するけれども、自分が知りたいことを知りたい。
それを叶えられる場所を探そう。ついでに自分を尊重してくれる環境を選ぼう。

経済観念のない文系研究者が17年たってようやく辿り着いた境地である。

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