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夢の向こう

唐草さんの書く文章が、とても好きだ。
あったかくて、嘘がなくて、そして強さを感じる。ともすれば悲劇になりそうな話をなぜだかいつも温かい話にできるのはそのお人柄ゆえなのだな、と気づくのにそう時間はかからなかった。

そんなお人柄をいつも以上に感じたこの記事。忍者になりたくてトレーニングを積む女の子、友達になりたすぎる。おじいちゃんになりたい女の子も可愛すぎる。ひとしきり笑った後に、私の夢ってなんだったかな、と昔の記憶を紐解いてみた。


覚えている限りで最初の「夢」はおそらく「お姫様」だ。

目立ちたがりかつ怠惰な性格が丸見えである。幼馴染との遊びもお姫様ごっこかお人形遊び(当然お人形をお姫様に見立てる)ばかりで、ある時「Sarahちゃんと遊ぶとお姫様ごっこばっかりで嫌だ!」と言われて衝撃を受けた。お姫様になりたくない人間なんてこの世にいるのかと。

あくせく働かなくてよくて、おまけにひらひらの服を着れるなんて、まさに極上の生活だと思っていた。そんな私は、大人になってもいまだにフリルとオーガンジーとレースが大好きだ。(さすがに似合う似合わないは考えるけど。)

小学校に入ると、段々そうも言ってられないことがわかってくる。
どうやら元々城に生まれていない人間は「働かなくてはいけない」らしい。それでも「嫌なこと」はやりたくない。好きなことをしながら暮らしていけないものか、と考えた私は小学校一年生の文集に「将来の夢:エッセイスト」と書いた。今考えてもマセたガキである。

実際、エッセイストという夢は親の影響を強く受けていた。本音のところではいまだにお姫様を諦めきれなかったし、いつか城の誰かが自分を迎えに来てくれるのではないかと夢見ていた。でも書くのも読むのも好きだったから、悪くない選択肢だとも思っていた。ついでに旅行もできる!愛読書は「秘密の花園」と「小公女」という少女時代を過ごした。

小学校高学年になると、さすがに「お姫様」はどうやら現実的ではないとわかり始める。それでも好きなことだけしていたい。次に見つけた夢は「声楽家」だった。オペラが大好きな私にとっては、歌ってるだけで暮らしていけるなんて最高だった。おまけにひらひらのドレスも着れる!

中学生になっても将来の夢は声楽家、と言い続けていたのだが、段々と現実の波が押し寄せる。高校受験はどうする?私立の音楽大学附属高校に行かせる金はない、と親には言われていた。じゃあ藝大附属高校に入る、と返答する私。実はそこそこ偏差値が高い藝高に入るために塾にも入った。今でも覚えているが、「覚悟を示すため」に自分で塾の春季講習代も払った。

塾に行くようになって私の順位はメキメキ上がった。元々悪くなかった成績は、ある種の「テクニック」を身につけたことで更に面白いように上がり、県内でもかなり上位に入るようになった。当然、大人たちは「藝高以外」の選択肢を進めてくる。いわゆる進学校だ。

この頃には、夢見がちな女でも「音楽で食べていく」ことの厳しさはわかるようになってきていた。ここで藝高に固執するよりも、とりあえず進学校に行った方が賢いのかもしれない。私は進学校に行くことを決めた。この時初めて「やりたいこと」よりも「やれそうなこと」を選んだように思う。

そして東大合格者数を誇るような学校に入ると、「将来の夢」はもっと現実味を帯びていく。いつしか私の夢は「弁護士」になり、「経営コンサルタント」に変わっていった。その後、第一志望ではないもののそこそこの大学に入り、留学を経て、夢は「外交官」に変わる。

夢の実現まであと一歩、というところで不採用となり、今度は流されるように研究の道に入った。次の夢は「研究者」だ。どれも「頑張ればなれる」夢であり、対外的には「成功」と見做されるキャリアだった。


そうして研究の世界に身を置くようになって15年経ち、夢がほぼ現実になったところで、段々とある問いが頭を擡げるようになる。
「これが本当に私のやりたいことなのだろうか??」

よくあるミドルエイジクライシスだと言われればそれまでなのかもしれない。でも今の自分の生活が果たして本当に夢見ていたものなのだろうか、私は自分の気持ちだけに従ってこのキャリアを選んできたのだろうか?

そんな思いが去来した時に、あるキャリアコンサルタントの方が SNSでシェアしていた「アイディア」が目に止まった。

それは、「やりたいことに迷ったら、何でも叶う魔法の杖を持っていると仮定してみる」というものだった。その杖を使えば何でも手に入るし、何でも実現する。そうだった場合に、あなたが今したいことは何?
・・・と言われた時に、思い浮かんだのは二つだった。

「好きなところで暮らしたい。」
「小説を読みたい。」

秘密の花園と小公女が大好きだった少女は、その後自然と文学少女になった。小学校高学年から中学にかけてはモンゴメリ、ブロンテ姉妹、オースティンにハマり、高校生になると司馬遼太郎、吉川英治、塩野七生に傾倒していった。大学に入ってから好きだったのはオーウェル、ドストエフスキー、それからニーチェ。

現代の作家ももちろん読んだ。中学高校時代は吉本ばななが大好きだったし、大学以降はイシグロを読み倒した。そしてもちろん、エッセイもずっと大好きだった。とにかくいつでも何かを読んでいた。

大学院に入ってから、読むものは全て研究書と論文に変わった。読んでも読んでも追いつかない。いつでも新しく「読まなくてはいけないもの」が出てくる。「積読」どころではない読むべきものが積まれていく中で、段々と私は小説が読めなくなっていった。

そしてそんな自分が、思った以上に辛かったのだと思う。考えてみれば、「なんでも叶う魔法の杖」の仮定は究極的には「お姫様」と同じ話だ。生活の心配がなく、好きなことだけできる。そんな生活が訪れたら、私は何がしたいだろう。そして今それを自分に制限しているものは何なのだろう。

流される中で、それでもサバティカルで海外に行けるからと選んだキャリアだったけれども、日本での数年を「罰ゲーム」のように我慢して、時折1〜2年行くのが私の望みだったのか?そんなわけない。行きたいなら行けばいいじゃないか、そう思えるようになったのはつい最近のこと。

叶いそうにない夢を捨てて、「実現可能そうで」「対外的に恥ずかしくない」キャリアを選んだのは誰のためだったか?自分のためだけだったと、本当に言えるだろうか。そう思い至ったのもつい最近のこと。

かくして近頃の私の夢は昔の夢に戻りつつある。
声楽家になりたい。
エッセイストになりたい。
そしてお姫様になりたい。・・・かもしれない。

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